ひとりぼっちの魔法使い (その7)
「話の続きなのだけれど」
少女はちょうど陽輝が食べ終わったときに戻ってきて、開口一番に来客者を問いただした。
長テーブルを挟んで二人は向かい合う。いつの間にか蒼猫の姿は見えなくなっている。
「続きって、なんだっけ」
「あなたがどうして森に入ったのか、という話」
「ああ、それか」
何故そんなことを訊きたいのだろうかという疑問は沸くが、陽輝は深く考えずに嘘偽りなく答える。
「クラスメイトを探していたんだ」
「・・・・・・その子は森で迷子にでもなったの?」
「いや、そうじゃなくて、どうやら森の中に住んでいるらしいんだ。いや、本当に住んでいるかは分からないんだけれど、住所を頼りに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それにしても焦ったよ。携帯が圏外になって仕方なく引き返そうとしたら記憶にない分かれ道は出てくるし、真っすぐ進んでも一向に出口は見えないし、まるで魔法でもかけられたみたいだった」
陽輝の言葉に少女がぴくりと反応する。彼女の顔が険しくなったことに陽輝は気づいていなかった。
「きっと悪い夢でも見ていたのよ」
「・・・・・・かもな」
確かにあれは悪夢と言っても良いだろう。出口のない迷路なんて悪戯には趣味が悪すぎる。二度とごめんだ。
「はあ、結局、夜永さんには会えずじまいか。あいつらになんて説明しようかな」
瞬間、空気が張り詰めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・いま、なんて言ったの?」
少女のあまりの剣幕に陽輝はたじろぎ、
「えっと、友達にどう説明しようかなって」
「違う、その前」
「夜永さんには会えなかったなと」
「その名前をどこで?」
「どこでって、普通に学校で」
「学校で誰から聞いたの?」
「誰から聞くも何も、クラスメイトだから名前くらい知ってるって」
「クラスメイト? 私が?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・わたし?」
少女は慌てるように口を手で覆う。恐ろしかった雰囲気は一気に消え去り、和やかな沈黙が訪れた。
「えっと、もしかして、君が夜永さん?」
少女は応えない。数十秒間の沈黙の後、ようやく彼女は口を開いた。
「ち、違うわ」
「いや、嘘だろ」
目は泳いているし声も裏返っていた。ばればれだった。
「ち、ちょっと待って、いま整理するから」
「どうぞお好きに」
陽輝は思索に耽る少女を眺める。
先の反応を見たところ、十中八九この子が不登校のクラスメイトなのだろう。
あの住所が正しかったと考えると、森で倒れたところを助けてくれたのも納得がいく。
表情を変えずに淡々と喋る様子は深窓の令嬢のようであったが、いま目の前で頭を抱える彼女は年相応の普通の女の子に見える。訊きたいことはたくさんあるが、まずは彼女が落ち着くまで待ってあげようと陽輝は思った。
ちらちらと陽輝を伺っていた少女は思い切ったように口を開いた。
「少し訊きたいことがあるのだけれど」
「おう、なんでも答えるぞ」
「・・・・・・私があなたのクラスメイトというのは、本当?」
「そうだよ。俺と同じ深岸高校2年D組だ」
「・・・・・・・・・・・・私は学校に行っていないのだけれど」
「知ってるって。だからわざわざ家まで来たんだろ」
「いいえ、そうじゃなくて。私は学校に通った覚えはないの」
「そりゃ登校してないんだから当たり前だろ」
なんだか話が噛み合わない。陽輝の反論に少女は首を振る。
「私、その高校の生徒じゃない」
「・・・・・・どういうことだ?」
「色々あって中学を卒業したときに家出して、ここで一人で暮らしているの。高校受験もしてないし、そもそもこの街に高校があることさえ知らなかった」
「ここに一人で!?」
「一人というか、正確には一人と一匹と一羽ね」
「一匹はあの蒼い猫のことだろうけど、一匹ってなんだ? インコでも飼ってるのか?」
「ふくろうよ。いまあなたの隣にいるわ」
「は? んなわけ・・・・・・ってうわああ!」
陽輝が横を向いた途端、視界を占めた灰色の塊に驚き、椅子から落ちそうになる。
「ごめんなさい。その子、悪戯好きなの」
「・・・・・・随分と頭が良いんだな」
「下手すれば人間よりも賢いわ」
「そりゃすごい。触っても平気か?」
「どうぞ」
恐る恐る手を伸ばす。ふくろうは逃げない。グレーの毛並みはふかふかだ。柔らかくて気持ちいい。
もしかして、森の前で襲ってきたのはこいつか?
頭を撫でながら数時間前の光景を回想するも、特に意味がないことに気づいた。
「話を戻すけれど、私は学校に行っていないの。だから私があなたのクラスメイトという話は信じられないわ」
「とは言っても確かにうちのクラスに君の名前があるんだよ」
「・・・・・・同姓同名の別人じゃないかしら」
「それ、本気で言ってる?」
「可能性はゼロじゃないでしょ」
「住所まで一致しているのに?」
「う・・・・・それは・・・・・・」
美月の当惑はもっともだ。行き倒れの少年を助けたかと思えば、いきなり自分はクラスメイトだなんて夢物語も甚だしい。はいそうですかとすぐに事実を受け入れる訳にはいかないだろう。
それにしても、不思議な女の子だな。
学校に通いもせず、こんな大豪邸で一人で暮らしているなんて想像も出来ない。加えてものすごい美人。不登校が意図的なものではないとすると、お節介を焼いても良いかもしれない。
「それでまあ、本題というか、ついでというか」
咳払いして陽輝は姿勢を正す。遠回しな言い回しは苦手だ。ド直球を少女に放つ。
「夜永さん、学校に通ってみない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。それはできないの」
「理由を訊いてもいいかな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたに話す必要はないわ」
「ほんの少しだけでもいいから教えてくれないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
美月が再度謝る。その表情を見て、陽輝は自分が彼女にそんな顔をさせたことを後悔した。
きっと深い事情があるのだろう。
俺にはそれに深入りする権利がない。
ここから先は彼女の問題だ。
「わかった。立ち入ったことを訊いて悪かった。それと助けてくれてありがとう。ご飯も美味かったし」
「いいえ、そんな・・・・・・これからどうするの?」
「帰るよ。君にこれ以上の迷惑は掛けられない」
「別に朝まで此処にいても良いよ?」
「いや、家族も心配しているだろうし、明日も学校だから」
「そう・・・・・・じゃあ森を出るまでは案内するね。また迷子になっても困るし。食器はそのまま放っておいて」
「ありがとう。でも皿洗いくらいはさせてくれ。俺の気が済まない」
「律儀なのね。それならそこの扉の先に厨房があるから好きに使って」
「了解」
お盆を持って席を立つ。厨房に向かって陽輝が足を踏み出した時だった。
しばらく姿を隠していた蒼猫が突然現れたと思えば、野生の本能よろしく、華麗な超大ジャンプを披露した。
ーーーただし、着地先は陽輝の顔面。
倒れる身体、
傾く視界、
空に投げ出される白と銀の金属たち。
耳に刺さる粉砕の音を覚悟する。
しかし、
食器の割れる不協和音は陽輝の耳には届かなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・これ、は・・・・・・一体」
箸が、
コップが、
陽輝の使った食器が、
空に浮いている。
いわゆるゾーンに入ったのだと思った。交通事故などで時間がゆっくり感じられる現象。一般的には人間の脳が恐怖を感じたときに活動速度を急激に上げるために引き起こされるもの。
けれど、
浮遊物はそのままで、
身体は床に投げ出され、
蒼猫は陽輝の上でじゃれていた。
にゃあ、にゃああ!
鳴き声だけが虚しく響く。
秒針がたっぷり1周ほど回った頃、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰にも言わないって約束して」
状況が呑み込めないまま陽輝が頷くと、震えた声で彼女は言った。
「私は、魔法使いなの」