ひとりぼっちの魔法使い (その4)
獣道を歩く。
天に向かって伸びる木々が日光を遮り、木漏れ日がちらちらと足元を照らす。
360度余すところなく緑に包まれ、気分はまるでアマゾンに潜り込んだようだ。
聴こえるのは風が葉を揺らす音と鳥の鳴き声。
都会では体験できない自然の香りを陽輝は胸いっぱいに吸い込んだ。
既に森へ入ってから20分が経っている。
幼馴染をお持ち帰りしたヘタレな友人の言葉を信じるのならば、そろそろ不登校児の自宅が見えてくるはずなのだが。
「・・・・・・なんもありゃしねえ」
家屋を見つけるどころか緑は深くなる一方である。
森の繋ぎ目のような一本道も進むにつれて細くなり、今では道と呼んでいいのかわからない状態で、草のない剥き出しの土がかろうじて陽輝を導いていた。
「もうちょっとだけ行ってみるか」
それから数分後、ひとりぼっちの探検隊は退却を余儀なくされた。
立ちはだかる自然の壁。
今度は本当に進めない。
端的に言うと、行き止まりである。
いや、行こうとすれば行けるんだけど。
その場合、草を掻き分け木々の隙間を縫うように進むことになる。
探検ではない。それはもはや冒険だ。
それに携帯電話はいつの間にか圏外。
地図を確かめたくても現在地は当てにならない。
「さすがにお手上げってことで」
住所が間違っていたのか自分が見当違いの方向に進んでいたのかはわからないが、こうなってしまっては成すすべがない。おとなしく自身の無力さを受け入れよう。委員長も許してくれるだろう。陽輝は身を翻した。
実のところ、彼の困難は始まってすらいなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・・は?」
目の前の光景を疑う。目を擦るも現実は変わらない。
一本道だったはずの獣道は綺麗に3つに分かれていた。
美しささえ感じられる自然の十字路。
こんなもの、通った記憶はないんだけどな。
何も考えずに歩いていたから無意識に見逃していただけかもしれない。
ひょっとしたらこれをどちらかに曲がったら夜永さんの家に辿り着くのかもしれないが、携帯電話は圏外のままである。下手に歩き回って迷子になるのは御免だ。今回は帰宅を優先しよう。
十字路を直進する。このまま真っすぐに進めばもうじき出られるだろう、そう思っていた。
「・・・・・・嘘、だろ」
汗が背中を伝う。心臓の鼓動が加速する。
再びの分かれ道が陽輝を迎えた。ただし、今度はT字路である。
右か、左か。
記憶にない2択を迫られる。
「・・・・・・どこかで・・・・・・間違えた?」
そんなはずはない。確かに行きは一本道だった。左右はずっと緑の壁で覆われていたはず。なのに。
携帯電話は相変わらずの圏外。肝心な時に役に立たないのは機械の特権だ。
T字路の先を見通す。右も左も似たような景色が続いている。
「・・・・・・ちっ」
動揺と苛立ちを隠せないまま陽輝はとりあえず右を選ぶ。
どうせ大した距離も歩いていないのだ。
間違っていたのなら戻ってくれば良い。
同じ方角へ向かえばいつかはきっと外へ出られる。
自分に言い聞かせながら陽輝は歩調を速めた。
地獄は頭の中にあるんですよ。
そんな台詞をどこかの小説で読んだ気がする。
肯定も否定もしない。そもそも地獄があるのかすら自分にはわからない。
走りながらそんなことを考えていた。
全身は汗まみれ。靴は土で汚れている。
最初の分かれ道から1時間後。
今まで折れた道の数、およそ百。
信じられないような悪夢が陽輝を地獄へと誘う。
「・・・・・・はあ・・・・・・はあ・・・・・・っつ!」
体力も限界が近い。それ以上に彼の精神が壊れてしまいそうだった。
---まるで迷路。
いや、迷路そのものだ。
何度目かわからない分かれ道を直感で左に折れる。
先程からT字路だけでなく、Y字路や五差路、挙句の果てには8つに分かれた獣道も経験している。
進んでも進んでも出口は見えない。
日が暮れてきたのだろう、木々に隙間から漏れる光は橙色に変わっている。
左へ。右へ。直進。直進。
通った道に目印を付けるのはとうの昔に止めていた。
俺は夢でも見ているのか?
肩で息をしながら改めて四方を確認する。
来たときと同じ、緑のジャングル。
自然がこんなにも怖いと思ったのは初めてだ。
また走り出す。
鞄が軽くて助かった。
重い荷物を背負っていたら放り出すしかなかっただろう。
走る。曲がる。走る。曲がる。走る。曲がる。走る。曲がる。
名もない恐怖が追ってくる。
どれだけ進んだ?
どのくらい走った?
脚が震えている。もう限界だった。
角を曲がると少し開けた場所に出た。
草が生い茂り、木が空を覆う様子は自然のベッドだ。
「・・・・・・少し・・・・・・休もう」
大きな木の幹に身体を預けると、陽輝は瞼を閉じた。
目が覚めたのなら悪い夢から抜け出せますように。
まるで地獄に墜ちるように意識が遠のいた。