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「ディノス。採寸終わりました」
「あぁ、なら打ち合わせを始めるか」
美湖の採寸を終えたあと。
今度はディノスも含めて、テーブルを囲んでのデザインの打ち合わせが始まった。
エリーとディノスが横に並び、テーブルを挟んだ正面の席に神龍シロを頭に乗せたエリーが座る形だ。
エリーはあくまで採寸の為の手伝いでしかないので、もちろんこの場はディノスが取り仕切る。
「美湖様。今回は、年末に大神殿でする予定の神事用の衣装と、年始に王城内で開かれるパーティードレスの二着をご相談させていただければと思います」
「はい、よろしくお願いします」
「ではこちらのデザイン画をご覧下さい」
ディノスが神事用の衣装案を五枚と、パーティー用のドレス案を五枚のデザイン画を机に広げていく。
ついでに生地の参考にと、エリーがカートを押して運んで来た生地もテーブルの上に積まれた。
(ディノスの作るドレスって、どんなのだろ)
興味があって、エリーも一緒にデザイン画を覗き込む。
美湖の方から見て正しい見方に置かれているので、逆さまから見る体制だったけれど。
それでもディノスの描いたデザイン画の数々を初めて目にした瞬間、エリーは息を飲んだ。
(これが、筆頭服飾師の作るドレス。凄い、綺麗)
幾重にも重ねられた柄違いのレースや、どれだけ細やかに刺すつもりなのだと思う緻密な刺繍。
装飾になるリボンや、ボタン、宝石の指定。
どれも細やかで美しく描かれている、ただの服では収まらない。もはや芸術品だ。
全体的に洗練されているというか、隙がないというか、とにかく緻密に美しく見えるよう全てに工夫が凝らされたデザインたちだった。
「いかがでしょう。巫女様のご要望は?」
「えーと…そうですね……」
美湖の視線は、紙の上をさ迷っていた。
きっとどれを選んでも、彼女に似合うだろう。
(この人が生み出したとは思えない、緻密で繊細なデザイン。綺麗系、というか清楚系っていうのかな。本当にどれも、神龍の巫女という立場的にも、美湖様個人の雰囲気的にも、ぴったり合わせてる)
美湖は、この中からいったいどれを選ぶのか。
まだ紙の上にしかないデザイン画の数々のどれが、実際にドレスとして仕立てられるのか。
横に積まれたこの生地たちがドレスという形になるのを想像すると、たまらなくワクワクする。
エリーは待ち遠しくて、一体どれを選ぶのだろうかと美湖を見た――――でも。
(ん……?)
美湖は、素敵なデザイン画にわくわくしているエリーとは正反対に、暗い顔色をしていた。
「……どれも素敵。一人じゃ決められません」
さっき採寸したときより、あきらかに美湖の声のトーンが落ちていた。
素敵、と言ってはいるけれど、本心で話してはいない気がする。
(いや、一応は笑顔なんだけど。なんだかこう……愛想笑いしているみたいな感じ?)
どうして作り笑顔をしていると分かるのかといえば、さっき採寸の時に美湖はずっと、シロとエリーとおしゃべりをしていた。
その時の美湖の表情は、とても生き生きしていて可愛かった。
エリーより一つ年上の、普通の女の子だった。
でも今はあの明るい笑顔が、かけらも感じられなかったのだ。
心配になったエリーは、首をひねって様子をうかがう。
しかし隣に居るディノスの方は美湖の様子に気づいていないみたいで、ごく普通に話を続けた。
「美湖様のお好みは?」
「おまかせします」
「そうですか。では先に生地から選んでもらって、そこからイメージを作って貰いましょうか」
「はい」
続いて広げられた生地を眺める美湖も、エリーからみれば、明らかなつくり笑顔だ。
(なんでだろ)
エリーは気になって、心配にもなって、その理由を探してみる。
(国一番の裁縫師にオーダーメイドで好きなドレスを作っていいって言われたら、ほとんどの女の子はもうちょっと喜ぶはず。なのに、この全然全く嬉しくなさそうな反応……)
ちなみにエリーだったら、興奮で眠れなくなる。
なのに彼女はどうして突然、こんなに気落ちしてしまったのか。
彼女の様子を探って、考えて、悩んで、そうしてハッと思い浮かんでしまった。
美湖の顔と、机の上を見比べて、エリーは察してしまったのだ。
もちろん確証はないけれど。
でも、つい、声に出して聞いてしまう。
「あの、美湖さんって、さっき学校の陸上部所属だったって言ってましたよね」
採寸の時に、向こうの世界の話を聞く過程に教えてもらったことだ。
「え、うん」
「じゃあ元々は、平日は基本的に運動できる服だったと」
「平日どころか休みの日も、ジャージかTシャツジーパンだったよ。スカートなんて、制服以外はもってなかったし」
「……スカートを持っていない女性がいる世界、ですか。興味深い」
ディノスが眉を寄せて唸っている。
そう、……この世界、高位の女性は基本的に毎日ドレスを着ている。
普段着用、外出用、パーティー用と差はあっても、ドレスだ。
普段着用でもロング丈だし、あっちの世界じゃ結婚式の花嫁さんとして一生に一度着るか着ないかというようなものを毎日着ることになる。
エリーの場合は庶民なので、ブラウスとスカートなど上下分かれたものもある。
それに動きやすいように、膝下くらいまで短くしたものも許容される。
しかしそれでも、スカートかワンピースだ。
パンツルックで外に出ることなんて、乗馬や剣術をする特殊な女性くらいだろう。
(うーん。ジャージとか、Tシャツジーパンとかが普段着だった女の子が、毎日ロングドレスはしんどいよねぇ。ドレスだとコルセットも必須になってくるし、息苦しいよね。私はこっちで生まれ育ったからパンツルックで歩けないのは慣れてるけど、美湖さんは半年前にいきなり生活変えられたわけだし)
エリーはもう一度、机の上に広げられたデザイン画の数々を眺めた。
ジャージとは似ても似つかない、豪奢なドレスたち。
(うん、やっぱり――――豪華すぎる)
たぶんこれが、彼女が気乗りしない理由。
ドレスを着るということ自体が、美湖にとっては面倒なことなのだ。
毎日をジャージで過ごしていた子が、結婚式の主役かというほどに飾り立てられるのは、最初は嬉しくても二・三日もすれば疲れるだろう。
でもさすがにドレスを着ないという選択肢はあげられない。
それでもせめてもう少し、向こうの世界に近づけてあげられないかと思った。
エリーは眉を寄せつつ、ディノスの描いたデザイン画を見る。
(向こうの世界の人目線で見た、ドレス……)
エリーは、ぽつりと思い付きを呟いた。
「せめて……いかつく見える肩パッド、無くしたらどうですか」
「はぁ?」
「っ……!!」
エリーの声に、美湖がばっっと凄い勢いで顔を上げた。
ディノスは馬鹿にしたような表情をしていたが、彼女は大きく黒い瞳を瞠り、机の上に両手をついて身を乗りだす。
「そう! そうなの! そうなのよっ!! 肩パッド、嫌だったの!!」
興奮気味に放った美湖の告白に、ディノスが「は?」と呆けた。
(やっぱり)
エリーは自分の考えが間違っていなかった事を確信した。
服の肩部分の内側に入れる肩パッドは、肩幅を広くたくましくし、威厳がある様にみせるためのもの。
貴族やお金持ちの人が着るような服には必ずと言っていいほどついているし、むしろついていて当然のものだ。
しかし美湖にはなじみがないもの。
学校の制服にはもしかしたら入っていたかもしれないけれど、もっと柔らかくもっと薄く、自然な肩のラインを作るものだったはず。
こんな『肩パッド入ってます!』と主張しているデザインは、ラフな洋服に慣れた女子高生には受け入れがたいものなのだろう。
「何よりものすっごく昭和っぽいの! お婆ちゃんが昔の写真で着てた服なみの肩なの! だっさいの!」
エリーの指摘によってタガが外れてしまったのか、バンバンとテーブルを叩きながら、興奮気味に顔を赤らめて彼女は主張する。
(昭和っぽい、かぁ。服のシルエットも時代や地域によって変わってくるから、美湖様は違和感持っちゃうんだ)
なるほどなぁと思うエリーと、絶句しているディノスの前で、美湖はテーブルを何度も繰り返し叩きながら更に主張する。
勢いが良すぎて彼女の頭の上に乗ったシロが落ちそうだ。
必死に髪をつかんで耐えているようだけど。
「ただでさえドレスもコルセットも窮屈で苦しくって本当に嫌なのに! パーティードレスの時なんて普段以上にお腹絞められて死にそうになるのに! そんなしんどい思いしてまで着るのが、ダッサイドレスって! あと今流行ってるっていうドレスのパフスリーブもやばくない!? 本気でかぼちゃでも入れてんのかってくらいの主張具合なのよ! 顔より袖の方が大きいの! ちょっとアクセントで入れればいいだけなのにどれだけ袖目立たせたいのよって! 有り得ない! 恥ずかしい! ださい!」
ドレスが面倒。
コルセットも嫌だ。
何より可愛くない、古くさすぎるデザインが本当に嫌だと、宣言する。
今までよっぽど服に対して我慢していたらしい。
爆発してしまった美湖はきっと、周りを見る余裕さえももてていない。
そんな彼女のあまりの勢いに気圧されていたエリーだったが、あることに気づいて顔色を青くする。
「やばい。みっ、美湖様! 美湖様!」
「なに!?」
「っ、」
エリーはちらちらと隣のディノスを見てみせて視線で美湖に訴えた。
エリーの示した先では、ディノスが分かりやすく肩をがっくりと落とし、片手で顔を覆って項垂れていた。
(意外にも、打たれ弱いタイプなのかな)
そんな彼を見て、美湖はやっと自分が思いっきりディノスの服を批判してしまったことに気づいたらしい。
だってこの半年、パーティーや神事などの行事で美湖が着るほとんど全部の美湖の衣装を、彼が担当していたのだ。
「あぁぁぁ!」
美湖は自分の口元を覆ってうろたえ始めた。
やってしまったと、顔に書いている。
「ごっ、ごめんなさい……! えっと、違うんです、私のいたところとは文化が違いすぎて、デザインも私の感覚とは違うものが流行っていて、どうも慣れないというか……! そもそも着るのも面倒だし、もうジャージで毎日過ごしたいとか思ってしまったりとか……!!」
「つまり、今まで我慢して着ていただいてたと……」
「うぅぅぅぅ! ごめんなさい……! 皆がドレス姿が素敵ですねって言うから、自分が嫌だと思ってるなんて言えなくって……でもエリーさんが気づいてくれて嬉しくてうっかりポロッと――あぁぁぁ! ごめんなさいー!」
彼女の服の感覚を聞いて、思わずにはいられなかった。
「……やっぱり、美湖様が来た世界と私の知ってる世界、場所も時代も同じあたりみたいですね。私はこっちの、クラシカルな雰囲気が結構好みで好きなんですけど」
「え? エリーさん……?」
エリーの台詞に美湖の黒い瞳が、ゆっくりと驚きに見開かれていった。