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――――エリーは、毎日毎日毎日繕いものをしていた。
兵や、料理人や、庭師や、清掃係の制服を、ひたすら繕う。
(つっまんないし、ハード……。いくら手芸が好きでも、ここまで同じ作業ばっかりだと飽きるわよ。)
楽しくない。でも、仕事はどんどん積まれていく。
果てしなく続く繕い物に、溜息の頻度が最近ぐんと上がった気がする。
それに相変わらず手にできたマメはどんどん潰れていっていて、常にジンジンと痛んでいた。
(これを繰り返して皮が厚くなって職人の手になっていくって言われたけど、そんなの嫌だなぁ。柔らかくてきれいな女の子の手でいたい。いや、せめて汗苦しい男どものものじゃなく、スカートとかワンピース! 女の子の服を縫いたい……!)
エリーの願いはむなしくも叶わず、修繕の依頼が来るのは独身男性からばかり。
服飾の国でそだった女性は、基本的な修繕くらいみんな自分でやってしまうのだ。
制服だから、規則上オリジナルのアレンジさえ入れられない。
仕事が忙しくて、家に帰って自分のものを作る余裕もほとんどない。
好きなものを好きなだけ、好きな時間に作っていたエリーにとって、何の面白味も無い武骨な服の修繕だけをする日々は、苦痛でしかなかった。
「かっったい!」
生地の縫い目、ひときわ分厚い部分に針を通す。
思いっきり力を込めて、ふんっ! と勢いをつけて何とか通して、糸を引っ張る。
「……疲れたなぁ」
糸を引きながら、しみじみと落としたエリーのつぶやきに、隣で作業をするシンシアからくすりと笑い声が聞こえた。
「やめたくなった?」
「う……いや、でも」
その指摘に、エリーの視線がさ迷う。
「だいたい皆、一週間で根を上げるのよ。そろそろでしょ?」
「うう……確かに、不満が無いって言えば嘘になりますけど。でも……」
……趣味で好きな時に好きなものをつくってた時とは、気分が全然違う。
エリーの好みのふんわりかわいい系を手にできないのももちろん、求められる仕上がりのレベル自体が段違いで、何時間もずっと気を張っての作業を毎日するのだ。
ここ数日で肩こりを覚えてしまった。
思ってた仕事とは全然違って、がっかりした。
でも、やめたいかと言われれば、そこまでではないのだ。
「でも、うーん……食堂のご飯美味しいし。お給料はしっかり貰ってるし」
「お仕事だもの、お給料は当然よ」
「まぁ、そうなんですよ。疲れるけどちゃんと対価はある。それに、他の先輩たちは会話なく作業に没頭してるから良く分かんないけど、傍にいてくれるシンシアさんは、凄くいい人だし」
「まぁ、嬉しい」
はにかんだシンシアに、エリーにも少し笑みが戻る。
そう、しんどいと思うことも多いし、理想とは違うけど。
仕事場としてはきっと恵まれているはず。
「想像と違ったけど、でも働くって、ほんとはたぶん、こういうことなんだろうなぁって」
「そうね」
妥協と現実を覚えて、なんだかちょっと大人になった気分だ。
ひらひらきらきらなドレスなんてまったく触らせてもらえてない。
洗っているのにとれない泥汚れや汗染みがわずかに見える兵の訓練着ばかり手にしている、理想とは全く違う職場。
けれど、まぁやっぱり、悪いことはないのだ。
「でも、ドレスが触れるまで最低でも一二年かぁ、長い。これだけは長すぎる」
ずいぶん遠くになった気がするドレスづくり。
それでも就職してしまった以上、そこを目指して今日もひたすら服を直すしかないのだ。
――別に、特別にこの仕事に思い入れがあるわけじゃない。
でもやめるほど苦しいわけでもないし、そもそも辞めたらまた毎日お隣さんに神経を張り詰める日々が待っているだけだから。
それよりも、ここで仕事をしている方がずっとましだと、エリーは思った。
* * * *
ひたすら破けた服や、擦り切れた服や、裾の短くなった服なんかを直し続けていた。
そんなエリーに、初めて服の修繕以外の仕事が来たのは、城で働いて丁度二か月目のこと。
とは言っても、ただの雑用だったのだが。
「誰か、手は空いているか」
その時、低くて重い声が服飾部の作業室で響いた。
「はい? あ、ディノス」
エリーが振り返ると、開いたドアから服飾部代表のディノスが顔を覗かせて立っていた。
相変わらず髪も髭も不精したボサボサ具合。
前髪の間から覗く瞳でギリギリ表情が分かる程度の有様だ。
(そういえば今、服飾部作業室に居るのって私だけだった)
今はお昼どき。
皆、お昼ご飯の為に出払っている。
エリ―は今日は母がお弁当を持たせてくれたので、食堂に行かず作業室で食べて、ちょうどお茶を飲みつつまったりしていた頃合いだった。
「はい、何でしょう」
自分一人しかいないので、返事をしないわけにはいかない。
エリーは席を立って、扉の方へと早足で向かった。
せっかくの昼休みに何か用事を言いつけられるのではと、内心は少し面倒に思いつつ彼の前に立った。
「新人か」
「はい。新人ですけど……先輩方ならもう十五分ほどで戻ってくると思いますが」
「時間が間にあわん。まぁ、大丈夫か。これから巫女様のところに行く。付いて来い」
「巫女様……って、え? 神龍の巫女様のところにですか? 私が?」
「そうだ。それを持ってこい」
それだけ言って、ディノスは身体を反転させて歩きだそうとする。
それ、と言って顎で指されたのは、ディノスがここまで引いてきたらしいカートだ。車輪付きの荷台のようなもの。
カートの上にはロール状に巻かれた生地が何本も、それこそ山のように乗っていた。
(荷物運びはともかく、行き先が神龍の巫女様のところってどういうこと……!)
ぐるりと高い塀で囲まれた王城の敷地内に、城と大神殿は並んで立っている。
服飾部は、城に住まう王族の他に、大神殿に住まう巫女や神官の衣装も担当しているのだ。
その大神殿に、半年前に国の守り神である神龍が異世界から召喚した、神龍の巫女が住んでいることは知っていた。
でも巫女のいるような神殿の奥の方になんて、もちろん簡単に立ち入ることは出来ない。
だって神龍の巫女は、神龍と同じく尊き存在。一般庶民のエリーが会ったことなんて、もちろん無い。
(いきなり巫女に会うなんて、心の準備くらいさせて欲しいんですけど!)
巫女に相まみえるなんて、王様に会うのと同じくらい貴重なことだ。
何の説明もなくそこに連れて行かれることにぎょっとして、エリーは慌てて彼の服の裾を引いた。
「ちょっ、ちょっと待ってください!!」
少し強引に主張しないと、この上司は耳を傾けてくれないと、この二ヶ月でもう知っている。
「せめて何しに行くのか教えてくださいよ! ディノス!」
「…………」
面倒くさそうに横目で見られたって、ここはめげてはいけないと気合いをいれる。
ちなみに彼を呼び捨てにするのは、周りの服飾部の人がみんなそうしているから、エリーも合わせてのことだ。
「こ、心の準備もありますし! 巫女様なんて、ど、ど、ど、どうすれば……!」
「気さくな方だ。何も問題ない」
「う……」
――この男、ディノス・ブリークは、服飾部の代表だけあって実力だけはあるらしいが、不愛想で無口でコミュニケーション能力に欠如している。
そのくせに仕事に厳しくて駄目だしばかりだから、職場環境に辟易してやめる者が多数いると聞いていた。
彼は個室の作業室を持っているから、エリーとの関わりはほとんどなくて先輩たちに噂で聞くくらいだが、この様子だと本当なのだろう。
エリーは無口さに負けないため、口を大にして主張する。
「本当に、このカートに乗った材料を運ぶだけですか? 他に何か仕事は!? 道具とか、準備もいるのではないですか!?」
「……巫女様の衣装づくりの打ち合わせだ。採寸もするから女がいる。お前でも出来るだろう」
「採寸……では、メジャーが必要ですよね?」
「あちらにもあるだろうし俺も持ってる。まぁ使い慣れたものが有るなら持ってこればいいが。……さっさと来い」
「わ、分かりました」
一応、理由には納得した。
エリーは急いで席に戻ると、メジャーと筆記用具を手に部屋を出る。
先ほどディノスに言われたカートに積まれた生地の上にそれを置き、押しながら彼の後を追いかけた。
「お、重っ……!」
必死にエリーがカートを押しているのに、それを命じたディノスは小脇に紙の束を少し抱えているだけ。
(下っ端だから、荷物運びは仕方ないんだろうけど……!)
それでも罪悪感を盛って少し手伝ってくれるくらいして欲しいのにと、エリーは思いながらも、必死にカートを押してついて行くのだった。
「早くしろ」
ガラガラガラガラ、思いっきり力を込めて生地が積まれたカートを押すエリーに、少し先を歩くディノスは冷めた目をちらりと向けて言う。
必死で頑張ってるのに。全速力なのに。
苦労してるのなんて見てわかるだろう。手伝って! と怒鳴ってやりたいけれど、服飾部で一番偉い人に流石にそれは出来ない。
でも不満は全然隠さずに、むっと唇を突き出しつつ。
エリーは速度を上げるために更にお腹の底から、必死に力を振り絞った。
「よっこいしょー!」
「……」
「はあ、重い……重いなぁ」
「……」
ちょっとだけ……いや、結構はっきりとワザとらしく一人で愚痴を吐いてみたけれど、無反応だった。
(せめて煩いとか、突っ込んで欲しかった。ーーはぁ、この人、ほんっとうに無愛想だなぁ。冗談を交わすとか、日常会話をするとかも、諦めた方がよさそう?)
ディノスは見た目が怖くて、背が高くて大柄。
さらに無口で不愛想。
それだけでも近寄りがたく思うのに、会話さえ難しいとは。
(お役目として、毎日短時間ずつ、作業を見に回ってくるけど、言う事ちくちく細かくて厳しいし)
先輩のシンシアから問題ないと言ってもらえた修繕済みのものを引っ張り出して、雑だ、やり直しだ、なんてことを何回も何回も言うのだ。
エリーには普通に綺麗に出来ていると思うものに、駄目出しをされる。
仕事に厳しすぎるし、そのうえ雑談さえ交わさないこの態度。
(うん。あんまり好きじゃない! っていうか、苦手なタイプ!)
改めて服飾部代表のディノスを、自分の中でそう位置づけたエリーは、着いた大神殿の建物へと足を進める。
そして神殿に一歩入ったとたん。
「わ……?」
空気が、がらりと変わったような気がした。
胃の中に勢い良く清純な気が流れ込んでくるような、体がなにか柔らかで温かいものに包まれたような、感覚。
ここは神様に守られた場所なのだと、肌で感じさせられた。