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 翌朝、エリーは少し緊張しながらも初めての出勤をした。




「よし、出勤時間の十五分前到着! ちょうどいいくらいだよね?」


 もし他の人がもっともっと早く来ているようなら、明日からの家を出る時間を見直さなければ。

 そんなことを考えながら、エリーは目の前にそびえる王城の門を見上げた。


「正門じゃないのに、普通に大きいなぁ……」


 上の階級の人たちや客人は馬車で正門から出入りするけど、普通に働く人たちは東側にあるこの門から出入りするらしい。

 門の脇では、門番をしている兵が、通ろうとする人たちの手首を一人一人チェックしていた。

 皆の手首にかけられたブレスレットを見ているのだ。


(確かこのブレスレットが、城で働く人の身分札になるんだっけ)


 エリーも他の人に習い、三人ほどが並んでる短い列の後ろについた。

 身分札になるブレスレットは、細い白銀製で普通にシンプルなアクセサリーに見える。

 小さな赤い石が一つ埋め込まれていて、その石の中に持ち主の情報が入っているらしい。


「はい、見せてねー」

「はい」


 

(これ、西の方の『魔術の国』が開発したものって聞いたけれど、一体どうやって情報を入れてるのか、どうやって読み取っているのかは、さっぱり分からないんだよね)


 けれど門番の人は見ただけで識別が出来るみたいだった。

 エリーのブレスレットを覗きこんだとたん、彼の口元が柔らかく緩んだのだ。


「今日が初出勤のお針子さんか。頑張ってね」

「わぁ、今日からとか、そんなことまで分かるんですね。凄い……が、頑張ります!」

「ははっ。あぁ、そうだ。はい、簡単な見取り図あげる。服飾部はここ、二階の東棟端だよ。あと立ち入り禁止の区画は、早めに覚えた方がいいよ」

「有り難うございます!」




 頭を下げて門を通過したエリーは、受け取った見取り図の通りに歩いていく。

 不慣れな場所なのでゆっくりではあったけど、迷うことはなかった。

 そしてやがて、二階の奥に服飾部作業室と書かれたプレートの貼られた部屋を見つけた。


「ここが、今日からの職場かぁ。なんか緊張するかも」


 ドキドキしながらドアノブを回して、そっと中を覗き込む。


「すみませ……、っ……!」


 

 そこに広がっていた光景に、エリーは新緑色の瞳を見開いた。


(凄い……すごいすごい!)


 中にいる人に声をかけることなんて忘れるくらい、魅入ってしまう。


 エリーの目に映るのは、六人ほどがかけられる大きさの作業テーブルがいくつも置かれた、広い部屋。

 壁は天井まで届く造り付けの棚がもうけられていて、その棚のほとんど全部に手芸材料が詰められていた。


 小さな引き出しが沢山ついた方の壁棚には、引き出し一つ一つにビーズやボタンの種類や色、大きさが文字で書いてある。


(全部あけていきたい。中を順番に眺めるだけで、三日は遊べるわ)


 しかも吹き抜けの二階構造になっていて、一階部分だけでなく、見える限りでは二階部分も壁全部が材料入れになっているようだった。



 あまりの光景に、エリーはゴクリと唾を呑み込む。

 美しく整理整頓されたカラフルな手芸材料が視界一面に広がる、今すぐに何かを選んで手に取って作りたくなってしまう、そんなただただ素晴らしい空間だった。



(王都で一番大きな手芸屋さんより、ずっとたくさんの材料がそろってる! ここに暮らしたい!)


 暮らすのは無理だけど、これから毎日通えるのだと思うと心が踊った。


 そんなふうに興奮気味にきょろきょろと見回したエリーだったが、一画に置いてあったひときわ大きなものにはっと気づく。


(もしかしてあれは、近ごろ噂の足踏みミシン……!)


 たぶんお隣の『機械工学の国』と呼ばれる地から輸入されたのだろう。

 この国の工業技術ではまだ作ることさえできない、最新の機械だ。


(手で縫うよりずっと早く縫物が出来る、お針子にとって夢のような道具。あれを、使えるの? 使ってもいいの!?)


 一般庶民には絶対に手が出ない価格の憧れの品に、エリーは鼻息荒く興奮しっぱなしだ。うっかり鼻血でも出そうなくらい、手芸好き人間にとってこの空間は素敵すぎた。


 

「あら、どなたかしら」


 感動の光景のあまりに言葉も出ずに魅入っていたエリーに、テーブルで作業をしていた女性の一人が気付いてくれた。

 立ち上がって近寄って来てくれた、はちみつ色の髪と瞳をした女性に、慌てて頭を下げる。


「はっ、はじめまして! エリー・ベルマンと申します。今日からこちらで、針子見習いとしてお世話になります!」

「あぁ、聞いているわ。私はシンシア。シンシア・ローゼ。基本はレース職人なんだけど、ちょっと人手不足もあって……針子も兼任しているの」


 ちなみに服を作る人の中で、女性は針子(はりこ)、男性は裁縫師と一般的には呼ばれている。

 正しい職業名的には女性も『裁縫師』が正しい。

 けれどもう針子呼びが浸透してしまっているので、なかなか変わらないだろう。



 そのまま流れで、エリーはシンシアという女性の先輩に、作業室を案内してもらうことになった。


 部屋の中では四人ほどがそれぞれ作業をしているようだったが、皆真剣な表情なので今は声をかけない方がいいのかも知れない。

 そもそも誰もが手元から目を離す様子がなく、近寄りづらい。



 ……どこにどんな種類の材料があるか。

 ミシンの基本的な使い方などをシンシアに教えて貰ってから、二人で作業机の椅子に並んで腰掛けて息をついた。

  

「大体、場所の名前は憶えてくれたかな? 分からないことはなんでも聞いてね」

「はい、有り難うございます」

「じゃあええと、最初は何から始めようかな」

「何でも! 裁縫の腕にだけは自信あるので、何でも任せてください!」


 見渡す限りの手芸用品に囲まれて興奮気味のエリーは、やる気満々でいた。

 この部屋に所狭しと並んでいる生地や材料をつかって、どんなに素敵なドレスを作れるのか。

 どんな仕事が自分を待っているのか。

 楽しみで、ワクワクして、仕方がない。


 見るからにそわそわするエリーに、シンシアはくすくすと笑った。


「あら頼もしい」


 十六のエリーより五歳年上らしい彼女は、そこでなぜか「あ」と口を開けて、どこかを見上げた。

 

(何を見ているの?)


 不思議に思って、エリーもシンシアの視線をたどろうとした時。


「っ!?」


 バサバサバサッ――ー!!!


 いきなりエリーの頭上に、大量の何かが降って来た。


「エリー。だ、大丈夫?」

「な、何ですかこれ!? 布!? いや服!?」


 エリーは降って来たものを、大きく腕を振って体を捩ってどうにか振り払う。

 視界をふさぐものだけでもと思ってどうにか避けたけれど、その時にはもう、自分の身体半分が降って来た服で埋まっていた。

 どうやら背後に立った誰かが、エリーの真上からこれを落としたらしい。


 しかもエリーの上に落とされた布の塊は、周りにしまわれたカラフルで素敵なものとはものが違う。

 ベージュ色の何の変哲もない生地で出来たものだった。

 それどころか、ところどころほつれさえある、ものすごく使い古した感満載のものだった。 


(これは……いやがらせ……!?)


 古服を人の頭に降らせるなんて。


 どう考えたって、馬鹿にされているとしか受け取れない。


 気の強いエリーはカッとなって、抗議しようと眉を吊り上げて振り向いた。


 だって喧嘩は、最初が肝心なのだ。

 大きな声でけん制してやるのだと、思いっきり息を吸って、口を大きく開く。

 しかし声を発するギリギリ手前で、喉が引き攣り、固まってしまった。


(何……?)


 そこにいた男の出で立ちが、王城というきらびやかな場にあるにしては異様過ぎたからだ。


 

(このおじさん、大きくて背が高いだけでも威圧感あるのに。伸びっぱなしのぼさぼさの髪に、伸びすぎな無精ひげ。ふ、ふしんしゃ……?)


 せめて綺麗に櫛を通せと言いたくなる、伸びっぱなしのこげ茶色をした前髪のすき間からは一応青い目が覗いていた。

 しかしその目つきも悪くて怖い。

 鋭く細められている上、眉間には深い皺が刻まれていた。


 エリーみたいな小娘がむやみやたらに突っかかって、大丈夫な相手な気がしない。

 絶対に、喧嘩を売ったら駄目なやつだと本能で察してしまった。

 エリーはたじろぎながら、開いていた口を引き結び、相手を見上げる。


「……」

「…………」


 そうやって目が合ったまま、互いに無言が続いてしまう。

 狼狽するエリーに、愛想笑いさえなく、男は本当にただ怖い表情で見下ろしてくるだけだった。


(……完全に見た目は不審者だけど。でも、そんな人が城で堂々としているはずもないし)


 なにより、髪も髭も伸びっぱなしのぼさぼさだけれど、着ているものは普通に清潔感がある紳士服だ。

 整えていない髪と髭と比べて落差がありすぎる。

 しかも良く見ると、かなり上質な生地で出来たの服のようだった。


(一体、何者……)


 訳が分からない。

 怯えたエリーに出来ることは、服に埋められたまま椅子の上に乗せたお尻をほんの少し後ずらせることだけだった。


 服を上から落としてくるという、痛くはないが明らかな嫌がらせをしてくる相手。

 次にどんな行動をとってくるのか、予想が出来なかった。

 そんなふうに警戒心丸出しでいたエリーに、助け船をだしてくれたのはシンシアだった。


 立ち上がったシンシアは、座ったまま警戒心剥き出しでいるエリーの肩にそっと触れて示してくれる。


「おはようございますディノス。彼女が今日から入って来た、新人のエリー・ベルマンさんです」

「……あぁ。例の見習いか……ならそれを」


 それを、と、さっきエリーの上に降らされた、今エリーが半分埋もれてしまっている布地の山を男は顎でさす。

 話す声は、ずいぶん低く響く重音。

 しかも素っ気なさにもほどがある淡々としたものだったし、何よりちらりと向けてくる視線に迫力があって、エリーは息をのんだ。


「繕っておけ」

「つくろ、う……?」


 おそらく彼が指したのは、お世辞にも綺麗とは言い難い、この着古した服のこと。


「修繕依頼のあった、兵の訓練着だ」

「はぁ」

「夕方までに仕上げて第三兵舎へ届けろ。シンシア、教えておけ」

「了解しました」

「え、あの?」


 こっちの返事も質問も、待ってくれる様子はない。

 冷たく言い捨てたあと、男はあっさりときびすを返して部屋を出て行ってしまった。

 どうやらこの服の山をこの部屋に届けに来るのが、彼の用事だったらしい。

 

「なにあれ」

  

 背中が消えたあと、一方的な物言いに反発心がわいてしまったエリーは眉を寄せた。

 そんなエリーにシンシアは服を掻き出してくれながら肩をすくめてみせる。


「あれが我らが服飾部のボス、ディノス・ブリークよ」

「……ボス。あれが!?」

「実力はあるけれど、すごく厳しい人だから、あの人の前では特に気を引き締めてね」

「はい……でも私、なんで服で埋められたんですか」

「ご、ごめんなさい。ちょうどそこ、いつも洗濯室から上がってきた修繕品の、一時置き場みたいになってるのよ。エリーが小柄だから見えなかったんじゃないかしら」

「えぇ? 確かに背は小さいですけど、目に映らないほど!?」

「まぁ、元々あんまり周りに気を遣わない人だしね……」


 ふうとため息をついて、シンシアは視線を横へそらした。

 とろりとした蜂蜜色の瞳には、疲れが垣間見える。


「く、苦労されてるんですね……?」

「態度が良くないでしょう? 怖がって、新人さんがすぐ止めちゃうのよ。おかげで残ってるのは、ごらんの通り周りをまったく気にしないで自分の世界にのめり込むタイプの人ばっかり!」

「あぁ、なるほど」


 今日初めて出勤してきたエリーにも一切興味を示さず、作業に没頭している室内の人たちの姿に納得した。


 そしてドキリとする。

 手芸に熱中し過ぎて周りが見えなくなって、うっかり奇声をあげたりしちゃう自分も、似たタイプだと思ってしまった。

 というか、むしろ黙々とやっている彼らより、叫んじゃうエリーの方が重傷だ。


(仕事中に大声出すのは、さすがに抑えるように気を付けないと……うん)





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