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後ずさってしまったエリーは、もう一歩、下がってしまいそうになる。
でも、なぜかジョナサンの奥さんは両手でエリーの手を握り、その場に押しとどめた。
エリーはびっくりして彼女の顔を見た。
(怒って……ない?)
エリーの手を握る彼女の手はいつでも振りほどけるほどの優しい力。
さらに表情はとても柔らかいものだ。
何の、敵意も感じない。
どうして。
元婚約者に嫌な気がしないわけがないのにと戸惑うエリーに、彼女は口を開いた。
「さっきも言ったけれど、ジョナサンはほんとうに、いつもエリーさんのことを話しているのよ」
「ジョ、ジョナサンが?」
「そう。子供の頃からずっと一緒の、頼もしい幼馴染だって。転んで泣いていたら、手を貸してくれて怪我の手当までしてくれたこと。誕生日に、初めて刺繍したハンカチをくれたこと」
呆けているエリーの前で、ジョナサンの奥さんはくすくすと思い出し笑いを漏らす。
「あとは、近所のいじめっ子から、宝物の本を取り返してくれたこととか。恰好良い、頼もしい、大好きな幼馴染なんだって」
「待ってリン」
「あら。余所で幼馴染の自慢をしまくっているのを本人に知られるのが恥ずかしいのかしら」
「う」
「エリーさんが城で働くって決まった時なんて、さすが僕の幼馴染だ! っていろんなところに自慢して回ってたのよ?」
「リ、リン!」
恥ずかしそうにするジョナサンに、リンと呼ばれた彼の奥さんがくすくすと笑う。
エリーはそんな彼らを前にただ呆けていた。
(まさか、夫婦で元婚約者のことをそんなふうに話題に出してたなんて)
妻からすれば、エリーに複雑な気持ちしかないだろうに。
しかもお隣さんなんて、嫌でしかないだろうと思ってたのに。
今、目の前にいるリンは、エリーに本当に親し気に接してくれた。
しかも、そんなにジョナサンが自分のことを自慢に思っていてくれてたなんて、初めてしった。
そしてジョナサンの手の中にあるエリーからの贈り物を再びとっくりと見るリンは、嬉しそうに言うのだ。
「本当に可愛いくて素敵なコサージュ。おめでとうって、思ってくれる気持ちが伝わって来るわ」
「リン、さん……」
「嬉しいわ。ぜひ、生誕の儀でうちの子につけさせてくださいな」
可愛く……ほんとうに可愛い笑顔でそう言ってくれる、リン。
(普通は、元婚約者の話をそんなにされたら嫌だと思うんだけど)
でも、リンはエリーをジョナサンの『大切な幼馴染』として、受け入れてくれてるようだった。
さらにエリーの贈ったコサージュを凄くあっさり受け取ってくれてしまった。
エリーは確信した。
(この子――――とてつもなく、いい人だ……!)
目の前にして、思ったのだ。
纏う空気が、ジョナサンに似ている。
優しくて、強くて、心の広い人なのだとも分かってしまった。
彼女なら、ジョナサンがもっていかれても仕方がないと、納得してしまえた。
だって、二人並んでいる姿はとてもお似合いだったから。
チクリと、胸が痛まなかったかといえば嘘になるけど。
「っ……リンさん」
覚悟を決めたエリーは、自分の手を握る続けてくれていたリンの手を強く握りかえした。
豆だらけのエリーの手とはまた違う、少しだけ荒れた、家事と店の仕事を頑張っている人の手だった。
小首をかしげているリンを真っ直ぐに見つめる、エリーの新緑リオの新緑色に瞳は、キラキラに輝やいていく。
「……私、リンさんとも、仲良くなりたい……です」
「まぁ」
お隣さんと気まずいのは、もう嫌なのだ。
そんなエリーの言葉に、リンは笑顔で頷いてくれる。
「私もよ。お話しで聞いてただけでも、頼りがいのある素敵で可愛い子だって知ってたけれど、実際に会うともっと好きになったわ。それにこんなに気持ちのこもったものを贈ってくれる、とってもいい子。仲良くしてちょうだい」
続けて、ずいぶんゆっくりとした口調になって、リンは告げた。
「ジョナサンを、好きになってくれて有り難う」
「っ……」
引きつった息が漏れた直後、あぁ、ばれてるのだと理解して、エリーは肩から力を抜いた。
(きっとジョナサンにも、知られてた)
さんざんただの兄弟みたいなものと言い張っていても、本当に回りかわ見ればただの強がりだったんだろう。
だからこそジョナサンは、婚約破棄の時にあんなに一生懸命に謝ってくれた。
エリーは一度瞼を伏せて、小さく深呼吸したあと。
(……大丈夫)
ゆっくりと瞼を上げて、何の気負いもないふっきれた満面の笑顔を二人に向けた。
「ううん。 私、ジョナサンよりリンさんのことの方が好きになったから! 何の問題もないです!」
「まあまぁ。うふふ」
冗談半分、本気半分で宣言すると、リンは本当に嬉しそうにしてくれた。
そしてエリーにおずおずと聞いて来る。
「あの、ねぇ、私、実はお裁縫が苦手で……何かこつとか教えてくれないかしら」
「是非! 今度お裁縫会しましょう!」
「まぁ楽しそう!」
エリーのリンは、ずっと手を握り合ったままお互いに見つめ合い笑い合う。
そして赤ん坊の服が作りたい、よだれ掛けも役に立ちそう、子どもと出かける為に機能的なバッグも捨てがたいと、色や形について盛り上がる。
手芸の話が出来る同じ年頃の女性がお隣さんになっただなんて、普通に嬉しいこと。
ついつい手芸について盛り上がって話し込む二人の間に、傍に立ち続けているジョナサンの入る隙は、もはや無かった。
* * * *
ジョナサンと彼の奥さんであるリンと向かい合ったことで、エリーは初恋に区切りを付けた。
もうまったく胸が痛まないといえば嘘になる。
けれど、きちんと終わらせられたと思う。
これからは、わざと生活時間をずらす必要もないのだ。
それからエリーは、曜日によっては朝に外の掃き掃除に出ている彼らに朝の挨拶と雑談をしてから出勤するようになった。
さらにしばらくの月日が経って、巫女のドレスを担当したということで、少しだけ技術を認められたのか、エリーは年末年始用で人前に出ることの多い王族の衣装を作る手伝いもさせて貰えるようになった。
ただし、破いた兵の訓練着などの繕いものがやっぱりメインではあるけれど。
エリーは、真面目に仕事に明け暮れた。
その間に、年末はあっと今に過ぎ去っていく。
毎年暮れの最後の日に、神殿ではその年に生まれた子供達に神の祝福を授けるための神事が行われてきた。
『生誕の儀』と呼ばれるもので、国内各地に何百もあるどの神殿でも受けられる。
王都では王城敷地内の大神殿で執り行われるのだが、今年は神官長ではなく龍神の巫女である美湖が、子供たちへ順番に祝福を贈るらしい。
筆頭服飾師ディノスの作った祭事用の純白の正装に身を包んだ美湖はとても美しく、傍らに寄り添う神龍はとても威厳溢れるいでたちだったと、出席した子供の親たちは興奮気味に口々に話すのだった。
――そして、年が明けてから三日目のこと。
新たな年の幕開けに、周囲は沸き立っていた。
そんな中、夕方から王城の大広間で始まる新春パーティーに向け、エリーは美湖の身支度を手伝っている。
「……いいねいいねぇ」
エリーはドレス姿の美湖を五歩ほど離れた場所から眺め、緑の瞳を煌めかせたいた。
「美湖様、回って回って!」
「こう?」
くるっと回って見せてくれた美湖……ではなく翻ったドレスに歓声を上げ。
「いいねぇ。次、広げて!」
「はい!」
裾を摘まんで揺らしてもらった、その生地の艶やかさにうんうんと頷いた。
「さいっこうです!」
思わず手を握りこんでガッツポーズを決めてしまう。
ついに、エリーのドレスが使われる時が来たのだ。




