15
食堂での飲み会を終えたあと、エリーはご機嫌で城内を歩いていた。
「ふんふふーん、ふふんっ」
鼻歌が、すごく上手く歌えてる気がする。
身体がふわふわして、足取りも軽い。
火照った頬に、夜風が心地いい。
気分が良くて、両手を上にうんと伸ばして笑いを漏らした。
「はあー! 楽しかったー!」
周りはたまに警備のための衛兵が通るくらいで、人気はほとんどなかった。
しんと静まり返った広い空間で、エリーの大きな声は良く響いてしまい、背中から呆れたディノスの溜息がした。
「あれだけ飲めるとは恐ろしいな……」
「えぇ、実家の食堂に来るおじさんたちにちょいちょい飲まされるので、まぁ慣れてますしね」
「家が食堂なのか」
「はい。お父さんの作るご飯、すっごく美味しいですよ。サービスするので今度来てください」
「考えておく」
「でも、ディノスは勧められるお酒、全部断ってましたけど、弱いんですか?」
結局彼は、最初から最後まで宴会に交わることはなかったのだ。
酔っぱらって強気で愉快な調子になったおじさんたちに何度勧められても、負けることなく固辞していた。
おじさんたちと肩を組んで国歌を歌いだしたエリーをとても哀れそうな目で見ていた。
今も同じように、青い瞳は頭の残念な子を見るかのように、こちらを向いている。
「私は静かに飲むのが好きなだけだ。誰とでも酒を飲み交わせるお前とは違う」
「ははっ、っぽいですね。――あ、じゃあ私、作業室に荷物だけ取りに行って、そのまま家に帰りますので。お疲れ様でした。色々と有り難うございました」
久しぶりに騒いだことと、酒によるふわふわとした感覚によって上機嫌なエリーは、ディノスに向かって頭を下げた。
助けて貰ったと思うから、ここはきちんとと思ってしっかりと下げた。
なんとなくシフォン生地への刺繍のコツも理解出来た気がしなくもない。
それに、久々に楽しい時間が出来て息抜きにもなった。
あのまま一人でドレスとにらめっこしていたら、今頃頭を抱えて絶望していたかもしれない。
「……」
しかしエリーのお礼の言葉に、ディノスは頷くことはなかった。
「……ディノス?」
返答が無かったことを不思議に思って顔を上げると、彼はとても微妙そうな顔で片眉を上げる。
「歩いて帰るのか」
「え、はい。乗り合い馬車も、もう終わってますから」
「……家まで届けてやる」
「え……? いいんですか?」
「ついでだ。同じ方向だからな」
「あ、有り難うございます」
比較的治安はいい王都中心部とはいっても、やっぱり一人で夜道を歩くのに不安がないとは言えなかった。
「えっと、じゃあ……よろしくお願いします」
「あぁ」
不愛想で無口なうえに、髪も髭も伸びっぱなしの不審者な見た目なのに。
仕事で息詰まるとちゃんと助け舟を出してくれる。
しかもエリーが一人で夜道を帰ることを案じて、送ってくれるとまでいう。
親切なことをしてくれるたびに、なぜか不機嫌そうな顔に迫力が増すのは、もしかすると照れ隠しもあるのだろうか。
分かりにくいけれど、それなりに優しいところもある人なのだと、エリーはこの夜、今まで知らなかった彼の別の面を知ってしまったのだった。
* * * *
ディノスの馬車は、派手さは無いがとても上質なものだった。
馭者の男に促されるまま、エリーはふわふわの椅子に腰かける。
何度か身じろぎして落ち着く姿勢をみつけてから、馬車の中を見回した。
艶々に磨かれた木で出来た馬車内は、枠組みや壁部分に細かな模様が入っていたりする。椅子やクッションも、触れると上質な生地でカバーしているのだと分かる。
やっぱり国一番の裁縫師らしく、センスが良い人なのだと関心している間に、ディノスが正面の席に座った。
同時に、馬の嘶きが聞こえ馬車がゆっくりと動き出した。
「……」
「……あー…えーっと、ですね」
馬車の中というとても狭い空間に、二人きり。
無言でいるのは気まずくて、エリーは思いつたことをとりあえず口にしてみる。
「そういえば、ディノスはどうやって、今の技術を身に着けたんですか?」
「……どうとは?」
「だって、まだ三十に届いてないってシンシアさんに聞きました。二十代で国で一番の裁縫師になるなんて、凄すぎるじゃないですか。先代の代表は五十代後半でやっとその地位に入れたらしいですし」
どういう事をしてきて今の貴方があるの? なんて、良くある雑談だ。
エリーは、ただ間を持たすために、軽い気持ちで口にしただけ。
どんな練習方法をしてきたとか、一日何時間勉強したとか、そんな答えが返ってくると思ってた。
なのに。
返って来た声は、いつもよりもっと重い響きを持ったものだった。
「……俺は、孤児院で育った」
「え」
エリーは新緑色の瞳を、ぱちりと瞬いて彼を見上げた。
ディノスの視線は、窓の外を向いている。
「親の居ない捨て子が生き残るのに、この国で一番手っ取り早くでかくなるには、裁縫の技術を磨くことだった」
「…………」
「それだけだ」
確かにこの国では、どんな生まれであっても針と糸と努力でなりあがれる。
ただ、ディノスは手っ取り早いと言っているが、城の服飾部は相当競争率も高く狭き門なのだ。
だからエリーも見習いとはいえ、城への就職案内が来た時に凄く驚いた。
世界で一番の服飾文化を引っ張るこの国一番の、裁縫師。
ディノスは人並みの努力では昇り詰めることなんて到底出来ない場所に、たったの二十代で上り詰めた人。
どれだけの苦労があったのか、どれだけ努力をすればそこにいけるのか、興味が無いわけではない……が。
(これ以上、聞いたら駄目なやつだ)
「そうですか」
ただの上司と部下。
親しい関係でもなんでもないのに、これ以上彼の重い部分を引き受けられる自信が、エリーにはなかった。
エリーは微笑みを浮かべて、そのまますぐに話を美湖のドレスについてに切り替えることにする。
「あの、ドレスの縫い合わせ方で質問なんですけど……」
たぶん、彼自身もこれ以上に深いところを教えてくれるつもりはないのだろう。
淡々として表情も読めないままだったが、突然話題が変わったことを指摘することもなく、エリーにドレス図栗についての知識を話して聞かせてくれるのだった。
しばらくすると、窓の外はよく見慣れた近所の景色に移り変わっていた。
「……ほら、御者に細かい場所を指示してやれ」
「あ、はい」
ディノスに促されたエリーは、馬車の小窓を開けて辺りを見回した。
真夜中なので視界は暗いが、迷うことはない。
「やっぱり馬車だと早いですね。すみません、御者さん、ここを右に行った商店通りの食堂です。まんぷく食堂っていう。えぇそうです、時計屋の三件となりの」
家は近いので、あっという間に家の前についた。
エリーが軽やかにジャンプして馬車から飛び降りると、肺の中に一気に新鮮な空気が流れこんでくる。
ついでだと彼は言うが、多少なりとも回り道はさせているだろう。
エリーは振り返って、ディノスへお礼を言う。
「ディノス。有り難うございました、おやすみなさ……」
「エリー」
「っ!」
馬車の扉を閉めようと手にかけたと同時に、後ろからかけられた声に、エリーは大きく肩を跳ね上げた。
ーーーー間違えることなんて、絶対に無い人の声。
「……っ」
おそるおそる振り返ると、柔らかな笑顔を称えた幼馴染が立っている。
腕の中には、ふにゃふにゃと少しぐずっている赤ん坊が抱えられていて、それを目にしたエリーは全身を強張らせた。
(初めて、赤ちゃんみた……)
話には聞いていたし、泣き声も聴こえていたけれど。
彼が『父親』になったことをあまりにも不意打ちなタイミングで実際に突き付けられるなんて。
何の心も準備も出来ていないのに。
エリーの動揺になんて全く気付かないらしい、のんびりおっとりが常の幼馴染は、いつも通り柔らかく微笑んでいる。
「やぁ。久しぶりだね」
「ジョナサン……」
就職して以来、完全に生活時間帯がずれているので一度も会っていなかった。
しかしエリーの記憶の中にある、ふんわりした人好きのする笑顔は変わっていないようだ。
「これ。おすそわけ。林檎たくさん貰ったから、今持って行くところだったんだ」
彼が子供を抱いていない方の手に持っていた紙袋を受け取る。
中からはみずみずしい赤色が覗いていた。
「そう……有り難う。おいしそう」
「食べごろだから明日の朝にでもどうぞ」
「えぇ。―――可愛い子ね」
会話しながらも、自分が上手く笑えてるのかは、まったく分からなかった。




