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エリーが煮魚とお米に舌鼓を売って幸せに浸っている中。
正面に座るディノスは、『羊肉ごろごろクリームシチュー』をパンとサラダと一緒に黙々と食べている。
(食事中にも表情が変わらない……おいしそうなのになぁ)
美味しいものを食べるとついついにやけてしまうエリーからすれば、無表情でご飯を食べられることが驚きだ。
「わははははは!」
「いえー!」
少しして、食堂が騒がしくなってきた。
どうやらもう今夜の仕事を終えた兵たちが、集団で酒盛りをしているらしい。
お酒は賄いには入って無くて有料だけど、仕事終わりの一杯を求める人には人気なのだ。
当たり前ながらディノスとの雑談は盛り上がりそうにないので、エリーはもぐもぐ食べつつ彼らの様子をぼんやり眺めていた。
そこで、一人の赤ら顔の男と目が合った。
そのまま逸らされるかと思ったが、彼は大きく目を見開いて、勢いよく立ち上がる。
「あー!」
凄いスピードでこっちに近づいて来る。
その男の人がフォークを握ったまま驚きで固まるエリーの席までやって来たと思えば、酔っ払いならではのハイテンションで大笑いしながら詰め寄られ、エリーはそのままのけぞった。
「な、なに?」
実家は食堂なので酒も提供してるから酔っ払いには慣れているが、流石に初対面の男に顔を近づけられると危機感を覚える。
ディノスは特に助けてくれる様子はない。
引きつったエリーに対して、男はニコニコと笑顔で口を開いた。
息が、お酒臭い。
「君、服飾部の新人ちゃんでしょー?」
「は、はい」
「たしか、エリーちゃん! エリー・ベルマンちゃん!」
「そうですが……あのどうして名前を?」
「直して貰った訓練着についてた札に、サインあったからぁ。んで、珍しい桃色の髪の新人ちゃんが入ったって、ちょっと噂にもなったからぁさっ!」
「あぁ、なるほど」
出来上がった修繕品には、修繕の内容とそれを担当した人のサインを書いた札を付けた上で、持ち主に返却される。
だから彼は、エリーのことを知っていたのだろう。
そしてエリーの髪は、確かに少し噂になるくらい珍しい。
彼は何故か遠慮なくエリーの隣に腰掛けて、ぐいっとジョッキをあおった。
ぷはーっと息を吐いたあとに、肘をテーブルに着けてこちらを覗き込みながら、にこにこと上機嫌な様子で口を開く。
「君さぁ、この間僕が依頼した破れた箇所の修繕、なんかやってくれただろぉ?」
「え、えぇ。えーと、なんかって何だろ? お名前を聞いても?」
「ジョン! ジョン・エスティー!」
「ジョン……あぁ、十日に一度はお尻を破く人ですね」
「そう!」
「なんとか長持ちするようにと、ぱっと見は同じ生地に見えるけど丈夫な生地を選んで裏に当てて修繕したんです」
「へぇぇぇ? よく分かんないけどさ、君のサインが入って返って来たズボンだけ、引っかけたのに大きく破れなくて。まぁ小さくは敗れたけどさ。でも今までだと尻が丸見えになってたから、助かったんだ! すげぇなぁって!」
「あ、有り難うございます」
にこにこの笑顔で喜んでくれる人に、エリーまで嬉しくなってきた。
ちょっと警戒心が緩んでくる。
「なになに? 君がエリーちゃん?」
「知ってるよー。最近入った子で、服の修繕良くやってる子だ!」
「あぁ、俺の服にもサインついてたわ」
気付くと、正面の席に座ったディノスの隣に三人ほどの男が並んでいた。
いずれも衛兵の服を着ているから、城内の警備担当だろう。
全員が手にはジョッキを持ち、顔は赤く上機嫌だ。
いつの間にかテーブルの上には何品かのおつまみも載っていた。
「俺のやつ、裾伸ばしといてくれただろ? ボタンの付け直ししか注文してなかったのに」
「裾? あぁ、もしかしてジーンさんですか? 今度新調する式典用の服を作るための身体サイズのデータと、古い訓練着のサイズがずいぶん違ったようなので。新しいデータサイズに合わせた長さになるように裾をほどいて伸ばしました」
「気づいてたんだけど別にいいかなーって放ってたんだよ。別に短くても支障なかったし。でも実際に合わせて貰ったら、なんだか立ち姿が格好良くなったって、好きな子に褒められて! いやぁ、有り難う! ほんと有り難う!!」
「い、いえ。良かったです」
(……嬉しいな)
ついさっきまで、自分の仕事の出来なさに打ちのめされ、落ち込んでいたのに。
反対に、こうして喜んでくれている人もいると、知ってしまった。
じわじわと、胸の奥からもどかしくも恥ずかしいような嬉しいような気持ちが湧いて溢れて来る。
自分は出来ないことばかりで、ダメダメな人間だと思いそうになっていたのに。
有り難うと、言ってもらえる部分もあったのだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、目の前のディノスと目と目が合ってしまった。
いつもの厳しさのない、少し和らいだように見える青い瞳がこちらを真っ直ぐに向いている。
「……お前、そんなことしていたのか」
「余計な事でしたか?」
修繕の依頼書に書いていないことをしたのだ。
もちろんどこまでなら自己判断でして良いかを先輩であるシンシアに確認したうえでだが。
本人に要望されていない部分に勝手に手を入れたのは確かだ。
余計なお世話をしたかもしれないと、仕事をしながらも少し不安だった。
眉を下げてディノスの様子を伺っていたエリーに降って来た声は、瞳と同じく、思いのほか柔らかい声色だった。
「余計な事かどうかは、今彼らから貰った言葉で分かるだろう」
「……」
(有り難う、か)
胸がぽかぽかと温かい。
つい口元が緩んで、にやけてしまう。
そんなエリーに気づいたのか、目の前の兵もにっかりと歯を見せて笑った。
「よし! お礼におじちゃんが一杯おごってやろう! おーい! こっちに一杯持ってきてくれ!」
「えぇぇ。私、まだこのあと仕事が」
顔の前で手を振って断ろうとしたが、男の部下であるらしい人がカウンターから持ってきたジョッキを、ディノスが手を伸ばして勝手に受け取ってしまう。
そのまま、ドンッとエリーの目の前に置かれてしまった。
「ディノス?」
「今日はもう仕事は終わりだ。精度が落ちる」
明るい場にも関わらず、ディノスの目は本気だった。
それだけエリーが根気をつめ過ぎていたということだろう。
「……はい」
肩をすくめて大人しく頷いた。
つぎに大人しく、兵におごってもらった酒を手に取って一口飲む。
しゅわしゅわとした感覚が口の中で弾けて、喉をするりと通って行った。
「これ、美味しい」
喉ごしが良くて、いくらでも飲めてしまいそうだ。
「お!? お針子の嬢ちゃん、いける口だねぇ。もっと飲みな! さあさあ!」
「は、はいっ」
エリーは周りのおじさんたちに進められるままに飲んでいく。
二杯、三杯、四杯……。
何杯目かも数えなくなってきた頃には完全に酔っぱっていた。
「んんー、ふわふわして、楽しくなってきましたぁ」
「おー!おっちゃんも楽しいぞー」
気づくとディノスは隣のテーブルに移動してて、酔っ払いたちから離れて黙々と食事をしていた。
しかしエリーがそれに気づいたときにはもう完全に酔っていて、逃げられたことなんてどうでも良くなっていた。
だって周りの兵たちはエリーに「有り難う」をたくさん言ってくれるのだ。
気分が良くならないわけがない。
嬉しくて、楽しくて、頭の中がふわふわして、幸せだと思った。
ごくごくとジョッキを傾け喉を鳴らしながら、エリーはぼやけた思考の中で思う。
(私、繕い物の仕事、嫌々やってたんだけどなぁ)
希望していた華やかで可愛いドレスづくりじゃなく、汗臭い仕事着の修繕なんて楽しくなかった。
生地は分厚くて固いから指の皮は破けまくるし、そのせいで何だかどんどんごつごつした指になるし、それが職人の手だよと言われたって、女の子としては全然嬉しくなかった。
でもこうして喜んでもらえて、「有り難う、着やすくなったよ」と言って貰えて、ちょっと泣きそうになるくらいに嬉しかったのだ。
今度からは気持ちを込めて一枚一枚繕おうと、エリーは心に決めたのだった。




