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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
番外編
74/77

おいしいミルヒライス


本編第四話~第五話辺りの時間軸のお話。

理人とカホル、三宅のカフェーでの日常の一場面を描いた短編です。





 カフェー・グリムの白い壁にかかった時計の長針が「Ⅷ」を指す。

 最後の客であった二人連れの紳士を見送った後、理人は濃緑色の扉に『準備中』と書かれた白い札をかけた。扉の上半分の硝子窓に蘇芳色のカーテンを引けば、これで本日の営業は終了――の合図である。

 もっとも、営業が終わったからと言って、仕事が終わるわけではない。

 理人はテーブルの上に残った珈琲のカップとサブレの皿を、カウンターへと運ぶ。

 カウンター内では、三宅が珈琲の抽出に使うサイフォンを分解していた。薄い硝子ガラスでできたフラスコやロートを丁寧に洗い、布のフィルターは水洗い後に煮沸するのだが、この操作を未だに理人は習得できていない。

 カフェーで働き始めて早ふた月、珈琲を淹れる作業はもっぱら三宅が行っている。「まだ君には任せられません」と笑顔で言われた。

 まあ、珈琲はカフェー・グリムの看板商品だ。素人の理人にそうそう簡単に器具を預けるわけにはいかないのだろう。理人もそれはわかっているので、大人しく皿洗いと店内の掃除に取り掛かった。

 カウンターを布巾で拭いていると、隅に牛乳瓶が置かれている。まだ中身が半分以上残っていた。


 客の中には、珈琲に砂糖と牛乳を入れるのを好む者もいる。

 そのまま飲む方がいいと理人は思うが、三宅は相手に飲み方を強要しない。自分が美味しいと思う飲み方で、美味しく飲んでくれればそれでいい、と言っていた。

 なので、カフェー・グリムでは牛乳と砂糖を常に用意している。

 牛乳は開封すれば一日しかもたないので、量を調整しつつ新しい瓶を開けるようにしているが、今日はどうも多く残ったようだ。


 残った牛乳は大抵、三宅がまかないの夕食に使うのだが……。

 理人はふと思いついて、三宅に声を掛けた。


「三宅さん、今日の夕食、僕が作ってもかまいませんか?」





 洗った米と水、牛乳、砂糖を小鍋に入れ、カウンターの奥にある小さなガス焜炉の上に乗せる。マッチを擦って焜炉の栓を捻れば、ぼっと音がして青い火の輪が浮かび上がった。

 そのまま強火で一度鍋の中身を沸騰させたら、ごく弱い火にして、時折混ぜながら炊いていく。

 理人が鍋に向かう傍らで、三宅は一台残していたサイフォンで珈琲を淹れ始めた。

 客がいない店内にゆっくりと珈琲の香りが広がっていく。そのとき、店の奥にかかった天鵞絨ビロードのカーテンが動いた。

 カーテンを寄せて出てきたのは、黒髪の小柄な少年だ。

 勝手知ったようにカウンターに近づき、背伸びして覗き込んでくるのは、この店の店主であり、理人の雇い主である小野カホルだ。

 焜炉の前に立つ理人に、カホルは首を傾げて尋ねてくる。


「千崎さん、何をしているのです?」

「夕食を作っているんだよ。良かったら食べるかい?」

「……料理、できるのですか?」


 驚いたようにカホルが黒い目を瞠った。


「ああ、少しね。前は米を炊いたり味噌汁を作ったりする程度だったけれど……今は三宅さんから教わっているから」


 そう、三宅は珈琲のことはまだ教えてくれないが、料理に関しては違う。

 一度、オムレツ入りのサンドウィッチ(これがまた絶品なのだ)の作り方を聞いたら、嬉々としてオムレツやマヨネーズの作り方を教えてくれた。

 以来、カフェーの閉店後に三宅から料理を教わるようになった。おかげで、三宅ほどうまくは無いがオムレツを焼けるようになったし、ミルクシチューの作り方も覚えた。

 作れる種類が増えるとなかなか面白いもので、理人自身、今は三階の自室でも時折作るようになったものだ。

 煮える鍋を焦げ付かないようにかき混ぜてからカホルを見やると、なぜだか彼はしかめ面をしている。


「どうしたんだい?」

「……いいえ、何でもありません」


 そうは言うが、声が完全に不貞腐れている。

 何か気分を損ねることを言っただろうかと理人が考えあぐねていると、サイフォンに向かっていた三宅が小さく吹き出した。


「三宅さん?」

「……失礼しました。カホルさんは、料理が不得手なので。理人君のことが羨ましいんですよ」

「え?」

「三宅!」


 カホルが三宅を睨むが、笑顔の老紳士は言葉を続ける。


「以前、カホルさんにも料理を教えたのですが、そのとき、粥を思いきり噴き零してしまったんです。次から次に粥が溢れてきて、いやあ、あの時の慌てぶりと言ったら……」


 珍しく三宅が肩を震わせて笑う。

 対してカホルはしかめ面を赤くして「三宅がちゃんと分量を教えてくれないから!」と言い訳をした。どうやら米と水を多く入れすぎて、鍋から溢れてしまったようである。

 しかし三宅は笑みを崩すことなく、サイフォンのロートの中をヘラでかき混ぜながら答える。


「あなたがちゃんと鍋を見てかき混ぜていれば、噴きこぼれもしなかったんですよ。飽きたからと途中で本を読み始めたのはどこのどなたですか」

「……」


 三宅にやんわりと、しかしきっぱりと言い返されて、カホルは悔しそうに黙る。図星をつかれたようだ。小生意気なカホルも、三宅には頭が上がらない。

 むっつりと膨れたカホルを宥めるように、理人は声を掛ける。


「そういえば、鍋から粥が溢れるなんて童話があった気がするけれど。カホル君、覚えているかい?」

「……『おいしいお粥』ですね」



 おいしいお粥は、その題名通り、粥が出てくる話である。

 昔、貧しいながらも気立てのよい女の子が、母親と二人で暮らしていた。食べ物を探しに森に出かけた女の子は、出会ったお婆さんから鍋をもらう。

 これは魔法の鍋で、「小鍋さん、煮ておくれ」と言うと鍋は上等なおいしい粥を煮て、「小鍋さん、おしまい」と言うと煮るのを止めるのだ。

 鍋のおかげで女の子も母親もおいしい粥をいつでも食べられるようになった。

 ある日、女の子がしばらく留守にしている間に、母親が「小鍋さん、煮ておくれ」と粥を煮始めるのだが、止めるための言葉がわからない。

 やがて粥は鍋から溢れ、台所じゅう、家じゅう、外に出て道や隣の家まで溢れた。粥が町じゅうを埋め尽くしかけたとき、ようやく女の子が戻ってきて、鍋を止めることができるのだ。



 鍋から溢れたという粥を例えてみたのだが、カホルは機嫌悪く答える。


「あそこまで溢れていません」

「それはわかっているよ」


 理人は苦笑して、ふつふつと煮える鍋をかき混ぜた。米の形が柔らかく崩れてきたところで火を止め、少し匙で掬って味を見る。……うん、悪くは無い。

 三枚の皿に中身を取り分けて、匙と共にカホルに差し出した。


「童話の粥と同じものかは分からないけれど、ドイツでも食べられている粥だよ。食べてみるかい?」

「……牛乳、ですか」


 匂いを嗅いだカホルが眉を顰める。


「うん。牛乳で米を炊くんだ。ミルヒライス……ミルク粥って言えばいいかな」

「……米を、牛乳で……いや、本で読んだことはありますが……」


 カホルが難しい顔つきになる。

 確かに普通なら信じられない組み合わせである。一谷に一度作ってみたら、『米を何だと思っている!』と怒られたものだ(その後、しかめ面ながら完食してくれた)。


 だが、理人にとっては懐かしい料理だった。


「昔、僕の母がよく作ってくれていたんだ。……あんまり覚えてはいないけれどね」


 理人が二歳の時に亡くなった、ドイツ人の母。

 身体が弱くて乳の出も悪かったそうで、代わりにこのミルヒライスを作って理人に与えていたそうだ。

 そのためか、記憶にはないのに、食べるとどこか懐かしい気持ちになる。

 特別おいしいわけでもないのに、時折妙に食べたくなるのだ。


 カホルはじっと皿を見た後、匙で少しだけ掬って口に入れた。黙々と咀嚼するカホルに、理人はふっと笑う。


「口に合わない時は、残してくれてかまわないよ」

「……いえ、その……意外ですが、おいしいです。甘くて」


 不思議そうに粥を見下ろし、首を傾げながらもカホルは二口、三口と食べ進める。無理に食べているわけではなさそうだ。

 淹れた珈琲を魔法水筒に移し終わった三宅も、皿の一つを取ってさっそく味を見る。


「……うん、これは食べやすいですね。昔食べたものは、たしかシナモンが入っていて、だいぶ癖がありました」


 三宅の言葉に、理人は少しほっとする。

 ミルヒライスは好みが別れるだろうと、三宅の口に合わなかったら全部自分で食べるつもりでいたのだ。

 残った粥の皿を自分でも取りながら、「よかったらこれもどうぞ」とカウンターに大皿を出す。上には小さなサンドウィッチが幾つも載っていた。

 目の前に出された皿を、カホルはしばし動きを止めて見つめる。


「……これは」

「昼の残りのパンを使わせてもらったんだ。苺のジャムと、それから炒った卵をマヨネーズで和えた具の、二種類しかないけれど」


 もしもの時にと、粥を煮ている間に手早く作ったものだ。

 粥だけでは足りぬだろうと出したのだが、カホルは口をへの字に曲げて妙な表情を浮かべる。


「カホル君?」


 はて、どうしたかと考える頭に、先ほどの三宅の台詞が思い浮かぶ。


『カホルさんは料理が不得手なので――』


「……」


 しまった。どうやらカホルの劣等感を刺激してしまったか。


「……カホル君、今度、良かったら一緒に料理を」

「けっこうです。人には誰しも得手不得手、向き不向きがありますから」


 間髪入れずに返してきたカホルは、ミルヒライスを黙々と食べる。ジャムのサンドウィッチを両手で持って、もそもそと齧る。

 すっかり膨れてしまったカホルに、理人と三宅は顔を見合わせ、肩を竦めながらも笑いを零したのだった。



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