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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第七話 いばら姫の秘密
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(2)


 玄関扉をノックすれば、間もなく家令の老翁が出迎える。

 乙木夫人は不在であったが、中に通される。預かっていた珈琲豆の袋を渡すと「サンルームにいらっしゃいますよ」と家令から言われた。理人も「誰が」とは聞き返さずに廊下を進む。


 建物の背面にある広いサンルームは静まり返っていた。

 雨のために外の光は弱いが、白い壁のおかげで、灯りがなくとも明るく感じる。

 焦げ茶色の板張りの床を踏みしめ、籐椅子の間を進んでサンルームの端に向かえば、いつかの光景がそこにあった。


 一番の特等席である長椅子に、一人の子供が仰向けに横たわっている。

 十代前半にしか見えない子供は、淡い灰色のベストとズボンを纏い、胸の上に読みかけの洋書を乗せている。桃色がかった薔薇色のリボンが、白いシャツに映えていた。

 少し長めの黒髪に、あどけなさを残す白い頬。まるで少女と見紛うような、整った顔立ち。


 まるで、三か月前に時が戻ったようで、現実と非現実の境が曖昧になる。

 濡れた木々の緑を背景に、童話メルヒェンの世界に足を踏み入れたような感覚になった。


 ――本当に、この子供と知り合ってからというもの、童話に縁深くなった気がする。


 理人が思わず忍び笑いを零せば、気配に気づいたらしく、長椅子の上で子供が身じろぎした。

 瞼が開くその時を待って、理人は極上の笑みと共に声を掛ける。


「おはよう、カホル君。目覚めの接吻キスはご入り用かな?」

「……千崎さん」


 カホルは小鹿のような黒い目を丸くし、やがて苦笑を見せる。

 相変わらずですね、と理人の台詞をさらりと流すと起き上がった。


「何だい、少しは戯れに付き合ってくれてもいいじゃないか」

「そんな気分じゃないんですよ」


 カホルは肩を竦める。三宅の言う通り機嫌が悪そうだ。

 それを指摘すると、カホルは眉根を寄せた。


「あの親子は過保護すぎるんです。カフェーには出入り禁止、治るまでサロンから出るなと……」

「親子?」


 理人が首を傾げれば、カホルは「三宅と淑乃と伸樹です」とあっさり答える。


「……苗字が違うじゃないか」

「いろいろとあるんですよ。気になるのなら、訳は本人達に聞いてみて下さい」


 そんなこと聞けそうにもない。今度は理人が肩を竦める羽目になれば、カホルがふっと笑みを零した。少しは気分が紛れただろうか。

 理人はカホルの向かいの、一人掛けの籐椅子に腰を掛ける。


「彼らの名前も気になるけれど……そろそろ、こちらの名前当ても期限が迫っていると思ってね」

「ええ」

「ルンペルシュティルツヒェンの、答え合わせに来たんだ」

「……ええ」


 理人とカホルは向かい合う。

 逸らされることのない黒い目を見つめながら、理人は口を開いた。



「君の名前は――『小野村馨子おのむら きょうこ』だ」



***



 怪我の静養でカフェーを休んでいた間、理人は友人の十和田と会っていた。

 頼んでいた写真が手に入ったと連絡が入ったのだ。待ち合わせのカフェーで彼からもらった写真を見て、理人は思わず天を仰いだ。


 驚いたからではない。

 九割方確信していたことが、当たっていたからだ。。


 元々、カホルが小野村家の親族ではないかと推測はしていた。

 その推測は、青山家の事件で鞠子が言っていた台詞によって、ある意味裏付けられた。


『だってこの子、女の子ですもの』

『まるで、七年前から時が止まっているみたいじゃない』


 ――十和田が手に入れた小野村家の家族写真には、祖父母と両親と、三人の兄妹が映っていた。

 その中の一人、セーラー服を着た十二、三歳くらいのおさげ髪の少女の顔は、理人がよく見知ったもの。


 少女の名前は、『小野村馨子』。

 小野村商会の社長、小野村浩介氏の長女であった。


 「七、八年前のものだよ、役に立つのかい」と聞いてくる十和田に、理人は彼女について尋ねたのだった――



***



 考えてみれば、『小野カホル』と言う名は『小野村馨子』をもじったものだ。

 『馨子』の『馨』は『カホル』と読めるのだから。乙木夫人が付けた名前は、ほとんど答えを示していたのだ。


 理人の答えに、カホルは目を閉じて、頷いた。


「……ええ、正解です。私は、小野村馨子です」


 ゆっくりと目を開けたカホルが、にこりと微笑む。作ったような笑顔だった。


「おめでとうございます。これで、乙木ビルの部屋はあなたのものですよ。住み続けても構いませんし、売り払ってもらっても構いません。仕事の方はどうされますか? できれば続けてもらえると助かりますが、辞めてもらっても――」

「『カホル君』」


 あらかじめ考えられていたようなカホルの台詞を、理人は強い口調で遮る。


「小野村馨子は、二十歳の女性だ。七年前の震災で大怪我を負って以来、鎌倉の方で静養を続けていると、知人から聞いたよ」

「……」

「なぜ君は、七年前と同じ姿をしているんだ? なぜ名前を偽ってカフェーの店主をしているんだい?」


 理人の問いに、カホルは笑顔を消して、そっと目を逸らす。


「……聞いたところで、面白い話ではありませんよ」

「僕は面白い話が聞きたいんじゃないよ。君のことが知りたいだけだ。教えてもらうために交換するものが必要なら、あの部屋を返すよ。だから、どうか教えてくれないか?」

「……」


 食い下がる理人に、カホルは大きな溜息を吐いた。


「……褒美を手に入れて、めでたしめでたし――で終わらせればいいのに。その褒美を返そうとするなんて、あなたは主人公として間違っていますよ」


 苦い笑みを零した後、カホルは「昔の話です」と語り始めた。


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