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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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(15)


 理人の予想通り、今までいた部屋は地下の一室で、扉の先にはホールのような空間と地上への螺旋階段がある。

 理人とカホルは階段を駆け上がり、館の一階へと繋がる扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていた。扉は柔なものではなく、殴っても蹴ってもびくともしない。

 理人達が立ち止まっている間にも、地下から呻き声と共に、靴音が響いて近づいてくる。鞠子が追いかけてきているのだ。

 理人は武器になるものを探し、調度品であろう西洋の鎧人形が持った細剣を手に取る。

 いっそこれで、彼女を人質に取ってみるかとも考えたが、近づきたくないのが本音だ。もはや狂人である鞠子が、どんな反撃をしてくるか。それこそ噛み付かれて血を吸われそうだ。

 逡巡していれば、かちりと扉の鍵が開く音がした。

 開いた扉から姿を見せたのは、青山留二だ。理人達の姿を見止めると声を上げる。


「君達、どうやって……えり子は、えり子はどうした!?」


 ちょうどその時、鞠子が追いついたようだ。

 荒い息をついて顔を上げた鞠子の顔は、壮絶なものであった。

 理人の頭突きで鼻血が出たか、歯が折れたか、顔の下半分は血で真っ赤に染まっていた。綺麗にまとめていた髪は乱れて、顔に幾筋も張り付いている。

 怒りに染まった表情が輪をかけて、まさに悪鬼、吸血鬼のようであった。


「えり子!」

「ああ、あなた、あなた……! そいつらを殺して! 今すぐに!」


 鞠子の金切り声が響く。

 留二は顔を強張らせて胸元から銃を取り出すと、その銃口を理人達へと向ける。

 理人はカホルの腕を引き、螺旋階段を上った。

 窓があれば、そこからカホルだけでも逃がせる。だが、目についた窓はカホルでも通れないほど小さいうえ、嵌め殺しになっているようだ。


「くそっ……」

「ひとまず上へ! 屋根伝いで逃げられるかもしれません」


 理人とカホルは階段を駆け上がる。階段の行き止まり、天井にあった板戸を跳ね上げれば、埃っぽい空気が降りてくる。

 そこは尖塔の一番上の部屋であった。

 家具も無く長い間使われていないのか、蜘蛛の巣があちらこちらに張ってある。四方に付いた窓は嵌め殺しではないようで、開ければ冷たい空気が入ってきた。

 外は薄暗く、夜明け前なのか遠くの地平がかすかに明るくなっている。

 窓はあったが、さすがにこの高さから飛び降りるのは危険だ。理人は屋根伝いに逃げられないものかと身を乗り出したが、館の屋根までは少し距離があって、飛び移るのは難しく思えた。

 逃げる代わりに、理人は声を張り上げた。


「伸樹君、いるんだろう!? カホル君が狙われている! 塔の上だ! 犯人は青山夫妻だ!!」


 ――高倉淑乃がこの館に来たのなら、その兄である伸樹も間違いなく来ている。

 腕の立つ彼なら、声を聞きつけて、きっと助けに来てくれるだろう。


 そう思って何度か大声で怒鳴っていれば、鋭い銃声がそれを遮った。

 振り向くと、追いついた青山夫妻がそれぞれ銃を手にして立っている。

 鞠子が持っている小型拳銃デリンジャーはカホルのものだ。拘束する際にカホルから取り上げたのだろうか。不慣れな手が拳銃を握り、銃口は定まっていないように見えた。

 理人はカホルを背に庇って、二人に対峙する。細剣の鞘を投げ捨てフェンシングの構えを取る理人を、鞠子はせせら笑う。


「あなた、剣が銃に敵うと思っているの? なんて馬鹿な男――」


 理人は鞠子の台詞の途中で、すばやく踏み出して腕を伸ばした。長い腕のリーチを十分に使って、鋭い突きを繰り出す。

 狙いは寸分違わずに、鞠子が手に握っている拳銃を跳ね飛ばした。彼女の、指ごと。

 数秒後、鞠子の絶叫が響き渡る。


「っ――きゃああああっ!!」

「えり子!! 何てことを……!」


 怒りに顔を染めた留二が理人に向けて発砲する。その瞬間、後ろにいたはずのカホルが前に出てきて、理人を押しのけた。

 銃声が響き、理人の視界に鮮血が散る。頬に飛んできた血の飛沫は、カホルのものだった。


「っ……カホル君!」


 理人の方へ倒れ込んでくるカホルを抱き留めれば、白いシャツの左肩の部分がじわりと赤く染まっていくのが見える。止血のためにカホルの傷口を押さえながら、理人は怒鳴った。


「何をしているんだ、君は!」

「……大丈夫、掠っただけです。それに……お互い様ですよ」


 カホルが額に汗を滲ませながらも、苦い笑みを見せた。

 傷口を見れば、確かに掠っただけのようだが、出血は多そうだ。カホルの左腕を伝った血が、石の床に小さな血だまりを作る。

 それを見た鞠子が悲痛な声を上げた。


「ああ、血が……貴重な血が……!」


 手の傷口を縛ろうとする留二の手を払い、ずりずりと這いながら、こちらへ近づいてくる。

 理人はカホルを抱きかかえて後ろに下がるが、鞠子はカホルの血だまりの前で止まった。

 鞠子は震える掌を血に浸して、己の顔へと塗りたくる。鞠子自身の血とカホルの血が混ざりあって、白い肌が赤く濡れていく。美と若さへの執着は消えることなく、歪な欲望が彼女の原動力となっているようだった。

 そんな鞠子の後ろ姿を、夫の留二は泣きそうな顔で見つめている。


「えり子……」

「あなた、どうかしら? 私の顔、若返っているでしょう? これで、若く美しいままでいられるのよね? ねえ、答えて下さいな。私、綺麗でしょう?」


 血に染まった顔で振り向き、鞠子が留二に尋ねた。床に座り込んだ彼女は、まるで少女のように無邪気な笑顔を浮かべる。


「わかくて、うつくしいままでいたいの。あなたにずっと、きれいだねって、いってもらいたいのよ」

「……ああ、綺麗だよ」


 留二は答えて、鞠子の傍らに膝をついて彼女を抱き寄せる。


「君は綺麗だ。……これからも、ずっと綺麗なままだよ」


 かちり、と撃鉄を起こす音がする。

 鞠子のこめかみに押し当てられた留二の銃が、鈍い声を立てて震えた。鞠子の身体がびくりと跳ねて、動かなくなる。

 静まり返った部屋に、窓から暁の光が差し込んでくる。薄くたなびく紫色の硝煙と、火薬の香りが漂った。

 部屋の中央で抱き合う青山夫妻を光が照らす前に、理人はカホルの頭を抱き寄せてその目を手で塞ぐ。

 理人の目には、鞠子の動かぬ身体を抱いた青山留二が、どこかほっとしたように微笑んでいるように映っていた。できればカホルには、この光景を見せたくない。


 夜明けの塔の階下からは、淑乃と伸樹の声が響いてきた――




次話で第六話は終わりとなります。

事件の顛末を見届けて頂ければ幸いです。


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