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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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(13)


 理人は目を疑った。

 中性的な少女のような顔立ちや、華奢な骨格をしているとは常々思っていた。だが、カホルの振る舞いや纏う雰囲気からは、あまり女性らしさを感じない。だから少年と思い込んでいた。


 カホルは、少年ではなく――少女であったのだ。


 呆然とする理人に追い打ちをかけるように、鞠子が告げる。


「だってこの子、女の子ですもの。『彼』じゃなくて、『彼女』でしょう?」


 くすくすと笑う声が遠く聞こえる。

 理人が見上げる先で、カホルの顔は羞恥と屈辱に歪められていた。白い頬は赤く染まり、唇は強く噛み締められている。

 刃物を突き付けられ、服を裂かれてもなお、カホルの目の強い光は消えずに、鞠子を睨み上げる。


「あなたは……私を知っているのですか」

「ええ。夫から教えてもらったの。私の望みを叶えてくれる子がいるって」


 鞠子がポシェットから、さらに何かを取り出した。二枚の紙……写真だろうか。

 理人からよく見えないが、それを見たカホルが眉間の皺を深くした。


「……この子、あなたよね?」

「……」

「本当に、不思議なこともあるものねぇ。七年前から姿が変わっていないなんて。あなた、全然二十歳に見えなくってよ」


 鞠子の言葉に理人は目を瞠る。


 カホルが二十歳?

 たとえ童顔で小柄なのだとしても、せいぜい見積もって十代半ばだ。


 訝しむ理人に答えるように、鞠子が振り返って写真を投げてくる。

 石の床に滑った台紙が、理人の手前で止まった。

 白黒の写真には一人の少女が映っている。

 十二、三歳くらいだろう。女学校の制服の白いセーラー服を着た彼女は、おさげ髪を肩から垂らし、可愛い顔をはにかませていた。

 小鹿のような目、小さな造りの鼻と口。

 カホルとそっくりの顔をした彼女の横には大きな窓があり、外の風景も移り込んでいる。その風景の中にある建物を見て、理人ははっとした。


 赤いレンガ造りの高い塔――十二階建ての凌雲閣である。

 凌雲閣は、七年前の関東大震災の折に損壊し、すでに取り壊されている。


 ならばこれは、少なくとも七年前の写真で――


 写真の少女とカホルを思わず見比べる理人に、鞠子はくすくすと笑いを零す。


「ねえ、奇妙でしょう? まるで、七年前から時が止まっているみたいじゃない?」


 鞠子がカホルの頬を指先で撫でる。カホルは嫌そうにそれを払うと、鞠子を見上げた。


「そういうあなたこそ……三十年前と同じような姿をしているのじゃありませんか? 『青山えり子』さん」

「っ!」


 鞠子がびくっと手を震わせる。よろけるように立ち上がった鞠子は、笑みを消した顔でカホルから数歩離れた。


「どうして……わかって……」

「秘密の部屋で見た写真です。五人分のドレスに、五人分の写真。青山留二の妻が何人も行方知れずとなっていることは麓の村の人も話していたから、作り話ではなく本当のことなのでしょう。彼女達の遺品を戦利品のように蒐集して並べておくなんて、ずいぶんと悪趣味だ。あるいは、死体の代わりにドレスや写真を並べて『青髭』の童話を模したつもりですか? しかし、写真は隠すべきでした。あの中には、あなたの写真もあった。もし、今までの五人の奥方の中にあなたも入っていると考えれば、聞いた話を合わせて推測できます」


 幼なじみと駆け落ちした『八千代』や、写真に名前のあった『陽子』は外れる。

 崖から落ちた『花江』は捜索に当たった村人に顔を知られているだろうから、これも違うだろう。

 残るは最初の妻の『えり子』と三人目の妻の『克子』だが――


「あなたの夫君は、あなたを大事にしているようです。喧嘩して離縁する『克子』のようには思えない。だとすれば『えり子』でしょう。もっとも、ただの当て推量ではありましたが……あなたの反応からして、どうやら正解のようですね」


 こんなときでも、カホルの観察力は発揮されていた。

 病で山奥の療養所に送られたという、青山留二の最初の妻の『えり子』。だとすれば、彼女は青山留二と同じ年頃、五十歳前後のはずである。

 鞠子の方こそ、二十歳を越したくらいの歳にしか見えない。

 カホルの冷静な推理を、鞠子は黙って聞いている。カホルは余裕めいた表情を浮かべ、ふっと鼻で笑った。


「ああ、それとも見せびらかしたかったのですか? あなたはどうも、ご自分を若く見せたいようですね。その姿は若作りの努力の結果ですか?」


 カホルの辛辣な挑発に、鞠子の顔色が変わった。

 目に怒りを灯し、つかつかとカホルに近づいたかと思えば、勢いよく手を振り下ろす。高い音と共に、カホルの頬が張られた。


「っ……」

「カホル君!」


 口の中を切ったらしく、カホルの唇の端に血が滲む。それを見て一番慌てたのは――叩いた当の本人であった。


「ああ、私ったら何てことを! 貴重な血を無駄にしてしまって……」

「落ち着きなさい、鞠子。この子に傷をつけてはならないと、『先生ドクトル』に言われているだろう?」

「ええ、ええ、……ごめんなさい、あなた」


 留二に宥められ、鞠子は謝る。手袋を外して屈むと、カホルの唇に手を伸ばし、滲んだ血を人差し指でそっと拭った。

 労わるような仕草であったが、その後の鞠子の行動に理人は目を剥くことになる。

 鞠子は手を己の口元に運び、血の付いた人差し指を口の中に含んだのだ。じゅるっ、と血を吸い舐め取る、濡れた音が聞こえてきた。


「……鞠子、よしなさい」

「あら、ごめんあそばせ。はしたない真似をしてしまったわ。でも、勿体なかったんですもの」


 口から出した指を隠しながら微笑む鞠子に、理人の背筋がぞっと寒くなる。


 血を吸う“化け物”――脳裏にタクシーの運転手から聞いた言葉が浮かぶ。


 鞠子はうっとりとカホルを見ながら言葉を紡ぐ。


「ねえ、知っていて? 血の公爵夫人、エリザベート・バートリー様のことを。彼女の話を聞いて、私知ったの。血液には、若返りの作用があるのよ。とくに若い処女の血は、美容や若返りに効果があるわ」

「そんな馬鹿な……」

「本当よ。だって私のこの若さは、たくさんの血のおかげだもの」


 鞠子が理人の方を振り返る。


「留二さんが、私のために若く美しい女性と結婚して、この別荘に連れてきてくれるの。それに、若い女中もたくさん雇ってくれたわ。皆ね、しばらくしたら、この部屋に閉じ込めておくの。生きながら血を搾り取って、新鮮なうちに浴びるのよ。カップに入れて飲んでもいいわ。でも、偶に勘のいい子は気づいて逃げようとしてしまうの。雇った使用人の男に邪魔されそうになったこともあったわね。そういう時は、まとめて隣の……うふふ、血を搾り取るための専用の器具をいろいろと置いているの。後で見せてあげるわ。棘が内側にいっぱいついた檻の中に入れれば、みぃんな、すぐに静かになったわ」

「……今までの奥方も、使用人も、全員殺したのか?」


 行方知れずであった妻達や使用人の行方が、こんな形でわかるとは――。

 鞠子の美しい顔に浮かぶ無邪気な笑みが、台詞の凄惨さと反比例して、余計に不気味に見える。


「ええ、そうよ。おかげで……見て、私はこんなに若くいられるのよ」

「……」


 鞠子は両腕を広げて自らの美貌を見せびらかす。

 狂っているとしか言えない。理人が辟易した矢先、鞠子は再びカホルの方へと向いた。


「だからね。……年を取らないこの子の血を使えば、きっと、もっと若く、永遠に美しくいられるわ」


 常軌を逸した笑みを浮かべた鞠子がカホルの方へ一歩踏み出したときだった。じりりん、と壁にかかった黒い呼び鈴が鳴る。


「あら……こんな夜中に、お客様?」

「そのようだね」


 留二が呼び鈴に付いている受話器を取って、何やら話し出す。

 しばらくして受話器を戻すと、留二は理人達を見やった。


「高倉と名乗る、若い娘が来ているようだ。君達の知り合いかな?」


 ……高倉淑乃のことだろう。

 理人は黙って首を横に振ったが、どうやら見抜かれているようだ。


「では、追い返したら失礼になるな。騒がれても困るから、彼女も招待しよう」


 留二は穏やかに微笑んで、「私が応対して来るよ」と部屋を出て行った。

 残された鞠子は、もう一人増えたと嬉しそうだ。


「ああ、こんなに上手くいくなんて……依頼を受けて頂いて、本当に感謝しておりますわ、千崎さん」


 その通りだ。

 理人が依頼を無理やり受けさえしなければ、こんな目に遭うことは無かった。

 カホルを巻き込んでしまったのは、自分の責任だ。


 せめて、カホルだけでもここから逃がさなければ――


「……」


 理人は一つ息を吸い込んでゆっくりと身を起こし、鞠子に声を掛けた。



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