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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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(11)


 理人が急いで振り向くと、鞠子が顔を青ざめさせ、がたがたと震えている。


「鞠子さん、どうかしましたか?」

「か、鍵が……」


 震える鞠子の手から、金色の鍵が落ちる。石の床の上に落ちたそれを拾い上げようとして、理人は手を止めた。

 鍵の先端が、真っ赤に染まっている。まるで血で染めたかのように、赤黒い色になっているのだ。


「これは……」


 理人の傍らに屈んだカホルが、臆することなく鍵を拾い上げた。

 じっと鍵を見ていたカホルは、おもむろに指先を先端に触れさせる。離した指先を擦り合わせ、わずかに眉を顰めた。カホルの指先の皮膚は赤くなっていた。


「……何か薬品が付着しています。おそらくは酸性のものでしょう」


 扉の方に向かったカホルが、鍵穴を覗き込みながら言葉を続ける。


「鍵穴に薬品を仕込んでおいて、鍵を差し込んだら先端のメッキ部分が薬品と反応して色がつく、というような仕組みになっているのだと思います」

「鍵を開けたことがわかるように……か」


 『青髭』の童話では、部屋の中を見てしまった娘は、鍵を血だまりの中に落としてしまう。

 血で染まった鍵を、娘は慌てて布で拭いたり、干し草の中に入れて血を吸わせようとしたりするが、鍵から血の色が消えることはなかった。そうして、青髭に部屋を開けたことがわかってしまうのである。


 童話では魔法によって鍵から血の染みが消えることはなかった。現実では、科学的な方法で鍵から色が消えないようにしているようだ。


「ああ……ああ! どうしましょう、夫に知られてしまいますわ!」


 青ざめ怯える鞠子をいったん落ち着かせるため、理人達は秘密の部屋を出て鍵を閉め、一階に戻る。

 途中、廊下の掃除をしていたたえにお茶を持ってくるよう頼んだ後、足元のおぼつかない鞠子を応接室の長椅子に座らせる。

 鞠子は弱弱しく千崎の腕に縋りつく。


「ああ、千崎さん、私どうしたらよいのでしょう」

「鞠子さん、どうか落ち着いて下さい。ご夫君が来るまで三日あります。その間に何らかの手立てを打ちましょう」


 宥める理人であったが、そこでノックの音がして「失礼いたします」と妙の声がかかる。


「あのぅ、お紅茶をお持ちしました。……それから、奥様。先ほど旦那様から電話がありまして、仕事の予定が急に無くなったので、今日の夕方には別荘に来られるようになったと……」


 妙の言伝に、理人達はぎょっと顔を見合わせた。夫が急に帰ってくるところまで、童話そっくりにしなくてもいいではないか。留二が館に到着するまで、二時間もない。

 鞠子はついに「ああ……」と絶望の息を零して長椅子に崩れ落ちた。妙が慌てて鞠子を介抱する様子を見ながら、理人とカホルは目を合わせた。




 鞠子を寝室まで運んだ後、理人とカホルは応接室に戻った。

 気付け薬や湯を用意するため台所に向かおうとした妙が、せっかくだからと用意した紅茶や菓子を勧めてくる。

 カホルは紅茶が苦手だと言っていたが、喉が渇いていたのか、微かに顔を顰めながらも大人しく受け取った。まあ、今は珈琲を頼める状況ではないか。

 理人も熱い紅茶を口にしたが、やけに苦く感じた。

 妙は紅茶の淹れ方がまだ不得手なのだろう。だが、食道と胃が温まって、少しだけ人心地つくことができる。

 妙が部屋を出て行った後、理人はカホルに話しかけた。


「……さて、どうしようか。童話のように鍵を隠したところで、青山氏にはすぐにばれてしまうだろうね。いっそ僕らが、部屋を見学するために無理に鍵を借りて開けたのだと言えば、少なくとも鞠子さんに矛先は向かないかな」


 鞠子の身を守ることを第一に考える理人であったが、カホルの表情は浮かない。


「……千崎さん、話が出来すぎているような気がしませんか?」


 カホルはティーカップを手にして、並々と注がれた赤茶色の水面を静かに見下ろす。


「今回の事件、まるで『青髭』の童話をなぞるように進んでいます。似たような箇所が数か所あってもおかしくはありません。今までの事件のように。でも、今回は最初から最後まで似すぎている。まるで、誰かに作られたようで……」


 言葉を止めたカホルが、カップに口を付けた、その時である。

 カホルがはっと目を見開いて、カップを投げ捨てた。そして口に残っていた液体を床に吐き出し、口元を拭う。さらに、理人のカップの紅茶が半分ほど減っているのを見て、ちっと舌打ちした。


「ああ、もうっ、なんでもっと早く気づかなかった……!」

「カホル君?」


 カホルのいきなりの無作法に理人は驚く。しかしカホルは立ち上がって、その細い手で理人の腕を強く掴んだ。


「千崎さん、今すぐこの館から出ますよ」

「おい、カホル君――」

「これはおそらく罠です。誰が狙いかはわかりませんが……とにかく、早く村まで降りましょう。薬の効き目が出る前に、林の中に身を潜めて……伸樹達と合流できれば……」


 ぶつぶつと呟くカホルに強引に腕を引かれ、理人は立ち上がる。いや、立ち上がろうとしたが、その膝ががくりと崩れ、床に手を着く。


「っ……」


 足に力が入らない。

 いや、足だけではない。床に着いた手も小さく震え、目に映るものがぐにゃりと歪む。

 全身を襲う脱力感と眩暈に、さすがに理人も気づいた。急激な体調の変化は、自然に起こり得るものではない。

 何か――薬を盛られたのだと。


「くっ……」

「千崎さん!」


 冷汗が額に滲む。カホルは理人の腕を抱えて引っ張ろうとするが、さすがに体格の差がありすぎる。


「……カホルくん……きみは、さきに、いけ……」


 痺れる舌で何とか言って、力の入らぬ手で、カホルの手を腕から引き剥がす。カホルは顔を歪めて「できません」と首を横に振った。


「……のぶき、くんに、たすけを……はやく……」


 視界が暗くなってくる。カホルが理人の名を呼ぶ声も遠くなる中、扉が開いて空気が動く気配がなぜかわかった。


 甘く、濃い――ヘリオトロープの香り。

 甘すぎて、気持ち悪くなるくらいだ。


 近づく香りと足音を最後に、理人は意識を失った。



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