(9)
急な来客で困るのではないかと思ったが、夕食も客室もしっかり用意されていた。どうやら、鞠子は最初から理人達が泊まるものと思っており、使用人にもそう伝えていたようである。
大食堂で鞠子と共に夕食を終えた後、理人とカホルは用意された部屋に案内された。二階の隣同士の客室だ。部屋は八畳ほどの広さがあり、それぞれ浴室やトイレまでついている。
荷物を解くため、一度カホルと別れて理人は部屋に入る。
理人は襟元からネクタイを取り、ベストを脱ぎながら窓の外を見やった。
外は真っ暗で、雨の音は夕方よりも大きく感じる。雨足が強くなってきたようだ。
荷物を片付け終えた頃、ノックの音が聞こえた。どうぞと声をかけると、扉を開けてするりとカホルが入ってくる。
「失礼します。……あ、失礼、その、後で来た方がよろしいでしょうか?」
シャツの胸元を寛げた理人に、カホルは少したじろいだように身を引いた。風呂に入るところだと思ったのだろうか。
理人は一人掛けのソファーをカホルに示した。
「いや、大丈夫だよ。さっそく作戦会議を始めよう」
「……はい」
カホルは軽く咳払いすると、ソファーに座る。理人は書き物机の前の椅子を運んできて、向かいに座った。
まずは、それぞれ気づいたことを述べていく。
「使用人が少なすぎると思います。いくら別荘とはいえ、この規模の屋敷に女中一人で、庭師も雇っていないのは奇妙です。しかも、雇い主は別にお金に困っているわけではない。あえて人を雇わないのか、鞠子さんが言っていたように次々に辞めていくせいか……」
「青山留二の癇癪が原因と言っていたけど、本人は常にいるわけではない。それでも使用人が辞めていくとなると、よほど暴力がひどいのかな」
そんな相手に、理人達の存在は抑制剤になるだろうか。
いや、理人達がいる間はいいとしても、帰った途端に鞠子に危機が及ぶ可能性もある。
「……調査の進み次第では、地元の警察への連絡もしておいた方がいいでしょう」
行方不明になる妻達。次々と辞めていく使用人。
辞めた使用人の行方はわかっているのだろうか。もし彼らも行方が知れないとしたら――
「彼らの消息も調べる必要があるかな。いったいこの屋敷では、何が起こっているのだろうね」
「それに“化け物”の話も気になります。この館の人達はそんな話をしていませんでしたから、やはり村の人に聞いた方がいいかと」
「じゃあ明日、一度村に行って情報を集めないといけないね」
理人は背もたれにもたれて息をつく。
初めは、鞠子の身を守ることだけが目的であったが、どんどん事件の深みにはまっている。
『青髭』の童話に似ていることといい、童話に縁でもあるのだろうか。カホルの童話好きに引き寄せられているのかもしれない。
その後もカホルと意見を交わしながら今後の予定を立てていれば、ぼーん、と重い音がかすかに聞こえてきた。十回鳴ったそれは、おそらく玄関ホールにあった柱時計の鳴る音であろう。
もう十時か。明日のこともあるし、そろそろ寝る支度をした方がいいだろう。
そう思って、ふと理人は思い出す。
「カホル君。君、今夜はどうするんだい?」
理人の問いの意味がわからないようで、カホルが不思議そうに首を傾げる。
「どうする、とは?」
「だって、君、夜は眠れないんだろう? 暗いところが苦手だとも聞いたよ。一人で部屋にいて大丈夫かい?」
「あ……」
カホルは今頃になって思い出しようだ。ぽかんとした顔に「考えていなかった」と書いてある。珍しいこともあるものだ。
「何だい、君、自分の事なのに忘れていたのかい?」
「いえ、その……大丈夫です。明かりを点けたままにしておけば」
カホルは強がって答えるが、その頬は強張っている。明らかに無理をしそうな彼に、理人は苦笑した。
「君さえ良かったら、僕の部屋に泊まっていくかい?」
「え?」
「寝台は広いし、君は小柄だから、二人でも寝られるだろう。もっとも、君は起きているのだろうけどね。でも、誰かが傍にいた方が君も安心するのではないかな。ほら、エルゼみたいに」
「……エルゼは犬です」
「ははっ、僕も大型犬のようなものだと思ってくれていいよ。明かりは点けていてくれて構わないから」
理人が言うが、カホルは俯いてしまって答えない。
無理して倒れられても困るのに。再度誘おうとしたとき、こつりと窓の方から音がした。
雨の音ではない。何か硬いものがぶつかる音だ。理人の客室の窓から見えるところにちょうど木があるので、枝が風で揺れて当たっているのかもしれない。
様子を見ようと、窓に近づいた理人がカーテンに手をかけて引いた時だった。
「っ……」
窓の外に黒い人影が映り、理人は思わず息を呑んだ。
人影はこちらに向かって手を伸ばしてくる。まさか、これが例の“化け物”――と思いきや、その手はこつこつと窓を丁寧にノックした。
よくよく見れば、室内の明かりに照らされた窓の外、ぼんやりと見えたのは人の顔だ。
雨に濡れたガラス越しに見えたその顔は、理人も見知ったものであった。
急いで鍵を外して窓を開けると、ずぶ濡れの人影が木の枝を伝って、身軽に部屋に入ってくる。
鳥打帽を取り、水が滴る短い前髪をかき上げながら、にこりとその人物は微笑む。
「どうも、千崎さん。何か拭くもの、貸してもらえます?」
シャツもズボンも水に漬かったようにびっしょりとしている中、飄々と頼んできたのは高倉伸樹であった。




