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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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(8)


 鞠子は使用人達には、理人達のことを建築関係者だと言っているようだ。

 理人は海外で建築設計を学んだ建築家の卵で、勉強のために館を訪れている――という理由にするらしい。ちなみにカホルは日本での理人の助手という位置づけである。なるほど、それなら、家の中を見回っていてもおかしくはない。


 お茶を片付けた妙が仕事に戻った後、理人達はさっそく鞠子に案内されて屋敷の中を見て回ることになった。

 館の中の見学、ではない。

 青山留二、そして今までの奥方のことを調べるためである。

 鞠子は下げていた小さなポシェットから、じゃらりと鍵の束を取り出した。十個以上の鍵が並ぶ金属の細い輪を、鞠子はどこか怖そうに持っている。


「……夫から預かりましたの。この館中の扉を開ける鍵です。どの部屋を開けても良く、何を見ても構わないと仰って」


 ならば調べるのにちょうどいいではないかと理人は思ったが、鞠子は強張った顔で鍵束の中の一つ――金色の小さな鍵をつまみ上げた。


「ですが、この鍵の部屋には決して入るなと……そう言われました」

「……」


 理人は思わずカホルと顔を見合わせる。

 理人が気づいたのだから、カホルはとうに気づいているだろう。


 まるで、童話の『青髭あおひげ』のようだと――




 『青髭』はグリム童話集の初版に載っている童話だ。

 理人がまだ幼年の頃に読んだ日本語訳されたグリム童話集には、『青髭』の話は載っていなかった。語学の勉強のときに読んだドイツ語の初版で初めて『青髭』を知って、強く印象に残ったものだ。

 グリム童話集自体、残酷な描写のある童話が多いが、『青髭』はその中でもおどろおどろしく、血生臭い話だ。


 ――ある森に、一人の男が住んでいた。男には三人の息子と一人の美しい娘がいた。

 ある日、大勢の供を引き連れた豪華な馬車が、家の前に止まった。馬車から立派な服を着た一人の男が降りてきて、唐突に「娘さんを嫁にいただきたい」と申し出る。

 男はとても裕福で風采も良く、真っ青な髭が生えている以外はケチの付けようがなかったので、父親は喜んで申し出を受けた。

 娘は青い髭を見ると恐ろしくなり、結婚するのを嫌がったが、父親に説得されて承知する。しかし不安が残る娘は、三人の兄にこっそりと「私が叫ぶ声が聞こえたら助けに来てください」と頼んだ。


 それから、娘は青髭の馬車に乗り込んで、丘の上の城に向かった。

 城は何もかも豪勢で、娘が望むことは全て叶った。しかし青い髭に慣れることはなく、娘はその髭を見るたびに密かに恐ろしくなった。

 いくらか時が過ぎて、青髭は言った。


「わしは長い旅に出なくてはならない。そこでお前に、この城じゅうの鍵を渡そう」


 どの部屋を開けても構わないと言いながらも、青髭は告げる。


「この小さな金の鍵の部屋に入ることは許さない。もし鍵を開けて入ったら、お前の命はないぞ」


 娘は鍵を受け取り、言われた通りにすると約束する。そして男が出かけてしまうと、次々と部屋を開けて回った。

 部屋には世界中から集められた、たくさんの豪華な宝があった。そうして、いよいよ入ることを禁じられた部屋だけが残り……。



 

 青山留二が立派な髭を蓄えた裕福な男『青髭』で、鞠子が求婚された美しい娘。

 男が不在時に、妻に鍵を与えて、そのうちの一つを開けてはならないと忠告をするのは、童話そのままの流れである。

 そういえば、青髭の話はフランスのシャルル・ペローの童話集にも載っていた。

 ペローの方では、青髭と結婚した女性が一人残らず行方不明となっていると書かれていたはずだ。青山留二の妻達も行方知れずとなっている。ここまで一致すると不気味なくらいだ。


 青髭のあらすじを思い返した理人は、背筋を粟立たせる。

 鞠子の危惧は、決して気のせいではないのかもしれない。


「……その鍵の部屋はどこですか?」


 理人の問いかけに、鞠子は息を呑み、鍵の束を握りしめて身を震わせる。


「入るなと言われております。もし勝手に入ったら……」

「……では、ひとまず部屋を一通り見ていきましょうか。何か見つかるかもしれません」


 もっとも、他の部屋に何も無かったら、その開かずの間を開くことにはなると思うが――。

 それは言わずに、理人は鞠子を促して応接室から出た。




 館の一階、二階には合わせておよそ二十の部屋があった。台所などの水回りや使用人の部屋、食堂や応接室などを抜いて、一階から順に部屋を見て回る。

 書斎や寝室、客室の他は、ほとんどが倉庫となっており、常に鍵が掛かっているようだ。

 鞠子が鍵を開けて、理人とカホルが室内を探っていく。建築家と称しているので、途中で管理人の老夫婦や料理人に会っても、部屋の構造や内装の意匠を見ていると誤魔化せた。


 それぞれの倉庫は、まさに宝の山であった。

 海外の絵画や彫刻などの美術品が集められた部屋、精巧なタペストリーや年代物の豪奢な家具が飾られた部屋。様々な宝飾品、金の飾り文字が付いた書物、中国の陶磁器や水墨画……。

 ここに一谷がいれば、あまりの豪華さに居心地悪げになるだろうが、理人は実家では高価な美術品に囲まれていたので、そこまで緊張することなかった。

 カホルも同様のようで、豪奢な宝飾品には目もくれることなく――革表紙の古そうな本には興味を示していたが――、室内の隅々を見て回っていた。

 青山留二がたいそうな富豪であることは、十分にわかった。だが、それ以上のことがわかるようなものは、今の所見つかっていない。

 二階の一室から出たときには、すでに窓の外は暗くなっていた。

 時刻は午後の五時を過ぎたばかりだが、山の中で陽が沈むのが早いうえ、空は完全に雲に覆われている。ぽつぽつと雨まで降り出してきた始末だ。

 鞠子の話では、留二が別荘に来るのは四日後だ。まだ時間はある。今日はこれで調査を終えて、ひとまず村の方に戻って宿を探すとしよう。

 理人が辞去の意を告げると、鞠子は驚いたようだ。


「そんな! せっかく来て頂いたのですもの。ぜひともこの館に滞在して下さいませ」

「ですが……」

「雨もひどくなってきたようですし、部屋はたくさんありますもの。……それに、あなた方がいて下さった方が、私も安心できますわ」


 鞠子の嘆願に、理人は返答を迷う。

 カホルを見やれば、あまり気乗りしない表情である。しかし窓に当たる雨は勢いを増し、遠くに雷鳴も聞こえてきた。今から村に戻るのも大変だろう。


「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」


 理人が答えると、鞠子は嬉しそうに微笑んだ。


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