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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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(3)


「先ほどははしたない所をお見せして……本当に申し訳ございません。わたくし青山鞠子あおやま まりこと申します」


 来客用のソファーに座った紺色のワンピースの若い女性――鞠子は、深々と頭を下げた。


 店内が騒がしくなる前に理人が半地下の書斎に連れてきて、ようやく鞠子は落ち着いたようだ。

 綺麗にウェーヴのかかった洋髪から覗く耳を薄紅色に染めて、ひどく恥ずかしそうに顔を伏せている。

 外で会ったときは雨の匂いで気づかなかったが、香水をつけているらしい。

 甘いクリィムのような香りは、ヘリオトロープだろうか。彼女が少し身じろぎするだけで、甘い香りがふわりと広がった。

 カホルと軽く目配せした後、理人は女性――鞠子の向かいのソファーに座った。


「僕は千崎と申します。乙木夫人の代理をしている者です」

「あなたが……?」


 訝し気に見られて、理人は苦笑した。

 給仕の服のままの理人は、まあ、確かに探偵らしくは無い。


「ええ。通常であれば、乙木夫人を通してご相談を引き受けるのですが……失礼ですが、彼女とはどのようなご関係でしょうか?」

「先日、杉山邸で開かれた夜会でお会いしましたの。その、乙木文子様に相談事をすれば解決してくださると噂を聞いたことがありまして……不躾とは思ったのですが、私の方から声をお掛けしたのです」


 鞠子はそこで、どうしても相談したいことがあると話しかけたそうだ。だが、乙木夫人には別の約束があって、その場では相談できなかったと言う。

 その際、乙木夫人が経営するカフェーに相談を引き受ける場所があると、別の夫人――以前乙木夫人に相談事を解決してもらった夫人らしい――から聞き、カフェーを訪ね回っていたそうだ。


「乙木様に了承も得ずに、勝手に押しかけてしまった非礼はお詫びします。ですが、もう時間が無いのです。このままでは、私……」


 鞠子が躊躇うように言葉を切る。

 レェスの手袋に包まれた手が、強く握られた。


「夫に、殺されてしまうかもしれないのです」



***



 鞠子の発言に、理人は目を瞠る。

 冗談を言っているわけでは無さそうだ。小さく震える手や蒼ざめて強張った顔は、とても嘘を言っているように見えなかった。ちらりと横目でカホルの様子を見れば、目で頷き返してくる。

 理人は静かに鞠子に問いかける。


「ずいぶんと物騒な話ですね。貴女が夫君ふくんに命を狙われている、という意味で相違ないですか?」

「……ええ」

「警察に相談は?」

「……」


 俯いてしまう鞠子に、理人はいらぬ質問をしたと反省する。

 警察に相談できるなら、探偵に相談する必要はない。軽く咳払いして「失礼」と謝った。


「青山さん、依頼を受けるかどうかは僕の一存では決められませんが……ひとまず、詳しく話をお聞かせ願えますか?」

「……はい」


 頷いた鞠子は、訥々と事を語り出した。




 鞠子の夫の名は、青山留二あおやま りゅうじ

 年齢は五十を超え、立派な髭をたくわえた偉丈夫だという。

 男爵の地位を持っていた元・華族であり、貴族院議員も務めたことがある。その後、鉄道事業に関わる不動産で莫大な財を成した富豪でもあった。



 三か月ほど前、二人は夜会で出会って、留二の方から熱心な求婚をしてきたそうだ。

 三十以上も歳の差がある、それこそ父親と同じ年頃の男性から求婚された鞠子は戸惑った。しかし、潤沢な支度金を提示された鞠子の両親は、結婚を了承し、わずか一週間で嫁ぐことが決まったそうだ。

 鞠子は青山家に入ることになったが、そこで初めて、留二のことを詳しく聞くことになる。


 青山留二には、かつて妻がいた。一人ではない。五回結婚し、五人の妻がいた。

 しかし皆、それぞれ行方が知れなくなっていると言う。


 一人目のえり子は、不治の病に罹って山奥の療養所に入れられた。

 二人目の花江はなえは、別荘近くの崖から落ちて行方がわからない。

 三人目の克子かつこは、留二とひどい喧嘩をし、離縁すると言って出て行ったっきり。

 四人目の八千代やちよは、恋仲だった幼なじみの男と駆け落ちした。

 五人目の陽子ようこもまた、恋仲になった使用人と金目の物を持って駆け落ちした――


 そうして、鞠子が六人目の妻となったわけだが、周囲から不穏な噂を聞くことになる。


 曰く、行方知れずと言うのは嘘で、留二が妻達を殺してその財産を奪っている――と。


 鞠子は、ただの噂と聞き流すことができなかった。


「普段は優しい人なんです。ただ……偶に、ひどく機嫌の悪いことがありまして……」


 留二は癇癪持ちで、時折ひどく使用人や女中に当たり散らすそうだ。激しい罵倒と暴力に、すぐに使用人はやめていき、屋敷の顔ぶれは次々変わった。

 その手は鞠子にも及び、一度とならず暴力を振るわれたことがあるらしい。

 話の最中、鞠子が手で細い腕を擦る。「お見苦しいものですが」と前置きして少しだけ捲った袖の下には、赤黒く変色した痕があった。

 蒸し暑い季節にもかかわらず露出の少ない服装をしていると思ったら、どうやら身体のあちこちにある痣を隠しているようだ。

 鞠子は悲痛な面持ちで言葉を続ける。


「夫が人を殺めていると思いたくはありません。……ですが、時々、ぞっとするような目でこちらを見てくるのです」


 その度に、鞠子は生きた心地がしない。

 青山家での生活は、別段不自由は無く、むしろ実家にいるときよりも贅沢な暮らしができている。

 しかしながら、鞠子は日々、言いようのない不安を抱えて暮らしていた。


 そんな折、留二から「別荘に行かないか」と誘いを受けたそうだ。

 それを聞いた鞠子は、良くない噂を思い出した。


「……今までの奥方は、別荘に行ってから行方が知れなくなっているのです。崖から落ちたり、駆け落ちしたり……だから、その……もしかしたら私も……っ」


 言葉を詰まらせた鞠子が、ぶるりと小さく身体を震えさせた。



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