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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第六話 青髭の誤算
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第六話 青髭の誤算(1)


 テーブルに置かれたのは、三枚の写真だった。


「どうぞ」


 細長い指が、その中の一枚をこちらへと滑らせる。

 写真には、花が咲き綻ぶ庭園を背景に、三人の人物が映っていた。

 女学校の制服を着た少女が中央の椅子に座り、両横には黒の詰襟姿の青年と、セーラーカラーの服を着た幼い少年が立っている。家族写真、おそらくは兄弟だけで撮ったものだと思われた。

 写真を受け取って、写っている子供の顔をまじまじと見つめる。


「これが、例の?」

「はい。あなたの要望をきっと叶えてくれますよ」

「……本当ですか?本当に叶えてくれると言うのですか、先生ドクトル


 疑いとたのみが交じった眼差しを向ければ、『先生』は笑顔で受け止める。若い男であるが、その達観した堂々とした態度は、時折自分よりもはるか年上に見える。

 『先生』は、眼鏡の奥の目を柔らかく細めた。


「会えばきっと、あなたにもわかりますよ。その子が特別だってことが」


 そう言って、手元に残った写真を、とんと指で叩く。

 白い手袋に覆われた指先の示す先。

 セーラーカラーが良く似合う、小鹿のような黒い目を持つ子供が、愛らしい笑みを見せていた。




***




「――写真?」


 向かいに座る友人が、行儀悪くストローを咥えたまま聞き返してきた。歯でがじがじと噛むものだから、跳ねるストローの先端からソーダ水の雫が飛ぶ。


「行儀が悪いぞ、十和田とわだ

「ん?悪い悪い」


 書生姿に鳥打帽を被った男――十和田は悪びれることなく、ストローを細長いグラスへと戻した。


 銀座にある小さなカフェーの隅。向かいの席に座るのは、理人の一高時代の同級生で友人でもある、十和田であった。

 十和田は帝大文学部を卒業した後、有名な新聞社に勤めるも一年で辞めた。その後、娯楽新聞を扱う小さな出版社に入って低俗なネタを集めては記事を書き、アングラ出版のエロ・グロ・ナンセンスな雑誌に寄稿もしている。

 そのためか、各方面に顔が広い。

 かなりの情報通である彼に、理人は以前、乙木夫人の身辺や小野村商会の一族について調べてもらったことがあった。


 十和田は伸ばしっぱなしの前髪の下から、狐のような細い目で、ちらりと理人を見てくる。


「で、今度は家族の写真が欲しいって?何だいきみ、小野村商会に恨みでもあるのかい?犯罪に手を染める気なら手伝わないよ。まあ、君が犯人になった際に独占取材させてくれるのなら、考えなくもないが」

「とんでもないこと言うんじゃないよ。恨みなんてないし、犯罪を起こす気も無いさ」

「ならいいけどねぇ。君が何かしでかしたら、高正たかまさが煩い」


 たしかに理人が犯罪に手を染めようものなら、警察官である一谷がどれだけ怒り嘆くことやら。

 それはともかく、理人が写真を欲するのは別段恨みがあるからではない。


「実はね、ある子供と賭けをしているんだ。僕は彼の正体を知らなければならないんだよ」

「……」


 ふぅん、と十和田は興味を惹かれたように目の端を光らせた。


「何だか面白そうなことをしているのだね」

「まあ、それもあるけどね。僕の今後の生活も掛かっているから、早く知りたいんだよ」

「ほぉ」


 理人が答えれば、十和田はにやりと唇の端を上げた。そのままにやにやと見てくるものだから、理人は居心地悪さを誤魔化すように足を組み替えた。


「何だい、にやけた顔をして」

「いやぁ、高正から聞いてはいたけど、やっと地に足が着いたように見えるよ。これで安心だな」

「……お前まで一谷のようなことを言うなよ。だいたい、人の心配をしている場合かい」


 理人も十和田も、いわばエリート街道から外れた身。十和田は定職についているものの、月の給与は歩合制のまちまちで、生活はどちらも不安定である。


「俺はどうとでもなるよ。この生活は性に合っているんでね」


 学生時代から自由人の気質を持っていた彼は、肩を竦めて答えた。そうして、テーブルの伝票を取って立ち上がる。


「ここは俺が奢ろう。遅くなったけど、就職祝いだ」

「どうも。依頼料をまけてくれる方がありがたいのだけどね」

「それはそれ。こっちも仕事だからねぇ」


 きゅっと目を細めた十和田がひらひらと伝票を振って去っていく。後姿を見送りながら、理人は温くなったソーダ水を飲みほした。

 空になったグラスを見下ろす理人は、先日聞いたある台詞を思い返す。


『これ以上無茶をするようなら、旦那様や奥様に言い付けますよ。勿論、ご兄弟の皆様にもね。そうなれば、あなたを連れ戻そうとしますよ。特にケイスケ様は』


 乙木サロンの庭師である高倉伸樹が、カホルに向かって言った台詞だ。

 ケイスケ――その名前を聞いたとき、理人の頭に浮かんだのは一人の人物だった。


 小野村慶介おのむら けいすけ


 乙木夫人の兄である小野村浩介氏の長男である。高倉伸樹が発した名前は、おそらくは彼のことを指すだろう。

 十和田に調べてもらった乙木夫人の親族や関係者の中に、『ケイスケ』という名前の者は数名いたが、伸樹が名前で『様』と呼ぶ相手だ。親しい間柄と思われる。

 ならば親族で、より乙木夫人に近い者……となると、甥の小野村慶介がぴたりと当てはまる。

 その慶介が、心配して連れ戻そうとする相手となれば……より近しい親族ではなかろうか。


 つまり『小野カホル』は、小野村家の一員である可能性が高い。


 小野村家は、小野村浩介を筆頭に、その妻の昌子まさこ、長男の慶介、そして長女の馨子きょうこ、次男の良介りょうすけ、前社長の公治きみひろ氏。

 だが、その中の誰も、カホルと年齢の合うものはいない。

 馨子は二十歳、良介は十八歳で、さすがに十二歳前後の外見のカホルに該当するとは思えなかった。

 もしや四人目の兄弟がいる……とも考えたが、可能性は低い。小野村家が四人目の存在を隠す理由でもない限りは。

 慶介には婚約者がいるが、結婚には至っていない。

 ならば隠し子かとも考えるが、慶介は二十五歳。……カホルが十歳くらいと想定すれば、あり得ない話ではない。


 何にしろ、小野村家に関する情報は文面だけで、彼らの顔を理人は知らない。

 新聞や雑誌で小野村浩介の写真を見たことはあるが、その家族の詳しい写真は見たことが無かった。

 高い依頼料で十和田に頼んだから、一週間もすれば写真は手に入るだろう。

 小野村家にカホルと似た面差しの者がいれば、理人の推測はひとまず裏付けられる。後は小野村家の周囲を当たっていけばいい。

 そうすれば、きっとカホルの正体もわかるはずだ。


 慎重に事を進める理人の頭の片隅で、何かがこそりと囁く。


 ……いっそ、今まで調査で得た名前を全員分、カホルの前で言ってしまえばいい。


 誰か一人は当たるかもしれない。ルンペルシュティルツヒェンの主人公だって、小人の名前を当てるために、たくさん名前を言っていたではないか。

 カホルとの賭けでは、名前を一度で当てろという文言は無かった。だったら、適当に名前を言い並べて、それで当たれば万万歳じゃあないか。


 悪魔の誘惑は、しかしカホルの声によって掻き消される。


『私はあなたに、私の名前を当ててほしいのです』


 あの夜のカホルの声は、何か縋るような、神様に願い事を言うような、そんな必死さがあったような気がした。


「……」


 ルンペルシュティルツヒェンの方法は却下かな、と理人は息を吐いてカフェーを出た。

 数歩も行かぬうちに、ぽつりと頬に冷たいものが落ちてくる。見上げれば、墨を落としたような色合いの雲が広がっていた。

 ぽつ、ぽつ、と石畳に雨が黒い円を作っていく中、理人は中折れ帽を目深に被り、足早に銀座の町を進む。いつしか踏む地面は黒く濡れて、革靴を濡らしていく。

 季節は、梅雨まで間もない六月の半ば。

 カホルとの賭けの期限まで、一か月を切った――



第六話、始まります。

今回の童話は「青髭あおひげ」です。

有名なお話なので、展開も想像できるのではないでしょうか。

もちろん童話通りには終わりませんので、どうぞお楽しみに。



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