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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(12)


 事件のあらましを一谷が語り終えた頃には、互いのグラスは空になり、煮込みとカニコロッケも腹に納まっていた。

 一谷は、事件に関わった理人に、その後の顛末を報告するために呼び出したのであって、もう用は済んだわけである。

 しかし、それぞれ追加で煮込みのお代わりとポークカツレツ、小えびの唐揚げ、フレンチポテトなどのつまみを一通り頼む。お供はもちろん、電気ブランだ。


 一谷はこの数日の取り調べの疲れを払うように、大いに食べ、大いに飲んだ。二杯目の麦酒と電気ブランを飲み終えたところで、グラスを置く。


「……なあ、千崎」

「何だい」

「お前、今、一体何の仕事をしている?」

「……」


 ――聞かれると思った。


 一谷の唐突な問いかけに、理人は軽く肩を竦めてみせる。


「職務質問かい?さすが刑事だな」

「茶化すな。お前、カフェーの給仕をしているんじゃなかったのか」

「もちろん、給仕もしているよ」

「給仕以外にもしているってことだな。……なぜ浅草公園にいたんだ?小野君と二人で、事件の捜査をしていたのはなぜだ?」


 一谷の追及をはぐらかすのは難しそうだ。まあ、浅草公園で一谷と出会い、カホルと共に子供達を捜すことになった時点で、誤魔化すのは無理だったろう。

 理人は景気づけに電気ブランを一口飲んで、正直に答えた。


「実は、探偵をしていてね」

「……は?」

「まあ、実際は探偵の代理なのだけど」

「…………お前は何をやっている」


 一谷は頭痛を堪えるようなしかめ面をして、大きな溜息をついた。

 以前、職が見つかったと彼に言ったときほどには驚いてはいないようだ。まあ今は、驚くというより呆れているのかもしれないが。


「……探偵って、あれか。ホームズとか明智小五郎とか、ああいうやつか?」

「へえ、詳しいな」

「詳しくは無い。読んだことがあるだけだ」


 そういえば、下宿していた一谷の部屋の棚には、大衆雑誌や探偵小説が数冊並んでいた。『新青年』に載っていた「D坂の殺人事件」や「屋根裏の散歩者」は、理人も読んだことがある。

 一谷は胡乱に理人を見てくる。


「お前が前に興味が湧いたと言っていたのは、探偵の仕事か?ああいうのは小説の中だけだろう」

「僕もそう思っていたけど、本当に探偵なんだよ。はたから見ていると、面白いくらい見事に事件を解決するんだ」

「お前が探偵じゃあないのか?……ああ、そうか、代理と言っていたな……なあ、まさか、あの子供の代理とか言うじゃないだろうな?」

「ご名答」

「………………本当に何をやっているんだ、お前は」


 一谷が頭を抱えてテーブルに伏せた。

 彼の嘆きもわかる。その日暮らしをしていた理人がやっと職に就いたかと思えば、それは得体の知れない探偵の仕事、しかも子供の代理だと言うのだから。

 理人だって最初は驚いた。けれど――


「でも、あの子はたしかに名探偵みたいだったろう?」

「……」


 浅草公園での事件は、カホルのおかげで解決したようなものだ。

 子供がいなくなる理由が活動写真による催眠術であることを見抜き、囮になって子供達の居場所を突き止めた。

 その場にいて彼の言動を目の当たりにした一谷が、「冗談だろう」と突っぱねることは難しい。


 一谷はしばし黙り込んだ後、グラスをあおろうとしてからであることに気づく。店員を呼び止めて注文した後で、理人に尋ねてきた。


「千崎、あの子は……小野君は何者なんだ」

「わからないよ。僕が知っているのは、彼がカフェーの店主で、乙木夫人の代理で探偵をしていて……童話が好きで、珈琲と甘いものを好んで、しょっちゅう居眠りしているってことぐらいだ」


 それだけしか、理人は知らない。

 暗い所や狭い所が怖いなんて、知らなかった。


「彼が何者なのか、僕の方が知りたい」

「……お前は、それを知るために探偵の代理をしているのか」

「ああ、そうだよ。……まあ、来月までに彼の名前を当てないと、職も家も失ってしまうからっていうのもあるけれどね」

「何だそれは……」


 一谷は呆れ、テーブルに置かれた新しいグラスを手に取った。

 ちびちびと飲み、冷めたフレンチポテトを美味くなさそうに噛む。理人も小えびの唐揚げを口に放り込んで、塩が効いたそれをつまみに電気ブランを飲んだ。

 そうやって、二人とも追加の一杯注文した後で、再び一谷が口を開いた。


「……お前は、ずっとあそこで働き続けるつもりか」

「あと一か月はちゃんと働くさ。せっかく豪華なアパートメントに住ませてもらっているのだから、満喫しないと勿体ないだろう?」

「そういう問題じゃないだろう」

「そういう問題だよ、僕にとってはな」


 躱した理人を、一谷がじろりと睨みつける。

 いや、睨むわりに目には迫力が無い。不甲斐ない息子に呆れながらも、希望を捨てきれない親のような色合いだった。


「……お前は、そんなところで働かずとも、もっといい職があるだろう」


 躊躇いがちの、弱い声。


「俺は、お前は大学で教授プロフェッサーになるか、内務省や外務省で文官になると思っていた。それでなくとも、司法官でも、弁護士でも……いっそ警察でもいい。お前だったら、何にでもなれたはずだろう。その力は十分にあった。高校のときから、お前はずっと頑張ってきたじゃないか」


 だのに、どうして。


「なぜ、お前は自分の力をちゃんと使わない。なぜ堕落した生き方をする。お前はもっと……もっと、その力を認められていいはずなんだ」


 絞り出すような声が、仁王とは程遠い表情の一谷の口から零れ落ちる。

 そんな彼を、理人は見つめた。


 ――学部でも一、二の優秀な成績を出した者にしか与えられない銀時計。理人がそれをもらったときに、一番喜んでくれたのは一谷だった。

 理人の内務省の入省が認められなかったときに、一番悔しがったのも彼だった。


「……一谷。僕は、お前が思ってくれるような立派な人間じゃあないよ」


 理人はぽつりと呟いた。


「高校に入ったのも、あの家から出ることができると思ったからだ。一高や帝大だったら余計な口出しもされないから、選んだだけだ」


 理人は千崎の家から逃げるように、高校の寮へと入った。

 そうして入った高校ではあったが、思った以上に学生時代は楽しかった。

 高校の授業の一環であった英語の討論ディベートを寮内に持ち込んで白熱したり、花街で乱闘騒ぎをして警官から追いかけられたりしたこともあった。

 ほとんどの者が理人の外見など気にも留めずに、切磋琢磨したものだ。


 だが、学校から出てしまえば、理人の外見は難点となった。

 帝大の卒業前に、理人は内務省で試験を受けた。内務省を選んだのは、懇意にしていた教授からの勧めと、理人の父がそこに勤めていたからというのもあった。

 しかし試験の時、混血児である理人は歓迎されていないことを肌で感じた。向けられる好奇や畏怖、嫌悪の視線。

 もしかしたら外務省ならば、理人はすんなりと入省できたやもしれない。大学教授にもなれたはずだ。きっと、他に道はあった。普通に定職につけるくらいには。


 ところが、いざ道を選ぼうと考えてみても、己がやりたいことが何も無いことに気づく。

 家から逃げるように高校や大学に入ったツケが、今頃になって理人に降りかかってきた。


「……皆のように、高いこころざしがあったわけじゃあないんだ。進みたい道を選ぶことが、僕にはできなかった」



 そうしてふと、理人は思い出す。


 幼い頃に、義母から向けられた嫌悪の視線。

 どうしてお前がここにいるのと、居心地の悪い実家の空気。特に異母弟が生まれてからは、義母から度々言われた。


『理人さん。千崎の家にあなたは必要ありません』

『主人の跡は、優一郎ゆういちろうが継ぐのですから』


 ――長子である理人まさとの存在を無くすかのように、弟の名前には『一』の字が付けられた。

 それまで跡継ぎとして育てられていた理人は、用済みとなったのだ。


 新しく良いものが現れれば、古く不要なものは捨てられる。

 そう、今回の事件の犯人の活動弁士たちのように。こちらの意思とは関係なしに、一方的に捨てられるのだ。


 理人は、犯行に及んだ彼らの事情も分かる気がした。

 ハーメルンの笛吹き男だって、ちゃんと鼠退治をやり遂げたのに、町の人から約束を反故にされた。だから怒って、子供達を誘拐しただけだ。

 理人には、むしろ笛吹き男の方こそ可哀想に思えてならない。そもそも悪いのは、約束を破った大人たちの方だ。



「……僕も、もしかしたら道を踏み外していたかもしれないな。犯罪者になっていたかもしれないよ」

「お前はそんなことはしない」


 間髪入れずに一谷が返してくる。うん、と理人は頷いた。


「だって僕には、お前がいるからな」


 そう返すと、一谷は飲んでいた電気ブランをぶふっと吹き出す。酒精と薬草の香りが飛び散った。


「お、おまっ、いきなり何をっ……」

「ところで一谷、つい先日、大家さんにお会いしたんだが」

「はっ?」

「お前、まだあの四畳半の下宿にいるんだって?たしか新しい官舎に入るとか言っていなかったかい?大家さんは、お前が引っ越す予定なんて無いと言っていたけれど。これは一体、どういうことかな」


 にっこりと笑って首を傾げてみせれば、一谷は目線をさ迷わせた。


「それは、その……」

「一谷、お前は方便が下手すぎる。……どうせ、僕が独り立ちしないことに痺れを切らしたのだろう?」


 理人は気づいていた。

 一谷が官舎の話を持ち出して、職を探してこいと脅しつけたのも、理人の重い尻を叩いて独り立ちさせるためだということを。

 カフェーの周りをうろついていたのも、結局は理人の心配をしていたからだ。


 家族でもない赤の他人である理人を、一谷は見捨てることなく、面倒を見て、心配をしてくれる。

 理人が道を踏み外さずに、堕落した生活を送りながらも落ち切らないのは――きっと、一谷がいるからだ。


「本当に、お前は僕には勿体ないほどの男だよ」

「みょ、妙な言い回しをするな!ただの友人だろうが」

「うん、そうだな、友人だ」

「ええい、にやにやするな!だいたいっ、わかってるならきちんと独り立ちしろ、俺に心配をかけさせるな!」


 一谷は怒鳴り、電気ブランを一気に飲む。

 真っ赤になった顔は果たして強い酒のせいか、それとも。


 照れ屋で不器用な友人に、理人は小さく吹き出しながら、自分も真似して電気ブランを呷ったのだった。



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