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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(9)


 カホルのどこか霞がかった黒い目が、暗い水面を映す。

 彼の目には何が映っているのか。笑みが消えた顔からは、良くないものであることは窺えるが、理人の目には何も映らない。

 カホルは襟の臙脂えんじ色のリボンを解くと、傍らの伸樹に渡した。


「後はお願いするよ」

「わかりました。でも、危ないと思った時点ですぐに止めること。まあ、その前に俺が止めるかもしれませんけどね」


 伸樹は心得たようにリボンを受け取りながらも、カホルに釘を刺した。二人のやり取りに、理人はようやくカホルが何をしようとしているか気づいた。


「まさか、カホル君……」

「私が囮になって、子供達の場所を探します」


 きっぱりと言いきったカホルに、一谷が顔色を変えた。


「何を馬鹿なことを言っているんだ!民間人に、しかも君みたいな子供にそんな危険なことをさせられるか」

「ですが、あなたに“笛の音”は聞こえていないでしょう?」


 今も笛は鳴っているのに、とカホルは口元だけで微笑む。


「正確には、子供にしか聞こえない高い音です。この音は、犬にも聞こえています。犬を訓練するときに使う犬笛をご存知ですか?犬笛の音は人の耳には届きませんが、犬にはちゃんと聞こえています」


 カホルの言う通り、二頭の犬は先ほどからしきりに耳を動かしている。カホルもまた、どこか痛いのを堪えているような顔で、片方の耳を押さえていた。


「この音が聞こえて、かつ、あの活動写真を集中して見ていた者が、暗示にかかっています。一谷さん、あなたが池の周辺で保護した子供も、暗示にかかってこの池までやってきたはずですよ」

「いや、しかし、そんなことが……」

「今、私の目にも、あの子が見たのと同じ“まだら男”が見えています」


 カホルが池の水面を指し示す。

 誰も、何も無いぽっかりと虚ろな空間。あそこに、まだら模様の服を着て、笛を鳴らす男が歩いているというのだろうか。

 いまだ信じられないといった表情の一谷に、カホルは苦笑する。


「……まあ、信じられないでしょうね。ですが、私はあれを追いかけます。もし、その先に行方不明の子供達がいれば、その時はどうか保護をお願いします」


 そう言って、カホルはさらりと身を翻して一人で行こうとする。

 理人は咄嗟にその腕を掴んだ。カホルが驚いたように振り返る。


「千崎さん?」

「待ちたまえ。君がそこまでする必要があるのか?警察に……一谷に任せて、昨日の活動小屋の支配人を問い詰めれば済むだけの話じゃあないのか」


 活動写真を使って催眠術をかけているというなら、その活動写真を流す者こそ犯人だ。

 カホルが危険な橋を渡ることもあるまい。

 しかしカホルは首を横に振る。


「彼らが子供を攫っているという、はっきりした証拠がありません。白を切られればお終いです。実際、この話だけでは警察も信じ難いでしょう?……それに、彼らが疑われていると知って雲隠れでもすれば、攫った子供達の行方は今度こそ分からなくなる。そうなる前に、子供達の居場所を突き止めた方がいいと思います」


 いつも通りの、カホルの冷静な意見だった。

 細い腕を握る理人の手に、思わず力が籠る。


「だったら……君は大丈夫なのか?話の通りなら、君の方こそ暗示がかかっているんだろう?他の子と同じように、君までいなくなったらどうするんだ」

「……」


 カホルはしばし呆けたように理人を見上げ、やがて静かに微笑む


「私は大丈夫です。完全に催眠術が効いているわけではありませんから。いざとなれば、これもありますし……」


 上着のポケットに入っている小型拳銃デリンジャーを見せてくる。金の鳥の館の事件の時にも見たものだ。護身用とカホルは言っていた。


「それに、ハンスとエルゼが、私を追いかけてくれます。そのために、伸樹に来てもらっています」


 カホルに名前を呼ばれ、二頭の犬は応えるように姿勢を正す。伸樹もまた、勿論というように微笑んだ。


「もちろん、あなたも、そして一谷さんも、何かあれば助けてくださるのでしょう?だから、心配はありませんよ」

「……わかったよ」


 カホルに言われ、理人は手を離す。

 するりと抜ける腕を、引き留めることはできなかった。




***




 大男二人に大型犬二頭が揃っていると、さすがに目立つ。

 囮となるカホルを追いかけるのに、こちらが目立っては犯人も警戒するだろうと、二手に別れることになった。

 エルゼを連れた伸樹が、物陰に隠れながらカホルの後を追う。

 茶屋から出たカホルは、池にそのまま向かうのではなく、一度別の通りを回ってくるようだ。


 理人と一谷、そしてハンスは、茶屋の裏手の小さな林に潜むことになった。カホル達がいない間に他の子供が来たら、話しかけて暗示を解くよう頼まれている。

 最初は伸樹から離れるのを渋っていたハンスであるが、今は大人しく一谷の足元に待機している。一谷の犬好きの気配を察したのか、意外にも早く懐いたようだ。


 すでに日は地平に沈み、辺りは薄暗くなっている。

 理人と一谷は注意深く池の方を見ていたが、今のところ子供が来る様子は無かった。

 池の水面には、中央にある小島と橋、そして池の向こうに立つ赤茶色の塔の影が映る。

 塔は、六階建ての望雲閣ぼううんかくという建物だ。かつてその場所には、浅草十二階とも呼ばれた凌雲閣りょううんかくがあったが、先の震災で損壊し、軍によって取り壊された。その後に建てられたのが望雲閣だ。半分の高さにはなったが、それでも周囲から頭一つ出る高い塔である。

 ぽつぽつと塔に灯りがつき、波打つ黒い水面に丸い光が映る様は、まるで迷う人魂が揺らいでいるようであった。

 無言で眺めやる理人に、ハンスの背を撫でていた一谷が聞いてくる。


「なあ、千崎。あの子は何者だ?」

「……さあ。僕にもわからないよ」


 はぐらかすわけでもなく、理人は正直に答えた。

 ――カホルのことを知っているようで、本当は何も知らないのだと今頃になって自覚させられる。

 参ったな、と苦笑が零れ出た。

 一谷はそんな理人をしばらく眺め、ぼそりと聞いてくる。


「大丈夫か?」

「大人よりも賢い子だよ。きっと大丈夫さ」

「そうではなくて……いや、それもあるが……」


 ガシガシと頭を掻く一谷であったが、そのとき、池の周辺に歩いてくるカホルの姿が見えた。

 二人は会話を打ち切って身構える。

 カホルはゆっくりと池の周りを歩き、池の中央の小島に渡る橋へと向かっていた。理人達はカホルを見失わぬよう、合わせて林の中を進む。

 やがてカホルは橋を渡り、小島の周囲を覆う木々の中へと消えていく。

 出てくるのをしばらく待ったが、カホルは姿を見せない。

 小島は一周三分もかからぬ狭い敷地で、林と祠しかないはずだ。さては反対側の橋を渡ったのかと思って、理人が様子を伺えば、橋を渡る人影が見えた。

 カホルにしては大きい影だと思ったら、伸樹である。

 向こうから彼が渡ってくるということは――


「一谷、行くぞ」


 理人達も静かに橋を渡って、小島へと足を踏み入れた。すると、すぐに伸樹とエルゼに合流する。


「カホル君は?」

「一通り探しましたが、いません」

「それはおかしいぞ、この島に渡る橋は二つだけだろう?まさか泳いで出て行ったというのか」


 首を傾げる一谷だが、それであれば水の音で気づくだろう。

 伸樹の対応は早かった。ポケットから細長いもの――カホルのリボンを取り出し、ハンスとエルゼにその匂いを嗅がせる。そうして、「Such(ズーフ)!」とカホルを捜す指示を出した。

 二頭はすぐに動き出した。地面や草木の臭いを嗅いで進む彼らの後を、理人達も追う。

 やがて、林の奥まったところ、小島の端にある古びた祠の前でハンスが止まった。エルゼも慎重にその周囲を嗅いでいたが、結局祠の前に戻ってきて、台の部分をかりかりと引っ掻く。


「祠に何があると言うんだ?」


 一谷が前に出て、祠に付いた木の扉をゆっくりと開く。

 慎重に覗くものの、中には何も入っていなかった。かつては地蔵か仏かが祀ってあったのだろうが、今は空洞だ。

 ハンスとエルゼは、その空洞に向かって低く唸る。


「……きっと、何かあるんだよ」


 理人も身を乗り出して、祠の奥を見ようとした時だ。手をついた床板ががくんと下がり、浮遊感が上半身を襲う。


「っ……」

「千崎!」


 咄嗟に祠の壁にもう片手をつき、一谷も襟を掴んで止めてくれたおかげで助かった。

 理人が手をついた床板が、両開きにぱっくりと、下に向かって開いていた。そこからは、土と水の湿った臭いが流れてくる。


 まるで奈落のような空洞が、祠の下にあったのだった。




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