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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(7)


 翌日、理人は夕方までカフェー・グリムで給仕の仕事をした後、浅草公園へ向かった。


 ――カホルは朝から、カフェー・グリムに姿を現さなかった。

 三宅の話では、浅草公園で倒れたことを知った淑乃が、大事を取ってカホルに休むよう言ったらしい。

 高倉淑乃は乙木ビルの管理人というだけでなく、カホルの身の回りの世話をする女中であったようだ。今日の夕方の外出も反対したようだが、カホルの意思は固く、昼過ぎには兄の伸樹が迎えに来た。

 二人連れだって先に浅草公園へと向かったと、外出する際に三宅から言われた。


『ひょうたん池の茶屋まで、できれば一谷様も連れてきてほしいとのことです』


 伝言をもらったが、昨夕の時点で一谷とは約束を取り付けてある。

 カホルの『子供がいなくなった理由がわかった』という発言を、一谷は信じ切れていないようだった。だが、捜査が行き詰っている今、少しでも手掛かりが欲しいと言う。さすがに確証が無い今の時点で、他の刑事仲間を引き連れてくるわけにはいかないそうだが。


 理人は一人、市電で雷門まで向かった。地下鉄を使わなかったのは、今の気分じゃ到底楽しめそうにないからだ。

 午後の五時を過ぎた頃、雷門に到着すれば、すでに一谷が腕を組んで待っていた。人込みから一つ飛び出た頭と厳めしい顔で、すぐに彼と知れる。向こうもまた、こちらに気づいたようだ。

 一谷は理人の顔を見ると、わずかに眉を顰める。


「どうした、千崎。何かあったか?」

「いいや、何もないよ」


 理人が軽く肩を竦めてみせれば、一谷は難しい顔ながらも「そうか」と返し、それ以上は何も聞かなかった。

 雷門から浅草寺へと続く仲見世なかみせ通りを、理人と一谷は並んで歩く。休日の仲見世通りは人と肩がぶつかるほど混雑するが、この時間帯はわりと空いていた。

 通りの出店の半分は店じまいを始めており、行き交う人たちも市電や地下鉄、市バスの乗り場がある雷門へと向かう者が多い。

 流れに逆らうように歩くスーツ姿の大男二人組に、ちらちらと視線を寄越すものもいるが、理人と一谷には慣れたものだ。さっさと四区の外れのひょうたん池の方へと向かった。




 言われた通り、ひょうたん池の茶店に着くと、カホルと伸樹の二人が待っていた。

 否、正確には二人と二頭。伸樹の足元には、二頭の大きな犬がいた。

 ピンと立った三角の耳に、狼を思わせるような尖った鼻先に精悍な風貌の犬。体毛は黒と茶色が混じり、筋肉質ながらもしなやかな流線形を描く身体。


「……ジャーマン・シェパードか?」


 一谷がほおと感心したように呟く。

 ジャーマン・シェパードは、その名の通りドイツで作出された犬種であり、優秀な軍用犬として有名な犬だ。

 日本帝国でも大正の頃に軍用犬として輸入されて、陸軍などで飼われているそうだ。聡明であり、勇敢で忠誠心が強い性格のシェパードは、近頃は警察でも警察犬として採用されている、と一谷は言う。

 その狼のような凛々しい風貌から民間でも人気があり、シェパードを飼育する人も出てきているが、異国の大きな犬は未だ珍しいものであった。


 二頭のシェパードは近づいてくる理人と一谷に顔を向けると、鋭い牙を見せて警戒心露わに唸ってくる。

 しかし伸樹が「Bleib(ブライプ)Platz(プラッツ)!」と合図すると、牙を収めて従った。ドイツ語で「待て、伏せ」の意味だ。正しく躾けられているようで、お座りの姿勢から大人しく伏せる。

 それでも、二組の茶色の目は理人と一谷から離れない。しっかりと警戒されている。


「落ち着け、ハンス、エルゼ。彼らは敵じゃないよ、一応ね」


 含む言い方をしながら、伸樹が二頭をたしなめた。

 大柄で黒っぽい顔の方がハンス、細身で赤茶色の毛が多い方がエルゼ。二頭は兄妹であるそうだ。

 一谷は「賢そうな子だ」と褒め、伸樹も謙遜せず「賢いですよ」と答える。乙木サロンの番犬であり、二頭が小さい頃から伸樹がしっかりと躾けたそうで、たしかに彼に従順であった。

 褒められたのがわかったのか、ハンスの方がふんすと自慢げに鼻を鳴らし、しっぽを揺らす。愛嬌のあるハンスに、犬好きな一谷の頬がわずかに緩んだ。

 しかし、当初の用を思い出したのか、一谷は軽く咳払いする。


「それで……小野おの君、だったな。子供達の居場所がわかったというのは本当か?」


 一谷が尋ねれば、伸樹の傍らで長椅子に座っていたカホルが立ち上がった。

 顔色は昨日に比べればだいぶ良いようだ。落ち着いた眼差しも澄ました表情もいつも通りで、理人は少しほっとする。

 カホルは一谷に「ご足労頂きありがとうございます」と軽く礼を言って、話し始めた。


「正確には、子供達がどうしていなくなったのか、その理由がわかったのです。正確な居場所は私にもまだはっきりとはわかりません。これから探します」

「探すと言っても、どうやって……」

「『ハーメルンの笛吹き男』という話を、知っていますか?」

 カホルは抱えていた一冊の本を差し出した。



 

 ――『ハーメルンの笛吹き男』は、グリム兄弟の『ドイツ伝説集』の話の一つだ。

 十三世紀、実際にドイツのハーメルンという町で起こった事件から生まれた伝説だという。


 一二八四年、ハーメルンの町に不思議な男が現れた。

 色とりどりの布でできた服を着ており『まだら男』と呼ばれたそうだ。男は自ら鼠捕り男だと称し、この町の鼠を退治してみせるという。鼠に困っていた町の住民達は男と取引し、報酬を支払うことを約束した。

 男はさっそく笛を取り出し、吹きならした。すると町中の家からすべての鼠が出てきて、男の周りに群がった。

 笛を吹きながら男が町から出れば、鼠の大群もあとについていく。男はそのままヴェーゼル河に歩いていき、鼠を残らず溺れさせた。


 しかし鼠退治が終わると、ハーメルンの住民達は約束を破り、報酬を支払わなかった。男は怒って町を去っていったが、六月二十六日の朝に再び現れた。

 男が町の通りで笛を吹きならせば、今度は鼠ではなく、四歳以上の子供達が大勢集まってきた。子供達の群れは男の後をついて町の外へ出ていき、山の中腹にある穴の中に入っていった。

 そうして男と百三十人もの子供たちは、そのまま姿を消したという――




「……この笛を吹く“まだら男”、昨日の子が見たという男に似ていませんか?」


 カホルが差し出した本――ドイツ語で書かれた洋書の一頁には、奇妙な帽子と服をまとった、道化師のような恰好の男が描かれている。

 細いラッパのような笛を吹く彼の後ろを、小さな子供達がぞろぞろと追いかける様は、どこか不気味であった。



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