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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(5)


 声の方を振り向けば、いつの間に側に来ていたのか、カホルがじっとこちらを見つめている。

 一谷はカホルがいることに驚き、「君は――」と声を掛けようとしたが、当のカホルは真面目な顔つきで少年に近寄る。


「君は、“まだら男”を見たの?」

「え、う、うん」

「どんな人?」


 同じ年頃の、しかも少女と見紛うような造作の整った、身なりのいい子供から問われ、少年は少したじろいだ。だが、大人に話すよりは気が楽なのか、すぐに答える。


「えっとね、まだら色の服を着ていたんだ。赤とか黄色とか、緑とかのつぎはぎの服で、同じ色の帽子をかぶっていたよ。ほら、サアカスの道化師ピエロみたいな服。それでね、笛を吹いてるんだ。細いラッパみたいな形の笛。ピッピー、って高い音がして。活動写真で見たのとそっくりだった」

「いつ頃見たの?」

「ええと、夕方くらい。もう仲見世のお店も閉まってて。そうしたら笛の音がして、まだら男を見つけたから追いかけたの。でも、池の上を歩いてっちゃうから、追いかけられなくて。見失っちゃった。さっきも池の上にいたのに、いなくなって……」


 少年の説明に、理人はぽかんとし、一谷は困り顔をする。

 池の上を歩く、まだらの服を着た男。まるで夢のような話である。

 そんな目立つ服を着た人物……まあ、見世物の多い浅草であればいるだろうが、こんな人寂しい所にいれば目立つ。何より池の上を歩いていれば大人でも注目する。

 しかし理人も一谷も、そんな人物は見ていない。子供の妄想か、あるいは作り話だろうか――

 しかし少年は、大人たちの胡乱な目線に気が付いたのか「本当だよ!」と顔を真っ赤にして怒る。一谷が対応に困っている理由もわかった。

 だが、カホルは一人、真剣な顔で少年の言葉を聞いていた。


「まだら男、笛の音……」


 小さく呟くカホルは、少年に再度尋ねる。


「ねえきみ、まだら男が出ていた活動写真は、どの小屋でやっていたか覚えている?」




***




 少年が教えてくれたのは、浅草六区の端の方、萬世館と東京館の間にある、小さな活動小屋であった。

 少年と別れた後、ちょうど最後の上映に間に合った理人たちは、カーテンをくぐって暗い小屋の中へと入る。

 封切――新作を流す訳でもなく、有名な作品を取り上げているわけでもない。最近主流になってきた声入りのトーキーではなく、無声の活動写真のみを流すこともあってか、人の入りはそこまでなかった。

 平日ということもあるのだろう、半分くらいしか席は埋まっていない。


「おい、千崎……」

「何だい?」

「なぜ活動写真を見る必要があるんだ?」

「……さあね」


 カホルに促された理人、さらには流れで一谷も付いてきて、なぜか一緒に活動写真を見る羽目になっている。

 肩を竦める理人に一谷は不満そうであるが、大人しく隣の席に着いた。


 カホルがなぜ急に活動写真が見たいと言い出したのか。

 理人こそ理由を聞きたかったが、当のカホルは小屋の中に入った直後から、妙に緊張しているようだ。

 薄暗い中でも、顔が強張っているのがわかる。また体調が悪くなったのだろうかと心配になるが、小屋を出るよう促す前に、スクリーンに映像が映し出された。


 見たことの無い作品であった。あるサアカスの日常を描いてあり、公演から舞台裏までの一部始終を撮った活動記録もののようだ。

 モノクロの画面の中で、フリルのたくさんついたスカートを着た女性たちが華やかに踊り、力自慢の男がレオタード姿の女性を軽々と抱え上げる。

 空中ブランコに、火の輪くぐり。無音の中で、披露される鮮やかな技。


 理人はその時、活動弁士がいないことに気づいた。

 活動弁士……無声の活動写真の内容を語りで解説する弁士のことだ。たいていの作品には、活動弁士が朗々と語る声が響くものだが、ここはどうやら活動弁士を雇っていないらしい。

 まあ、劇作品ではないし、サアカスの見世物に特に説明はいらぬのだろう。


 理人は問題の“まだら男”が出てくるのを待つ。

 ようやく、それらしき格好の男が出てきたが、大玉に乗ってお手玉を披露しただけで、すぐに別の映像に切り替わった。

 笛の音も聞こえることも無く、ただただ流れる白黒の光を、理人は目で追った。


 一時間もない上映が終わり、席を立った人がぞろぞろと出て行く。

 理人と一谷も席を立ったが、隣にいるカホルは動こうとしない。食い入るように、何も映らなくなったスクリーンを見つめている。


「カホル君、どうしたんだい?」

「……」


 カホルは無言で立ち上がり、よろけるような足取りで席の間を抜けて外に出る。

 無視された形になった理人は、腹が立つというよりも心配になった。カホルは小生意気だが、礼を失することは無い。

 足早にカホルを追いかければ、唐突に小屋の外に出る。薄い夕暮れは小屋の中よりは明るくて、ふらっと目が眩むようだった。

 そのとき、ベストの胸元を誰かに強く掴まれた。理人の正面には、俯いたカホルがいる。


「……わかりました」


 か細い声が、届く。同時に、胸元に伝わる微かな震えも。


「カホル君?」

「……まだら男……笛……子供たちが、いなくなった、理由が……」


 そこまで言ったカホルの身体が揺れる。

 カホルは糸の切れた人形のように、ずるりと膝から崩れ落ちた。


「カホル君!?」


 理人は慌てて屈みこみ、地面に倒れる前にカホルの身体を支える。

 よくよく彼の顔を見れば、頬は白く、唇からは完全に血の気が引いて真っ青になっていた。細い身体は、おこり震いのように小さく震えている。

 一谷も驚いて、急いで近寄ってくる。


「おい、どうしたんだ、その子は……」

「わからない。体調が悪そうだとは思っていたんだが……」

「とりあえず、どこかで休ませた方がいいんじゃないか?首元も苦しそうだ、襟だけでも緩めてやれ」


 一谷に言われ、理人は片腕でカホルの背を支え、もう片手でリボンを解き、襟を緩めようとした。

 だが、その手を後ろから掴まれる。はっと振り返ると、鳥打ハンチング帽を被った青年がこちらを覗き込んで、薄く笑った。


「――この子に、触らないでもらえます?」


 涼しげな声が、理人の動きを阻んだ。



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