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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(4)

 理人とカホルは、さっそく浅草公園での調査に取り掛かった。預かっていた名士の子息の写真を持って、仲見世に並ぶ出店や水族館、花屋敷などで人に尋ねる。


 一日目は大した収穫は無かった。

 二日目も夕方頃に浅草に遠出して聞きまわったが、耳にするのは他の子供も行方知れずになっているということだった。

 どこどこの子もいなくなったのよ、と別の情報が増えていき、名士の子息探しにおいて進展はない。


 一方で、理人はカホルの調子が悪くなっていることに気づいた。

 浮かべる笑みに陰りがあり、顔色も悪いように見える。連日の暑さと人込みのせいか、それとも普段地下に引きこもっているから外が苦手なのか。


 三日目の夕方、理人が「少し休憩しようか」と誘うと、カホルは素直についてきた。

 仲見世通りから西に向かい、四区の西の端にある池のほとりに辿り着く。

 ひょうたん池と呼ばれる、人造の池だ。名前の通り瓢箪ひょうたんのような形をしており、真ん中のくびれた辺りに小さな島があって、赤い橋で渡れるようになっていた。

 昔はこの島に茶屋があったそうだが今は取り壊されて、小さな祠があるだけらしい。


 ひょうたん池の周囲は人が少なく、仲見世や六区の喧騒が嘘のように静かだった。理人たちのように休憩に来る人がちらほらといる中、夕方の涼しい風が池の水面を揺らす。

 池のほとりの茶屋に入り、理人はあんみつを二人分注文した。茣蓙ござの敷かれた木の長椅子に座るカホルに差し出せば、ふっと笑みを見せる。


「あなたも甘いものを食べるのは珍しいですね」

「たまにはね」


 理人はカホルの隣に座って、匙で寒天と餡子を掬う。

 寒天は冷えていて、つるりとした食感と控えめな甘さが渇いた喉に良い。甘い餡と蜜は、歩き回って疲れた身体にじわりと染みた。

 酸味のあるミカンで箸休めしながら、理人はカホルを見る。カホルはいつもよりペースは遅いものの、美味しそうに餡子と寒天を食べている。顔色も少し良くなったように見えた。


「大丈夫かい?体調が悪いんじゃないのかな」

「……大丈夫です。少し疲れただけなので」


 カホルは小さく微笑んで答える。

 強がりだとは知れるが、カホルがこういう他人行儀な笑みを見せるときに、理人はなかなか踏み込めないでいた。


 ――カホルの正体を知るには、今が好機だというのに。


 カホルの“名前当て”を持ちかけられたのは、四月の初めのことだ。

 三か月という賭けの期間は、すでに半分を過ぎている。早く名前を当てなければと思う一方で、理人は躊躇っていた。

 弱ったところに付け込んで、甘く優しい言葉で気を許させて、相手の内面を覗き見ることは、理人の得意とするところだ。そうやって数多の女性たちの相手をしてきたのだから。

 だが、カホルにはできればそういう手は使いたくない。対等に渡り合いたいのだと、どこか意固地になっている自分がいる。


 もっとも、カホルには理人の手は通用しない気もする。甘い言葉も偽物の優しさも、すぐに見抜かれてしまいそうだ。

 そもそもカホルは、理人に甘えてくれない。気を許していないのは、今の態度でよくわかった。


 ……少しくらいは、頼ってくれてもいいのに。体調が悪いなら悪いと、僕に調査を任せると、言ってくれればいいのだ――


 そこまで考えて、理人は自嘲した。

 何をムキになっているんだか、と息をつき、寒天を口に放り込んで噛み砕く。口に残った甘い蜜を茶で流し込んでいれば、ふと、ひょうたん池のほとりを歩く子供の姿が目に入った。

 十歳くらいだろうか。学生帽に詰襟の服、膝丈のズボンを着た、学校帰りといった風体の少年である。

 少年はきょろきょろと辺りを見回しながら、柵の近くに寄る。そうして柵に手をかけたかと思えば、ぐっと上半身を柵の上へと乗りあげた。

 背が低いためか乗り越えることができないようで、脚をばたつかせている。

 このままでは、奥の池に落ちて溺れるか、手前の地面に落ちて怪我をするかだ。

 理人は腰を上げ、急いで少年の方へと向かおうとした。しかしその寸前、理人の前を横切って、猛烈な速度で少年に駆け寄った人物がいる。


「――おい、何をしている!」


 聞き覚えのある、よく響く声。


「あっ……」


 声に驚いた少年が柵から池の方へと落ちそうになるところを、大きな手が掴んで止めた。

 手の主は、スーツ姿の一谷だった。少年をしっかりと支えて柵から地面へと下ろすと、仁王像のように立って叱る。


きみ、危ないだろう!何をしているんだ!」

「っ……」


 一谷を前にして怯える少年を見かねて、駆け寄った理人は一谷の肩を叩いた。


「そんなに怒鳴っては可哀そうだよ。相手は犯罪者じゃなくて子供なのだから、少しは手加減したまえよ、仁王君」

「誰が仁王だ……って、千崎?お前、なぜここに……」


 理人の登場に、一谷が目を瞠る。


「所用でね。そういう一谷こそ、どうしてここに?封切のキネマでも見に?それとも木馬館のメリーゴーランドにでも乗りに来たかい」

「あ、阿呆あほう、あれは子供の乗るものだ」

「たしか三年前、卒業前に皆で乗った記憶があるよ。お前はひときわ気を良くしていたと記憶しているけれど」

「そんな昔の話を持ち出すな!だいたい、今はそんな暇はない……」


 六尺前後の大男二人が言い合う様を、怯えていたはずの少年はきょとんと見上げてくる。その真ん丸な目に高さを合わせるようにして屈みこみ、「やあ」と理人は声を掛けた。

 途端、少年はぱあっと顔を輝かせる。


「すごい!外国人だ!」


 トーキーに出てるよね、と少年ははしゃぐ。どうやら、外国の活動写真に出ていた男優の誰かが理人に似ているようである。


「どこから来たの?アメリカ?イタリア?」

「一応この国で生まれ育ったよ。残念だけど、外国に行ったことも無くてね」


 理人は軽く質問を流しながら、逆に少年に問い返す。


「ところで君、どうして池の柵を乗り越えようとしたんだい?危ないよ。この怖いお兄さんにも叱られただろう」

「うん……」


 少年は思い出したように、一谷をちらちらと見やる。

 『怖い』と呼称されたのが気になったのか、一谷は似合わない作り笑いをして少年に「やあ」と片手をあげてみせた。しかし、少年の顔を見た一谷が首を傾げる。


「ん?……お前、この間の子じゃないか」

「……あ!あの時のおじさん!」


 今度は『おじさん』呼ばわりされた一谷は眉を顰める。別に怒っているわけでなく、少年が顔見知りだったからだろう。


「一谷、知り合いかい?」

「ああ、十日くらい前にちょうどここで会ったんだ。その時に人さらい扱いされて困ったもんで……」


 何やら言いかけた一谷は軽く咳払いして、子供を見下ろした。


「またこんな所を一人でうろついていたのか。この間も迷子になっていただろう。親御さんに心配をかけたらいかんぞ」


 一谷はすっかり説教する姿勢に入っている。少年は身体を縮こまらせながらも、唇を尖らせて「だって」と口にした。


「“まだら男”がいたんだもの。池の上をこう、ぴょんぴょんって歩いていたんだよ。だから、追いかけようとしたの。この間のことも嘘じゃないって、ちゃんと証明しようと思ったのに……いなくなっちゃった……」


 池の方を見て、しゅんと肩を落とす少年に、理人と一谷は小声を交わす。


「“まだら男”って何だい?」

「あ、ああ……この子が見たと言っていてな――」


 ぼそぼそと男二人が顔を寄せたとき、高く澄んだ声が割り込んだ。


「“まだら男”――ですか?」




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