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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
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(13)


 一週間後、カフェー・グリムの地下。

 開店前にカホルの書斎を訪れた乙木夫人は、上品に珈琲コーヒーを飲みつつ、小さく溜息をついた。


「それにしても……白石堂さんもひどいことをするものね。いくら経営に窮していたからって、実の姪に手をかけようとするなんて、信じられないわ。ねえ、カホルさん」

「そうですね」

「しかも、他人を使って毒殺なんて恐ろしいこと。志麻さん……ではなくて美千代さんだったわね、助かって良かったわ」



 志麻――もとい美千代は、一命をとりとめた。

 叶恵の応急処置が適切だったと、病院の医師も褒めていたそうだ。


 助かった美千代の証言で、白石康作の弟夫婦が今回の毒殺をたくらんだことが露見した。

 白石堂の主人は新しい事業が上手くいかず、経営を立て直すために兄の康作に分けられた財産がどうしても欲しかったようだ。

 だが、姪の由紀子の縁談も決まりかけ、このままでは由紀子とその夫に財産が引き継がれる。

 何とか奪おうと画策するため、カフェーの馴染みの女給であった美千代を、白石邸に潜り込ませた。


 由紀子と叶恵の不和を利用し、二人の仲がより悪くなるように美千代は動いた。

 叶恵には告げ口を、由紀子には優しい言葉をかけて。

 追い詰められた由紀子の自害現場を目撃し、咄嗟に助けた美千代は、弟夫婦にこれを報告した。今回の事件の計画を立て、志麻に毒物を渡したのも弟夫婦であったという――



「由紀子さんを亡き者にするだけでなく、叶恵さんに罪を着せて追い出そうとするなんて……。千崎さん、カホルさん、事件を無事解決して下さって、本当に感謝するわ」


 乙木夫人は神妙な顔で姿勢を正し、理人に向かって頭を下げる。給仕姿の理人は、首を横に振った。


「事件は解決できましたが、誰も死なずに済んだのは叶恵さんのおかげです。僕らだけでは、美千代さんを助けることはできなかった。それに、きっと最初から叶恵さんは気づいていましたよ。事件は狂言ではないかと。でなければ、探偵にわざわざ依頼するはずがない」

「……ええ、そうね」


 乙木夫人の話では、女学校時代から叶恵は優秀で、将来は医師になるという夢があったそうだ。カホルの推測通り、叶恵は外国語にも、医学にも詳しかったのだ。

 もっとも、女性が医師になることは難しく、親からの反対もあった。それでも叶恵は帝国大学病院の看護婦養成所で学び、実務も経験した。家を出て、看護婦として働こうとした矢先、親に縁談を決められて、叶恵の夢は断たれた。


 その後、嫁入りした旧家で、叶恵は相当大変な思いをしたそうだ。『女のくせに働くなんて』『家の中を取り仕切るのが女の務めだ』と舅や姑から散々なじられた挙句、子ができなかったことを理由に一方的に離縁された。

 実家に戻れば、両親に『恥ずかしい』『世間に顔向けできない』と嘆かれる。叶恵は家を出て、乙木夫人や知人の伝手で看護婦として働きながら、しばらくの間は一人で暮らしていたという。


 そんな折、震災をきっかけに白石康作と出会い、求婚された。


「叶恵さん、最初は渋ったそうよ。自分はいい妻にはなれないなんて、あの時は言っていたわ」


 けれど康作の熱意に絆されて、再婚することになった。

 叶恵は前のようにはなるまいと、看護婦であったことを隠し、必死に取り繕っていたそうだ。家政を取り仕切る、立派な妻になるために。

 そして、義理の娘である由紀子が医学に熱中する姿を見て、自分の姿と重ねた。


「自分のような思いはさせたくなかったのかもしれないわね」


 由紀子から医学書を取り上げて医学の道を諦めるように叱ったのも、叶恵なりの愛情だったのだろうか。

 だが、それが裏目に出て、今回の事件が起こってしまった。

 由紀子の様子ですぐに狂言と気づいた叶恵は、内密に事件を解決できるよう乙木夫人に相談した。

 探偵に事件を調べさせていると由紀子に知らせて、これ以上危ない真似をしないようにと牽制の要素もあったのだろう。


 乙木夫人が小さく嘆息する。


「二人とも、最初から話し合っていれば、きっと事件は起こらなかったでしょうね。似た者同士、気が合ったでしょうに」


 たしかに、まるで鏡のような二人だ。

 でも二人は互いを見ることなく、『魔法の鏡』を覗いた。

 叶恵は、情報をくれた『鏡』を。由紀子は、優しい言葉をくれる『鏡』を。

 『魔法の鏡』……もとい『美千代』越しに歪んだ感情が生まれ、より事態はこじれたのだろうか。



「……今、お二人はどうされていますか?」

「あら、まだ話していなかったわね」


 理人たちが白石邸を出た後、叶恵が手配した弁護士を伴って、二人は警察に説明に行った。家族内の事件で未遂ということもあり、由紀子は特にお咎めも無く解放されたそうだ。

 その三日後、最初の事件の電報を受けてようやく帰国できた康作と、弟夫婦との話し合いが行われ、いろいろ変化があったらしい。


 まず、由紀子の縁談は破談となった。本人の意思を優先し、相手側とも話し合って、円満に解決できたそうだ。

 そして康作は、財産を弟に譲り、白石邸を出ることを決めた。

 何でも、横浜の大学にいる友人から共同研究の誘いがあり、近々、叶恵と由紀子、数名の使用人を伴って横浜に引っ越すそうだ。

 もともと著名な博士である康作は、財産をそれほど必要としていなかった。むしろ、家業のためならと弟に渡したらしい。ただし、由紀子の将来に必要な分と、今回、共犯者でありながら一番の被害者となった美千代への見舞金を差し引いた額だ。

 また、弟夫婦とは縁を切って、今後家族に手を出すなら今回の件も踏まえて警察に届けを出すと、きっぱり話を付けたとのことだ。


 乙木夫人は、ふふ、と笑いを零す。


「そうそう、叶恵さんってば、最近は由紀子ちゃんの話ばかりするのよ」


 何でも、『あれこれと相談してくる』『鬱陶しいことこの上ない』『お母様なんて無理に言わなくていいと言ってやったわ』と文句を言いながらも、満更でもなさそうだった――と乙木夫人は楽しそうに話す。


 叶恵自身は乙木夫人と特別仲が良いわけではないと言っていたが、この様子からすると、二人は今でも気が置けない友人なのだ。

 つんけんとした態度の叶恵は素直ではないが、悪い人間ではない。

 母と娘、そして自立を目指す女性として、由紀子と解りあう日もそう遠くは無いだろう。


 雪子姫の童話とはちがい、事件は継母と娘の仲直りで終わったようである。




***




 そろそろ帰るわね、ごめんあそばせ――と乙木夫人が帰った後、理人はうんと伸びをした。

 オーナーであり、雇い主である乙木夫人の前では、多少なりとも緊張するものだ。


「さて、そろそろ開店の時間だ。僕は仕事に戻るよ」

「ええ。私はそろそろ寝ます」

「……それはちょっとずるくないかい、カホル君」


 堂々と居眠りを宣言され、理人は思わず振り返る。カホルはそっぽを向いて、「店主の特権です」とソファーにあるクッションを抱きかかえた。

 ここ最近、カホルの機嫌があまり良くない気がする。しかもそれは、理人に向けられているように感じた。


「……カホル君、もしかして、今回の僕の働きぶりは悪かったのかい?」


 何か不満があるのかも、と考えた理人であったが、カホルは不思議そうに目を瞬かせる。


「いいえ、あなたの働きぶりはとても……とても、良かったと思いますよ。法学を専攻されていたのですね。カフェーにもお詳しい。それに何といっても、女性の扱いが、本当に上手い」

「……それは褒めていると思っていいのかな」

「ええ」


 澄まして答えるカホルに、理人は内心で溜息をついた。褒めていないと、嫌でもわかってしまう。

 理人は踵を返し、カホルの座るソファーの前に膝をついた。見開かれる黒い目をまっすぐに覗き込む。


「カホル君。君はいつも、僕より先に謎を解いてしまう。叶恵さんと由紀子さんの不和を解決したのも、結局君だったしね。……僕はね、それが悔しい。だから、僕が持っているものを全部使って、君に追いつきたいんだ。君に認められたいんだよ」


 かつて大学で学んだ法学も、カフェーに入り浸った経験も、女性の扱いも。

 己の美貌だって、何だって利用する。美千代の似顔絵を花村に頼む際には、目を輝かせる花村の『彫刻のモデルになってくれたまえ!』と引き換えの条件も飲んだ。


 子供に負けまいと必死になる自分は、無様ぶざまかもしれない。

 でも、この謎めいた少年に後れを取ることなく、少しでも自分を認めさせたかったのだ。


「君にとっては、僕は未熟で力不足なのかもしれないが、これでも必死なんだよ」

「……」


 カホルは瞬きもせずに、理人を見つめる。やがて、クッションに顔を埋めて「すみません」と小さく謝ってきた。


「あなたが力不足だなんて、思ってもいません。ただ……」

「ただ?」

「……嫉妬していたのかも、しれません」

「嫉妬……?」


 カホルが、理人に?

 信じられない言葉を聞いた気がした。だが、カホルの黒髪から覗く小さな耳が、赤くなっている。

 理人の才能に対して嫉妬……することは、残念ながら無いだろう。カホルの方が上である。ならば――


「……君、ひょっとして、由紀子さんに懸想けそうしていたのかい?」


 そういえば、由紀子に見惚れた理人の脚をカホルは蹴ってきた。由紀子を部屋に送っていくのも、率先していたような気がする。

 由紀子は新聞が書き立てるほどの淑やかな美少女だし、カホルが年上の女性に憧れるのもあり得る。理人が由紀子に優しくするのが、気にくわなかったのだろうか。

 理人の問いかけに、しかしカホルは肩を落として溜息をつく。


「違います……ああ、いえ、もうれでいいです」

「其れでいいって……何て言いぐさだい。ちゃんと教えてくれたまえよ」

「教えません。ところで開店時間ですよ。ほら、しっかり働いてください」


 カホルはクッションに顔を伏せたまま、片手を振って理人を追い払う。どうやらこれ以上粘っても教えてくれなさそうだ。


 ――やれ、人の気も知らないで。


 肩を竦めて店への階段を上がる理人は、同じ言葉をカホルが呟いていたことを知ることは無かった。




これにて第四話は終了です。


第五話「浅草ハーメルン」の更新は来週頃を予定です。


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