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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
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(12)


 志麻は愕然とする。


「なんで、それを……」

「あなたは女中にしては、ずいぶんと身綺麗にしている。化粧は薄くしているようですが、白粉おしろいと整髪料、それに少し煙草の香りがします。それから、初対面の男性に躊躇ちゅうちょなくしな垂れかかれる女性はそうそういませんよ。……カフェーの女給のように、男性相手の仕事に慣れているならともかく」


 理人は志麻の素性が気になり、その日のうちに叶恵に電話をかけて尋ねていた。

 志麻は、白石康作の弟夫婦――現在、家業を継いで薬問屋をしている彼らの紹介で、半年前に雇われたという。

 理人は乙木ビルに住む画家、花村に志麻の似顔絵を数枚描いてもらい、弟夫婦が住まう麹町區近隣のカフェーやバーを訪ねて回った。

 理人は麹町區のカフェーに日雇いの給仕で出入りしていたことがあったので、顔見知りの女給や店主がそこそこいる。馴染みの彼女らに頼んで聞いてもらえれば、数日で志麻の素性を知ることができた。


『ああ、おみっちゃんね。けっこう人気があったのよ。ほら、日本橋にある大きな薬屋……白石堂さんだったかしら?そこの旦那さんがおみっちゃんをたいそう気に入って。よく通ってたわ』

『でも白石堂さんって、今お店の方が大変って聞いたわよ。新しく美容クリームを売り出すって言ってたのが、大損出しちゃったって愚痴っていたわ』

『美千代ちゃんったら、いきなり辞めてったのよ。なんだか、お金がたくさん入るからって。変なコトされてなきゃいいけど』


 カフェーで情報を手に入れた後は、カホルが乙木夫人に頼んで白石堂の現状を探ってもらう。小野村商会では外国製の化粧品や薬品も扱っているため、白石堂の窮状やよくない噂を知ることができた。


 志麻――美千代と、白石の弟夫婦の繋がりが見えた理人とカホルは一つの結論に至った。


「志麻さん……いいえ、美千代さん。あなたは白石堂さんから、何を頼まれたんです?」

「あ、あたしは……」


 正体がばれた志麻は怯みながらも、気丈に理人を睨んできた。


「あたしは何もしてないわ。首を吊ったのも、毒を入れたのも、全部そのがしたことじゃないの!あたしはただ、少し手伝っただけで……」


 開き直った志麻に、理人はすっと目を細める。


「志麻さん、幇助ほうじょ罪という犯罪を知っていますか?」

「ほう、じょ……?」

「ええ。実際に犯行を行わなくとも、手伝うことも罪になるんですよ。ちゃんと刑罰を与えられる。法律で決まっていることです」

「そんなこと、知らな……」

「それから教唆きょうさ罪。これは、人を唆して犯罪を実行させたものに科せられます。犯罪を行った者と同じ刑罰が与えられますね」


 ゆっくりと述べる理人に、志麻の顔がだんだんと強張っていく。


「帯紐や毒の櫛の事件では、たしかにあなたは協力しただけかもしれません。ですが、今回は違う。もし、あなたが眠り薬と偽って毒薬を由紀子さんに渡したのなら、これは明らかに故意……つまり殺意があったことになります。未遂にはなりましたが、内容によっては殺人罪と同程度の刑罰を受ける。殺人罪にどういう刑罰が下るかは、さすがにご存知でしょう。無期懲役で刑務所に一生入るか、あるいは死罪か……」


 死罪と聞いて、さすがに志麻は参ったようだ。激しくかぶりを振って怒鳴る。


「あたしが仕組んだんじゃないわ!白石さんから頼まれて……っ」


 叫んだ後ではっと口を押さえるが、すでに遅かった。

 歯噛みした志麻は、懐から何やら白い三角の紙包み――おそらくは薬包を取り出して、庭に投げ捨てようとする。

 側にいたカホルが、志麻の手から薬包を取ろうと手を伸ばす。数秒揉み合いになるが、小柄なカホルは突き飛ばされてしまった。


「カホル君!」


 側まで来ていた理人が、カホルを抱き留める。その隙に、志麻は薬包を開いて、あろうことか口の中に中身を放り込んでしまった。証拠となる薬を隠滅するためだろうが、なんと無茶なことをするのか。

 志麻は引きつった笑いを見せた後、喉を抑えて前のめりに倒れる。


「――何をしているのですか!」


 誰もが呆然とする中、声を上げて真っ先に志麻に駆け寄ったのは叶恵だった。志麻を横向きにさせて、室内を見やる。


「由紀子さん!そこのカップとポットを寄越しなさい、まだお茶は残っているでしょう?それから、水屋から水を持ってきて。桶一杯……できるだけたくさんよ!」

「え、あ、あの……」

「早くなさい!人の命がかかっているのよ!」

「は、はいっ」


 由紀子は急いで立ち上がり、ポット、それから手の付けられていなかった叶恵のティーカップを取って渡す。

 叶恵はお茶を志麻の口の中に入れて、嚥下させずに吐き出させる。口内を洗っているのだ。その手際の良さは目を瞠るものがあった。

 由紀子も呆けて見ていたが、「由紀子さん!」と再度叶恵に呼ばれて我に返ったようだ。急いで茶室の隣の水屋まで行こうとするが、その脚は震えておぼつかない。

 理人は駆け寄り、由紀子を支えるように手を取った。


「手伝います。水屋はこちらですか?」

「あ……はいっ」


 理人の手を握り返した由紀子が、案内するために前に立って歩く。

 ぎゅっと唇を引き結び、前を見据える由紀子の脚の震えは、いつの間にか止まっていた。




***




 ぐったりとなった志麻が、使用人の男たちに運ばれていく。

 志麻が飲んだ毒は、叶恵がほとんど吐き出させた。口内をしっかりと洗うだけでなく、大量の水を飲ませて吐かせるという処置を、理人に手伝わせながら施した。その間、カホルと由紀子が車を手配し、病院にも連絡をする。

 すべて、叶恵の采配によって。

 着物が水や吐瀉物で汚れるのも構わずに一番動いていた叶恵は、大きく息を吐く。


「……着替えてきますわ。病院と、それから警察に行かなければなりませんもの」

「あの、叶恵様……」

「あなたもですよ、由紀子さん。事件のことをきちんと警察に説明しなさい」

「……はい、わかりました」


 俯く由紀子に背を向けて、叶恵が部屋を出ようとした時だ。


「一つ、よろしいですか?」


 高く澄んだ声が叶恵を止める。カホルだ。叶恵は顔だけを振り向かせる。


「またあなた?」

「はい。本棚の件について、もう少し詳しくお聞きしたいのです。あなたはどうやって、本棚から医学に関する本だけを取り出したのですか?」

「そんなこと……背表紙を見ればわかるでしょう」


 何を当たり前のことを、と叶恵は呆れたように言う。だが、カホルはにこりと微笑んだ。


「あの洋書ばかりの棚から、あなたは背表紙を見ただけで医学書だとわかったのですね」

「……」


 カホルが何を言いたいのか、叶恵も、そして由紀子も思い当たったのだろう。叶恵は答えずに立ち去ろうとするが、カホルが追い打ちをかけるようにその背に声を掛けた。


「叶恵さん、先ほどの応急処置も素晴らしかったです。ご主人……康作さんと出会われたのは、たしか震災時の野外病院だったそうですね。あなたの懸命な看護に、一緒に働かれていた康作さんが惚れたのだと、乙木夫人からお聞きしました」

「え?」

「……」

「あ、あの、叶恵様、そうだったのですか?」


 驚いた由紀子が尋ねるが、叶恵は答えない。

 「覚えておりません」と足早に去っていく途中で「文子のやつ、覚えてなさいよ」と低く呟く声が、近くにいた理人には聞こえてしまった。

 理人は苦笑を零し、叶恵を見送った後、同じように叶恵の背を見つめる由紀子に声を掛けた。


「由紀子さん。叶恵さんと、きちんと話してみてはいかがですか?あなたのことをわかってくれるのではないでしょうか。きっと、誰よりも」

「……はい。千崎さん、小野さん。この度は、本当にありがとうございます」


 由紀子はしっかりと頷いた後、理人とカホルに深々と礼をして、叶恵の後を追っていった。



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