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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
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(9)

「何を仰っているのか……犯人が分からないからといって、妙な言いがかりはよして」

「由紀子さんは、何かを隠しているようでした。あなたも同じように、隠しごとがあるように思えてならない。警察ではなく探偵ぼくらを頼ったのは、犯人を見つけるためだけではないのでは?どうか、包み隠さず話していただけませんか」

「……」


 叶恵はしばらく黙って、理人を睨みやる。


「勝手な憶測を述べるのは止めていただける?……解決できないと言うのなら、もう十分でしょう。依頼料は文子さんにお渡ししておきますから……」


 頭を振って、叶恵は話を打ち切った。

 これ以上の追及は無理なようだ。理人たちを追い返そうとする叶恵に、すばやく問いかけたのはカホルだった。


「奥様、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「……次は何?私が犯人を匿っているとでも言いだすのかしら?」

「いいえ。由紀子さんが所有する本の一部を、処分なさった理由を聞きたいだけです」


 カホルの唐突な問いに、叶恵は訝しげに眉を顰める。


「それが、事件と何の関係がありますの?」

「何か関係があるかもしれませんので」


 カホルの曖昧な返事に、叶恵は溜息をつきながらも答える。


「大したことはありませんわ。これから嫁ぐ身だというのに、いつまでも医学にうつつを抜かしているから処分したまでのこと。人より頭が優れていると、女の身で医者になると浮かれているあの子には、それこそいい薬になったでしょう」


 どこか苦く、突き放すような口調だった。叶恵はもう一つ溜息をつくと、踵を返す。


「……もういいかしら?私、暇ではありませんの。あなた方も早くお帰りあそばせ」


 背中を向けて去ろうとする叶恵に、理人は声をかける。


「もし――もしあなたが犯人だと思う者に何か動きがあったら、必ず知らせてください。あなたが由紀子さんを助けたいと思うなら」

「……」


 叶恵は一度足を止めたが、振り返ることなく去ってしまう。細い背中を見送った理人たちは、やがて呼びに来た使用人に促され、白石邸を出たのだった。




***



 カフェー・グリムのある神保町で送りの車から降ろしてもらった理人たちは、近くの洋菓子店に入った。

 ここには小さな喫茶室があり、買った菓子をその場で食べられる。買って帰ってもよかったが、偶には外でと理人が誘うとカホルはすんなり了承した。


 カホルはシュウクリィム、理人はサヴァランを頼み、丁度空いていた一番奥のテーブルに座る。

 震災後に建てられた洋風建築、アール・デコ調の喫茶室には、植物をモチーフにしたステンドグラスが張られ、鈴蘭の花のようなシャンデリアが吊るされている。本棚に埋もれたどこか薄暗いカフェー・グリムとは異なり、明るい華やかな雰囲気があった。

 すぐに運ばれてきたのは、白い皿に盛りつけられた洋菓子と熱い紅茶だ。

 理人は、下宿時代は安い紅茶――貧乏性の一谷は使用した茶葉を何回も乾かして使い切っていたものだ――を飲むことが多かったが、最近は勤め先の都合で珈琲が多い。

 久しぶりの紅茶は、濃い珈琲に比べれば物足りない気もしたが、独特の香りが懐かしかった。カホルの方はといえば、相変わらず珈琲だ。


「紅茶は嫌いかい?」

「嫌いというより、苦手なだけです」


 それを嫌いと言うのじゃないかな、という言葉を飲み込み、理人は皿のサヴァランにフォークを入れる。

 フランスの菓子だと言うサヴァランは、円形のドーナツのような形をした黄金色の焼き菓子で、銀色の紙の上に乗っている。表面は艶々と輝き、穴が開いた中央には、白いクリィムが渦を巻いて入っていた。

 一口大に切り分けて口に入れれば、ラム酒がたっぷり入った甘いシロップがじゅわっと染み出した。わざわざフランスから取り寄せたラム酒を使っているそうで、深い味わいがある。ラム酒の濃厚な香りは、酒に弱い者なら酔ってしまうだろう。

 酒に強い理人は、最近これが気に入りである。

 向かいに座ったカホルはというと、黙々とシュウクリィムを平らげている。はて、食事より甘いものを好むはずだが、いつもよりも美味しくなさそうに見えた。


「もしかして、体調が悪いのかい」

「いえ、大丈夫です」


 カホルは答えるが、口の端に零れついた玉子色のクリィムにも気づいていないようだ。

 理人がついと手を伸ばして拭ってやると、小鹿のような目が大きく見開かれた。理人は親指についたクリィムを舐め取る。甘い、卵の風味がする。


「子供みたいだね、カホル君」

「……どうせ子供です」


 薄く朱色が滲む白い頬を逸らし、カホルは拗ねた顔を見せる。これもまた珍しかった。

 理人が次は何と言って揶揄おうかと考えていたが、カホルは先に平静を取り戻してしまう。


「ところで千崎さん。白石さんに仰っていましたが、あなたの方も犯人の見当がついているのではないですか?」


 仕事の話になれば、理人もふざけているわけにいかない。


「ああ。……茶室の天井の垂木や板の部分に、何かで擦ったような跡を見つけたよ。あれはおそらく、紐を通した跡だろう。あの低い天井であれば、由紀子さんでも手が届く。それから、首に巻かれていたという紐、志麻さんの話では、二周ないし三周巻かれていたらしい」


 人の首に紐をかけて締めるなら、三周も巻くことはない。

 人気のない離れの茶室を、特に用事もないのに訪れた由紀子。低い天井の立派な梁と垂木の擦れた跡。首の紐の巻き方から推測できるのは――


「……襲われたのではなく、自害、あるいは狂言の自害をしようとしていたのかもしれないね」

「動機は何です?」

「それは、君の方こそ見当がついているのだろう?」


 カホルをじっと見やれば、やがて小さく息をつき答える。


「彼女が本気で医学の道を志していたのなら……縁談の話も、白石さんの本を捨てる行為も、さぞ耐えがたい苦痛であったでしょうね」


 カホルが本の話を持ち出したのは、動機を確認するためでもあったのだ。


 将来の道を断たれ絶望した由紀子は自害を試みたのか、それとも恨みを抱いて義理の母を陥れる画策を立てたのか――

 第二の事件が起こったことを考えると、後者の方だろうか。


 カホルは言葉を続ける。


「もっとも、由紀子さんだけでは今回の事件は成り立ちません。事件の発見者であり被害者にもなった……女中の志麻さんが、協力者ではないかと思います」

「うん、僕もそう思うよ。……ただ、少し気になることがあるから、調べてみたいと思うんだが――」


 そうカホルに話す理人の胸元には、白粉のかすかな残り香があった。



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