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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
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(8)


 何度か振り返りつつも去っていく由紀子を、理人は見送った。

 カホルはといえば、一度だけ理人を見た後、由紀子を支えて堂々とした足取りで本邸へと向かう。相変わらず、子どもらしくない落ち着きぶりである。


 ……由紀子の方は、カホルに任せていいだろう。


 由紀子の口からこれ以上の情報を収集するのは難しい。本人が何も話さずに隠そうとしているのだから。

 だが、カホルであれば由紀子から話を聞きださずとも、何かしらの情報を掴むだろう。

 由紀子の仕草や言動、身の回りの様子から、カホルが何も情報を得ないわけがない。彼の観察眼に頼ることになるが、理人が年頃の、しかも婚約者のある令嬢の部屋に入って、じろじろと見るわけにもいかなかった。警戒されずに探るには、子供のカホルの方が適材である。

 もちろん、カホルに任せきりにはしない。こちらはこちらで、別の方法で情報を仕入れるだけだ。


 理人は所在なく佇む志麻の方を向いて、とっておきの笑みを浮かべた。


「志麻さん、事件があったという茶室に案内してもらえますか?」

「は、はい……」




 頬を染めた志麻に案内されたのは、建物の端にある四畳半の和室だ。

 ここが、由紀子が最初に襲われた場所。帯紐で首を絞められていたという。

 中央に炉があり、古びた掛け軸のかかった床の間、にじり口もあった。自然木や竹を巧みに使った風流な装いの部屋は、本邸から一番離れた場所にあるためか、人気ひとけも無く物寂しい。

 中に入って、理人は薄暗い室内を見回す。

 天井は低く、半分は床と水平になった平天井であり、もう半分は屋根裏の構造が見える斜め天井だ。平天井の方は六尺越えの理人は腰を屈めないと頭がつかえてしまい、斜め天井の方で何とか直立できた。

 飴色がかった立派な丸太の柱や梁、垂木。ふと、目の前の垂木の一本に何かが擦れた跡があることに気づく。垂木の周囲の天井板の一部にも、かすかに表面が剥げたところがあった。


 理人は、茶室の入口辺りに佇む志麻に声を掛ける。


「志麻さん、あなたが由紀子さんを発見したそうですが……由紀子さんが倒れていたのはどの辺りかな?」

「あ……たしかその辺りだったと……」


 迷いながらも志麻が示すのは、理人が立っている場所だった。


「どちらを向いて倒れていましたか?」「仰向け?うつ伏せ?」「首の紐は、何周巻かれていましたか?」「躙り口は閉まっていた?」「逃げた人が来ていた着物の色は――」


 理人の矢継ぎ早の質問に、志麻は途中口ごもりながらも、的確に答えていく。いくつかの質問を終えたところで、理人は志麻に礼を言った。


「ありがとう、大変わかりやすかったです。あなたの記憶力は素晴らしいものだ」

「いえ、そんな……」


 志麻は満更でもなさそうに頬を染めながら、前掛けを両手でいじる。その左手の指先が赤くなっていることに、理人は気づいていた。脳裏に浮かぶのは、二度目の毒の櫛事件だ。


「その怪我、もしかして櫛の歯が刺さった時にできたものですか?」

「あ……」


 志麻は手を隠そうとしたが、理人は「失礼」とすばやく彼女の手を取った。

 細く白い左手の薬指の先端。綺麗に揃えた爪の生え際辺りに傷があり、腫れはだいぶ引いているようだが、赤黒く変色している。

 由紀子の代わりに毒の櫛の被害者となった使用人は、志麻で間違いないようだ。


「……痛かったでしょう」


 指先をそっと撫でやり、間近で顔を覗き込めば、志麻は頬をますます赤らめる。


「い、いいえ。これくらい、大したことありませんわ」


 首を横に振る志麻に、理人は櫛の歯が刺さった時の状況を尋ねる。

 由紀子の身支度のため、鏡台に置いていた櫛で髪を梳こうとしたら、櫛の歯がたまたま指先の爪の辺りに当たったそうだ。櫛の歯の一部は鋭く尖っており、何かかぶれる薬品が塗られていたらしい。二日ほどはひどく腫れていたと志麻は答えた。


「これで済んで幸いでした。……もし、お嬢様が怪我していたらと考えると……」


 志麻の表情が曇る。そうして、理人の胸元に縋るようにしがみついてきた。ふわりと、白粉おしろいと甘い香りが微かに漂う。


「あの、探偵さんなんですよね?犯人を早く捕まえて、どうかお嬢様を助けて下さいませ。命を狙われているんです。お願いします」

「……ええ、もちろんです。必ず由紀子さんを襲った犯人を見つけてみせましょう」


 理人がしっかりと頷けば、志麻はほっと小さな笑みを見せた。




***




 仕事があるという志麻を本邸へ返した後、理人がそのまま茶室で待っていれば、カホルが戻ってきた。


「やあ、由紀子さんの方は大丈夫だったかい?」

「ええ、今は部屋で休まれています。……送るついでに、部屋も見せてもらいました」


 カホルはきちんと理人の意図を読み取っていたようだ。

 第二の事件、毒の櫛の現場が由紀子の部屋であることを踏まえて、理人と同じように見分してきたらしい。

 もっとも、理人が言わずともカホルは自発的に行うのだろうが。以前の金の鳥の館の事件は、カホルの観察眼で解決したようなものだ。


「入口はふすまで鍵はありませんので、部屋は自由に出入りが可能です。由紀子さんの不在時に、毒の櫛を置くことは誰でもできたでしょう。もっとも、彼女の部屋は屋敷の奥まった場所にあり、使用人の目もあるので、外部の人間に犯行は難しいかと」


 カホルは淡々と、考えを交えながら報告する。


「それ以外に目新しい情報は……ああ、そうだ、本棚がありました。ゲーテやハイネの詩集にシェイクスピアの戯曲、プラトンの哲学の本、西洋のマナーブック……すべて洋書で、英語ドイツ語そろい踏みでしたよ。噂通りの才媛ですね。それにグリム童話集やペロー、アンデルセンの童話集の原本も。語学の勉強のために、幼少のころから読まれていたそうです」

「……君は本当に本が好きだね」

「ええ。……まあ、それよりも、立派な本棚なのに空白があったことが気になりました」

「空白?」


 問いかけようとして、理人はふと違和感に気づく。いつも微笑を浮かべているカホルの表情が、どことなく硬い。


「カホル君?どうかしたのかい」

「……白粉と香水の、香りがします」

「ああ、よくわかったね。志麻さんのものだろう。移ってしまったのかな」

「……」


 カホルの目が細められる。黒い瞳の非難の色と、白い眉間の皺に、理人は思わず目を止めた。

 カホルが感情を表すのは珍しく、それが怒りに近いものだと、なおさら珍しい。

 何が気に障った……ひょっとしたら、理人が不埒なことをしていたとでも思ったか。子供らしからぬ想像と、子供らしい潔癖さに、理人は苦笑を零す。


「いや、誤解しないでくれたまえ。別に何もなかったよ。お嬢様を助けて下さいと、縋りつかれただけだ」

「そうですか」


 カホルの眼差しにはわずかに険が残っていたが、すぐに「失礼しました」と素っ気なく引いた。


「ところで、空白というのは――」


 理人が問おうとした矢先、茶室の外から声が掛かる。


「もう調査は済んだのかしら?」


 離れに戻ってきていたのか、叶恵が茶室を覗いている。こちらは相変わらず険のある眼差しだ。


「由紀子さんから話は聞けたのでしょう?何か分かりまして?」


 答えを急かす叶恵に、理人は答える。


「由紀子さん自身は、事件のことはよく覚えていないと言っていました。ただ、状況から見ると、内部の人間の犯行と考えた方がよいでしょう。由紀子さんを発見した女中の方は、犯人らしき人物が縁側を逃げるところを目撃したようです。女性だったそうですよ」

「……まさか貴方も、私を犯人だと言い出すんじゃないでしょうね」

「いいえ、それはないでしょう」


 この茶室から逃げるために縁側に回るのは、手間がかかる。

 外に直接出られる躙り口から庭に出て、そのまま庭木の間を隠れて逃げた方がよほど人目に付かない。目撃されたとしても、それは犯人ではないだろう。

 志麻が見た後ろ姿は、『犯人』と思わせたい何者かの扮装か、あるいは――。


 理人が即答で否定すれば、叶恵は拍子抜けたように顔の強張りを消した。しかし、理人が「ですが」と付け加えると、顔色を変える。


「白石さん。あなたの方こそ、犯人に心当たりがあるのではないですか?」

「……」


 叶恵の目は一度大きく見開かれ、やがてついと逸らされた。


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