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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
32/77

(6)

 白石邸があるのは、本郷區の北、北豊島郡にある日暮里にっぽりであった。


 関東大震災の被害がほとんど無かったこの地区は、江戸時代に寺町として発展した場所でもあり、多くの寺社が密集している。また、古くからの長屋や蔵屋敷などが残り、ビルディングが立ち並ぶ丸の内や銀座と異なって、江戸の名残を留めていた。

 白石邸もまた、趣ある蔵屋敷が並ぶ一角にあった。

 白石家は、もともとは別の場所に店を構えた大きな薬問屋であった。廃藩置県後に払い下げられた蔵屋敷を買い取って、現在は蔵を倉庫として使いながら、居を構えているという。もっとも、長男で跡取りでもあった白石康作氏は医学の道に進んだため、今は弟夫婦が家業を引き継いでいるそうだ。


 白石叶恵から寄越された迎えの車に乗った理人まさとは、長く続く石塀を窓から眺めていた。やがて、立派な門構えが見えてくる。

 しかしながら、車は門を通り過ぎて石塀の端、細い路地に入り込んだ。しばらく走って、人気のない所で理人たちは下ろされる。

 運転手は「奥様から言付かっておりまして」と言って、離れた場所にある裏口の木戸を示した。


「……“探偵”を雇ったなんて知られたくないのだろうかね」


 思えばカフェー・グリムに訪れた際も、叶恵は裕福な家の夫人でありながら、供の者を付けていなかった。近所の者どころか、家人にも知られたくないのかもしれない。


 探偵は、小説にでてくるような颯爽と事件を解決する格好いい職業――というわけではない。

 実際は、相手の素性や行動を調べたり、失せものを探したりすることが主で、小説の中ならともかく、現実ではまともな稼業とは思われていないのが普通だ。


「よくあることですよ」


 カホルは慣れているようで、気にした様子もない。理人の先に立って歩き、木戸の方へと向かう。

 今日のカホルは淡い青みのある灰色のベストとズボンをまとい、明るい空色のリボンタイを付けている。いつものように、良家の子息といった態だ。

 木戸から顔を出した、使用人と思しき年配の男は、子供のカホルには警戒する色を見せない。


「私、乙木文子の代理の者です。千崎が来たと、奥様にお伝え願えますか?」

「お遣いですか。偉いですねぇ、坊ちゃん」


 はきはきと物を言うカホルを、にこにこと微笑ましいものを見るように目を細めている。

 一度屋敷に行って戻ってきた使用人は、「奥様がお待ちです」と木戸を大きく開いた。

 招かれるカホルの後ろを理人がついていけば、笑顔だった使用人はぎょっとしたように目を瞠った。理人の異人のような風貌に驚いているのだろう。が、理人も慣れたもので、軽く帽子を持ち上げて「ごきげんよう」と愛想よく微笑んだ。

 呆気にとられていた使用人は我に返り、そそくさと理人とカホルを邸内へと案内する。


 白石邸の敷地は広かった。

 大きな日本屋敷の周りには、乙木サロンには劣るものの広い庭がある。こちらは松や楓などが植えられ、石灯籠や鹿威ししおどし、小さな滝や石庭せきていこしらえられた立派な日本庭園だ。

 しかし、ちらりと見えた庭の奥の方には、日本庭園には不似合いな小屋や、畑のようなものも見える。ふと気になって、理人は前を行く使用人に尋ねてみた。


「あの畑のようなところは何ですか?」

「え?ああ、はい、あちらは薬草園でございますよ。ほら、うちは代々薬屋をやっておりますでしょう?先代がご趣味で作られたものでしてね。もっとも、先代が亡くなられてからはお嬢様が世話をなさっていましたが、今は庭師が……」


 使用人が説明しながら、庭を回って屋敷の端へと向かう。板張りの渡り廊下で繋がったそれは、離れであろう。離れとは言っても、六畳間が四つ以上は入ると思われる立派な建屋だ。

 玄関……というよりは使用人が出入りするような勝手口から中に入り、縁側伝いに移動する。庭に面した部屋の一つで、叶恵が待っていた。

 和室に絨毯を敷いて、テーブルと椅子を置いた洋風の応接室だ。テーブルの側に立っている叶恵は、眉間に皺こそ寄せてはいないものの目つきは険しい。厳しい表情が彼女の常であるらしい。

 もとが美人な分、少々きつい印象を生む。使用人もどこか緊張したような面持ちになっていた。


「奥様、お客様をお連れしました」

「ええ、ありがとう。もう下がっていいわ。……ああ、志麻しまにお茶を持ってくるよう、伝えてちょうだい」


 素っ気なく言う叶恵に、使用人は頭を下げて早足で去ってしまう。彼の後姿を眺めていれば、叶恵から声がかかる。


「ようこそ、千崎先生。わざわざお越しいただいて、痛み入りますわ」

「いえ、こちらこそお招きいただき感謝します」


 おそらくは皮肉であろう社交辞令を、理人は笑顔でかわす。

 叶恵は少し虚を突かれたようだが、すぐに表情を取り繕った。「どうぞ、おかけになって」と彼女に促されて、理人もカホルも椅子に座る。


 今回、カホルは『金の鳥の館』のときと比べるとずいぶんと大人しい。勝手に行動したりせずに、まさに“助手”のように理人の斜め後ろをついてきていた。

 もっとも、その小鹿のような目は、時折はしこく辺りを見ている。理人が見落としているものも見逃さないような、そんな注意深い視線だ。


 これは気を引き締めなければ、また彼に出し抜かれる羽目になる。

 ……別に敵ではなく味方なのだから、出し抜かれても特に問題は無いのだが。


 複雑だな、と頭の隅で考えていれば、叶恵が単刀直入に話を切り出す。


「それで、何からお調べになりたいのかしら?」

「まずは由紀子さんと話をさせて下さい。事件が起きたときの状況を詳しく聞きたいのです」

「……わかりました」


 渋面ながらもあっさりと叶恵は了承した。


「娘は今、家におります。いろいろとありましたので、女学校は休ませていますの」


 しばらくして、煎茶を運んできた若い女中――志麻に、叶恵が由紀子嬢を呼んでくるよう頼む。それから五分も経たぬうちに、「失礼いたします」と縁側から声を掛けられた。


「入りなさい」


 叶恵の声にしずしずと姿を現したのは、和服姿の若い娘。由紀子嬢だ。

 長く美しい黒髪をおさげにして、白い小顔をそっとうつむけている。

 彼女の容貌は、評判通りの美少女ぶりであった。

 長い睫毛に覆われた、くっきりとした二重瞼の円らな目。すっと通った鼻筋に、小ぶりな唇は淡い桃色。数えで十七とあるように、全体的にあどけなさが残るが、まさに可憐といった風情だ。これは新聞記者も飛びつくはずだ。

 しかし、その幼い頬はやや血の気が引いているようだ。

 緊張しているのだろう。花柄の小袖をきゅっと握る華奢な手や、気丈に引き結ばれた唇は、むしょうに庇護欲を湧き立てる。


 ほう、と感心した理人が由紀子嬢を見ていると、足に軽い衝撃がある。テーブルの下で蹴られたのだ。隣を見れば、澄ました顔のカホルがいた。うら若い令嬢をじろじろと見るものではない、と窘められたようだ。

 理人は気を取り直していれば、叶恵がてきぱきと紹介する。


「由紀子さん。こちらは文子さんの知人の千崎さんです。それから、助手の小野さん」

「はじめまして、千崎と申します」

「はじめてお目にかかります。白石由紀子と申します。……その、あなた方は……?」


 由紀子嬢が小首をかしげて、理人とカホルを交互に見てくる。

 それに答えたのは叶恵だ。


「お二人は探偵をされているの。由紀子さん、あなたが襲われた件についてお調べになってくれるそうよ。詳しくお聞きしたいことがあるそうだから、話していただけるかしら?」


 叶恵の言葉に由紀子の頬がはっと強張るのを、理人も、そしてカホルも見逃すことは無かった。



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