(4)
「――こちらでよろしいのかしら?」
約束の時間通りに訪れたのは、年配の女性だった。
三宅にカフェーの奥にある書斎へと案内されてきた彼女は、天鵞絨のカーテンを背にしたまま、緊張を含んだ顔で訝し気に辺りを見回す。
すかさずカホルが階段を上がり、「どうぞ」と彼女に手を差し出した。さりげなくエスコートをするのが無害そうな子供とあって、女性は頬の強張りを緩める。
カホルに連れられてやってきた女性は、古典柄の着物を纏って髷を結い、落ち着いた佇まいをしていた。眦が上がった細い目と薄い唇はやや冷たい印象を与えるものの、上品な物腰と重ねた年月の皺がそれを和らげる。
四十代前半ほどの、いかにも日本風の美人で、洋装で溌溂とした乙木夫人とは正反対のような女性だ。
女性は、カホルに軽く目礼した後、理人を正面から見て――白い眉間にわずかに皺を寄せた。
「……これは、どういうことかしら。なぜ、外国の方がいらっしゃるの?」
女性のどこか非難するような問いは、理人ではなくカホルに向けられる。カホルは臆することなく答えた。
「この方が、乙木夫人の代理人だからです」
「代理人が外国人だなんて聞いていないわ。……文子さんは、いったい何を考えていらっしゃるの」
どうやら、女性は理人が日本人でないことが気に召さないようだ。一応、半分は日本人の血が入っているのだが。
この国では、外国人に嫌悪や好奇を抱く人間はいまだ多い。
もっとも、理人の子供時代に比べればだいぶマシになった方だ。こういった態度には慣れているので、理人はさほど気にしなかった。
が、乙木夫人の代理、探偵役としては大丈夫なのだろうか。異人というだけで依頼人に警戒されるのではないだろうか。
しかし、それはカホルも予測済みだったようだ。にこやかな笑みを絶やさずに、すらすらと答える。
「彼は外国人ではありませんよ。我が日本帝国で生まれ育ち、帝国大学を優秀な成績で卒業した立派な男子です。その後、英国に渡って大学で心理学を学び、最新の犯罪捜査技術を現地で学んだ方でもあります。英国の科学捜査技術が世界でも最先端を行くことは、ご存知ではありませんか?」
「え?ええ、まあ……」
「昨年、欧州にて小野村商会の者がある事件に巻き込まれた際、彼が見事に解決し、その恩もあって乙木夫人が相談役として雇った次第です。……もし問題やご不満がおありでしたら、この度の依頼は、大変申し訳ございませんがお受け致しかねます。もちろん、一切他言は致しませんのでご安心ください。それでは、乙木夫人にこの件はお伝えしておきます。わざわざご足労頂きながら、誠に恐縮ではございますが……」
「わかりました、わかりましたわ。問題はありません」
立て板に水のごときカホルの弁舌を、女性は溜息をついて遮った。
「まったく、文子さんの西洋かぶれには困ったこと。……探偵がどういうものかはよく存じ上げませんけれど、随分と口の立つ子供もいらっしゃるのね」
女性が横目でカホルを見やる。カホルは口元の笑みをそのままに、理人へと軽く目配せしてくる。
悪戯めいた目の光。本当に頭の回転の速い、口の回る子供だと、理人は感心した。
帝大卒業はともかく、英国云々のくだりはまったくの嘘八百だ。
あんなに堂々と言ってしまって大丈夫かとも思ったが、それを依頼人が確認する術はそうは無いだろう。探偵のことをよく知らない、と本人が言っているのだし。
とりあえず、乙木夫人の後ろ盾はあるのだから、理人は嘘八百に見合う働きをするしかない。
前回もそうであったが、いきなり荷物を――しかも想像以上に重い荷物をぽいっと寄越してくるカホルに、理人は負けじと微笑みを返してみせた。
そうして、女性の前で腰を屈めて挨拶する。
「初めまして。僕は千崎と申します。この子は、助手の小野です。僕の容姿でご不安にお思いのことでしょうが、生まれ持ったこの血も姿も、変えるわけにも参りません。どうかご容赦くださいますよう」
「……いえ、こちらこそ失礼いたしました」
流暢な日本語を話し、低い物腰の理人に、さすがに女性も気まずくなったのだろう。わずかに目を伏せながら謝罪した。
向かいの席に座った依頼人の女性は「白石叶恵」と名乗った。
乙木夫人と女学校時代からの友人ではあるものの、特別親しくしていたわけではない、今回は乙木夫人から提案されて仕方なく相談に来た……と顰め面で前置きした叶恵が、単刀直入に切り出す。
「相談したいのは、私の娘の『白石由紀子』のことです」
「白石……」
理人の脳裏に、先ほどカホルに渡されて読んだばかりの記事の幾つかが思い浮かぶ。
理人がわずかに表情を変えたのを、叶恵は見逃さなかった。
「ご存知のようですね。さすが探偵さんですこと」
「いえ……」
叶恵の言葉に、理人は言葉を濁した。
彼女の言葉は、決して褒めているわけではない。『白石由紀子』に関する記事は、帝都の娯楽新聞……要は低俗な内容を面白おかしく書いたものに載っていたのだ。
そんな低俗な新聞を読むなんて趣味がよろしいこと、という皮肉であった。
叶恵の紅を差した唇が、自嘲の色を載せて笑む。
「ならば、もう私の依頼も検討がつきますでしょう?私から話すことはないかしら」
「……いいえ。記事は一つの情報ではありますが、それが正しいものかどうかまではわかりません。だからこそ、他人が想像して書いた話よりも、あなたの口から直接お話を伺いたい」
「……」
「どうぞお話し下さい」
理人がまっすぐに叶恵を見据えて言えば、彼女は目を瞠る。やがて、軽く咳払いして理人に相対すると、静かに語り始めた。
久しぶりの帝都メルヒェンです。
ようやく方向性が決まったので、今後更新していきたいと思います。




