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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第四話 雪子姫は三度死ぬ
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(2)

 眦がやや吊り上がった黒い目は、まだぼんやりと霞がかっている。だが、カホルは危なげない手つきでカップを受け取った。

 湯気の立つ珈琲にそっと口を付けるカホルを、理人はお盆を抱えて立ったまま見下ろした。


 小野カホル。

 カフェー・グリムの店長であり、理人を雇った張本人。

 

 カホルと出会ったのは、三週間ほど前のこと。『光和の女男爵バロニス』と称される女性実業家、乙木文子夫人が所有するサロンに理人が訪れた時のことだ。

 居候先を追い出されそうになっていた理人は、職と住居を求むべく、夫人に相談しようと思っていた。その矢先にカホルに出会い、理人の願いはある『賭け』により叶えられることとなったのだ。

 職と住居を望んだ理人に、カホルは言った。


『願いを叶える代わりに、私の名前を当ててみてください』と。


 期間は三か月で、その間に名前を当てることができれば、カフェー・グリムで雇い続けるだけでなく、住居までくれると言う。その住居は、カフェー・グリムが入る乙木ビルにある一室で、高級アパートメントの設備を持つ近代的な洋室である。

 条件の良すぎる話は、天使の慈悲か、悪魔の罠か。

 訝しがりながらも、理人は賭けに乗った。好条件という以外にも、カホル自身に興味を持ったからだ。

 まだ十二、三歳くらいにしか見えない子供だというのに、カホルの言動は子供らしくなかった。博識で機転が利き、礼儀正しいが人をくったような態度を取る。多少生意気な所もあるが、理人はそれが気に入った。

 何より、賭けを持ちかけてきたカホルに「君はルンペルシュティルツヒェンだったか」と言ったとき、彼は即座に意味を理解しただけでなく、ユーモアな回答をしてきた。これが友人の一谷なら、「お前はまた訳の分からんことを」と眉を顰められるところだ。


 西洋の童話が好きな、謎めいた子供。まるで童話に出てくる不思議な小人のようだ。

 帝大を出た後、職にも就かず怠惰に日々を過ごしていた理人は、久しぶりにわくわくとした気持ちになったものだ。

 賭けにしても、とりあえず三か月は食い扶持に困らないし、勝てば儲けもの。負けたとしても、その時に今後を考えればよいと、楽観的に構えている。

 そうして、二十日以上経つわけだが――



「どうかしましたか?」


 理人の視線に気づいたカホルが目線を上げる。その眼差しは珈琲のおかげか、はっきりとしたものになっていた。 

 見上げてくる顔は幼いが、目に宿る光は理知的で大人びている。彼には下手なごまかしは効かないので、理人も素直に返した。


「君の名前をどうやって当てようか、考えていただけだよ」


 そう、まだ理人はカホルの名前を知ることができていない。『小野カホル』は本名ではなく、乙木夫人によって付けられた仮の名前だ。


 理人は仕事の傍らでカホルの正体を探ろうとしたが、上手くいかなかった。何しろ、カホルのことを知る者がほとんどいなかったのだ。

 まず、カホルがカフェー・グリムの店長であること自体知られていない。店の常連たちにそれとなく話を振ってみたが、ほとんどの者が三宅を店長だと思っていた。それどころか、カホルの存在すら知られていなかった。

 まあ、知らぬのも当然だ。カホルは一日の大半は半地下の書斎に籠って、本を読んでいるか、紙束にペンを走らせているか、ソファーで寝ているか、だ。

 かと思えば、理人が知らぬ間に外出していることもあった。書斎には、乙木ビルの階段下の管理人室に通じる扉と階段があり、そこから出入りが可能なのだ。


 今のところ、カホルの存在を知っているのは店員である三宅と理人、乙木ビルの管理人兼女中の高倉たかくら淑乃よしの嬢、そして店のオーナーである乙木夫人といったところか。


 カホルは乙木夫人と随分と親しい様子であった。乙木夫人のサロンに供も付けずに一人で訪れ、さらに「文子さん」と名前で呼んでいるくらいだ。さては親族かと考えた理人は、高校時代の友人で新聞社に勤める者に調べてもらった。

 乙木夫人自身に子供はいない。二十年ほど前に乙木男爵と結婚したが、数年で死別。再婚もせず、付き合っている異性もいないようだ。

 そこで、乙木夫人の親族を当たってもらった。乙木夫人には、兄が一人いる。五歳年上の小野村浩介おのむら こうすけ氏は、貿易会社『小野村商会』の社長としても有名だ。彼には三人の子供がいるが、一番下の子でも十八歳で、カホルと同じ年頃の子供はいなかった。

 乙木夫人の親族関係、あるいは交友関係をもっと広げて詳しく当たればいるかもしれないが、芳しい報告は今のところ届いていない。

 三週間を過ぎてもちっとも進展がない。まだ焦りはないものの、次はどういう手を打とうかと理人は考えあぐねていた。


 正直に答えた理人に、カホルはぱちりと目を瞬かせて、小さく吹き出す。しかしくすくすと笑うだけで、助言は与えてくれない。何もない手の内を見せてみたが、やはりそう甘くはないか。

 内心で息をつく理人を、カホルは笑いを収めて見上げてくる。


「賭けはともかく、仕事の方は順調のようですね。三宅が珍しく褒めていましたよ。要領が良く、覚えも早いと」

「それは嬉しいね」

「この調子でもう一つの仕事の方も頑張って頂きたい。――今日の午後三時に、依頼人が来られます。応対の方、よろしくお願いしますね」


 もう一つの仕事。

 それは、乙木夫人に持ち込まれる相談事を聞き、解決に尽力するというもの。いわば『探偵』の仕事である。

 理人の仕事は、乙木夫人の代理となり、『探偵』役として依頼人に応対すること。実際に解決に尽力するのは、目の前の子供だ。


「了解。では、同席を頼むよ。『助手』のカホル君」

「わかりました、“千崎先生”」


 目配せした二人は、どちらからともなく笑みを零した。



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