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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第三話 怖がることを覚えた男
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(7)


 幽霊と思しき白いものの正体は、白いシーツを被った花村であった。

 白いシーツにくるまったままの花村と、彼を起こすべく手を伸べる理人を交互に見やりながら、一谷が尋ねてくる。


「千崎、これは一体どういうことだ?なぜ幽霊が人間……花村さんだと分かった?」

「幽霊に近づいたとき、ワインの香りがしたからさ。さっき、お前が花村さんの服に零しただろう?」


 花村の服にかかったワインは、色を付けるだけでなく、その芳醇な香りもまた付けていた。

 階段の上から漂ってきたのは、飲んだばかりのワインの香り。アルコールの匂いをさせる幽霊は、そうそういるものではないだろう。

 理人が答えていれば、別の足音が近づいてくる。


「花村さん、大丈夫ですか!?」


 見やれば、廊下の暗がりから桐原が現れた。立ち上がった花村は桐原に向かって元気に手を振った。白いシーツがひらひらと揺れる。


「大丈夫だ。仁王君が助けてくれたからな」

「そうですか……」


 よかった、と息を吐く桐原に、理人は尋ねる。


「あなたも“幽霊”でしたか?さしずめ、ノックをする手の幽霊とか」

「……気づいていたんですか?」


 桐原が現れたのは、三〇三号室のある方だった。もし二階から来たのなら、階段を上がる音がしただろうし、現れる方向は三〇三号室とは逆の方だ。

 それに、理人が扉を開いたのはノックの最中。そのとき、すでに白いシーツを被った花村は階段室の方にいた。となれば、ノックをしていたのは別の人物となる。

 花村に協力して幽霊の振りをし、理人と一谷を驚かす――そんなことをするのは、あの幽霊話をした際にその場にいた者。

 つまり桐原だ。

 おそらく桐原は、外開きの扉の後ろ側の見えない位置、廊下の暗がりに隠れていたのだろう。だから、理人と一谷には誰もいないように見えた。


 桐原は、頭を下げて謝罪する。


「どうも申し訳ありません。花村さんから、千崎君と一谷君を驚かそうと誘いを受け、つい乗ってしまいました」

「すまん。ダビデ君の驚く顔が見たかったんだ」


 花村も謝るが、あまり反省した色は無いようだ。


「……なのに、ダビデ君は怖がらずに追いかけてくるし、すぐに僕の正体がわかったようだし、逆に僕が逃げる羽目になって階段から滑って落ちるし……」


 つまらん、と花村は拗ねたように唇を尖らせた。

 そもそも幽霊の振りをして脅かしてきたのは彼の方であり、拗ねられても困る。一谷は呆れ、理人が苦笑を零した時だ。


 ――コツ、コツ。

 階段を上がってくる、靴音が聞こえてきた。


 男四人は寸の間、無言で顔を見合わせた。

 やがて、恐る恐るという態で一谷が問いかける。


「……花村さん、桐原さん。他にも誰かいるのですか?」

「いや、そんなはずは……」


 桐原も戸惑いながら、下の階段の方を見やる。

 足音は少しずつ大きくなり、近づいてくるのがわかった。ゆらゆらと影を揺らす光は、鬼火であろうか。

 コツ、コツ、と規則正しく鳴る足音は、やがて三階に辿り着く。

 固唾を呑む四人の視線の先。暗い空間に浮かび上がるのは、ワンピースのような服をまとった、細身の女性の姿だった。

 出た、と誰かが息を呑む。

 そして――


「……こんな夜中に、何をなさっているのです?」


 女性――アパートメントの管理人である高倉淑乃たかくら よしのの冷たい視線が、四人に突き刺さった。




***




 深夜での階段室の騒ぎに、一階の管理人室にいた淑乃はすぐに気づいたらしい。石造りの階段室は声が響きやすいのだ。

 生成色のガウンを羽織った彼女は、涼やかな顔に怒りと呆れを乗せて、大の男四人に淡々と説教した。

 いい歳をした大人が揃いも揃って何事か、と至極まともな指摘を受ければ、皆、項垂れて反省するしかない。

 淑乃には注意されるだけで怒られはしなかったものの、大の男四人は肩をすぼめて、気まずげに解散することになったのであった。



 三〇三号室に戻った一谷は、幽霊が偽物だと分かって安心したらしく、すぐに寝入ってしまったようだ。

 花村は「幽霊話は嘘じゃないぞ」と念を押すように言っていたものだが、寝室からは気の抜けるような、穏やかないびきの音が聞こえてくる。

 対する理人は、どこか寝付けずにソファーに寝転がって暗い天井を見上げた。


 今日は一日、引っ越しがあったり知人が増えたりと、何かと忙しい日であった。

 豪華なアパートメントの一室。ここが、これから自分の住む部屋となるということに実感がわかず、いまだに夢のような心持である。


 こんな幸運に巡り合えるなんてと喜んでいいのだろうが、浮かれるばかりになれないのは何故だろう。

 以前はもっとふらふらとして、それこそ浮草のようなその日暮らしの生活を送っていた。それなのに、今の方が不思議と不安を覚えてしまう。

 不思議な少年との出会いや、秘密の探偵稼業。

 現実感のない日常はわくわくとするが、いつか夢のように覚めてしまうのではないのだろうか。

 寝付けないのは、そんな漠然とした不安があるからか。


 らしくないことだ、と理人は息を吐いて目を閉じる。

 自分は楽観的な堕落者なのだ。うまくいってもいかなくとも、何事も楽しく過ごしてしまおうではないか。

 さて、無理やりにでも寝てしまおうとするその耳に、トン、と小さな音が届く。

 気のせいかと思ったが、連続する小さな音は静かな部屋の中でやけに大きく聞こえた。

 誰かが階段を上がっている足音のようだ。


 はて、懲りずに花村が幽霊ごっこをしているのだろうか。

 淑乃に怒られてさすがに反省していたようだが……。


 理人は閉じた目を開き、身を起こした。

 どうせ寝付けないのだ。せっかくだから確認してみよう。

 理人は一谷を起こさぬよう、そうっと部屋を出る。

 扉の外には誰もいない。階段室の方を見やれば、やはり足音はそちらから聞こえてくるようだ。

 理人は忍び足で階段室に向かった。闇に慣れた目が、ふわりと白いものが動くのを捉える。

 白いワンピースの裾を揺らすのは、華奢な足首。布と革でできた白い洋靴が小さな音を鳴らして、三階から屋上への階段をまっすぐに上がっていく。

 なるほど、さっきよりも再現度の高い少女の幽霊である。

 今度はこちらが驚かしてやろうかと、理人は足音を立てないようにして後をつける。やがて、少女の幽霊らしきものが最上段に辿り着いた。

 そのとき、ぎいっと小さく軋む音がして、冷たい風が理人の横を通り過ぎていった。

 思わず空気の流れを追うように階下に目をやる。やがて視線を戻せば、先ほどまでいた白い人影は階上からいなくなっていた。


「え……?」


 理人は急いで階段を上がったが、屋上の扉がある踊り場には誰もいなかった。

 目を離したのは、わずか数秒だ。踊り場には隠れる場所も無いし、理人の横を通り過ぎた者もいない。

 まさかと思い扉のノブに手をかけてみれば、がちりと鍵のかかっている音と感触が伝わってくる。

 脳裏によみがえるのは、花村の幽霊話だ。


「……」


 理人は無言で、握ったノブを見下ろした。

 そのとき、ノブが理人の手の中でかたかたと動き始めた。


「っ…!」


 さすがに理人も、息を呑む。

 背筋にぞわりと悪寒が走り、思わずノブから手を離した。それでもノブは勝手に動き、かちり、と小さく音を立てて回る。

 軋む音と共に、扉はゆっくりと理人の前で開いていく。

 開いた扉の向こうで、小さな身体を包む白いワンピースが揺れる。

 淡い月明かりを背後にした、断髪の少女の顔は見えない。

 理人は掠れそうになる声を、少女へと掛ける。


「……君は、誰だ?」


 理人の問いに、少女はしばし黙った後、ふぅっと息を零して小さく笑った。


「その問いには答えられません。賭けの最中ですから」


 悪戯っぽく笑いを含む声と落ち着いた口調。

 聞き覚えのあるそれに、理人は白い服の少女を見つめる。


「……カホル君?」


 理人の呼びかけに、少女――否、『小野カホル』はただ静かに微笑んだ。



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