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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第三話 怖がることを覚えた男
24/77

(6)


 音は扉を隔てた玄関の方からする。

 こんな夜更けに誰だろう。

 花村か、桐原か。忘れ物でもして取りに来たのだろうか。

 理人はソファーから降りて玄関へと向かった。


「花村さんですか?それとも桐原さん?」


 玄関扉に近づきながら声を掛けてはみるが、返事はない。


「じゃあ、高倉さんですか?」


 管理人の若い女性の名を出したが、やはり返事はなかった。

 はて、一体誰であろう。理人は首を傾げた。

 理人がここに引っ越したことを知っている者はほとんどいない。ましてや、こんな深夜に訪ねてくるような近しい間柄の者は、せいぜい一谷くらいだ。

 その一谷はといえば、理人の声で起きてきたらしく、寝室から出てきて訝し気な声を掛けてくる。


「どうした、千崎」

「いや、誰か来たようなんだけど――」


 コン。


 理人の言葉を遮るように、再びノックの音がした。


 コン、コン。コン、コン。


 一定の律動で、淡々とノックが響く。


「おい、誰だ?」


 一谷の低い誰何すいかの声にも、返ってくるのはノックの音ばかり。

 理人と一谷は顔を見合わせる。二人の頭の中を過ぎったのは、先刻の幽霊話だ。

 白いワンピース姿の少女がノックをしている姿を思い浮かべたのか、一谷が見事に顔を強張らせる。


「も、もも、もしかして……」


 一歩下がる一谷とは対称に、理人はノックが鳴り続ける玄関の扉に一歩近づいた。おもむろに手を伸ばしてノブを掴む。


「おおおおおい!?お前、何考えている!?」


 馬鹿な真似は止めろ、と震え声で制止する一谷に構わず、理人は鍵を開けてノブを回した。

 外開きの扉を開けば、室内の光が廊下の闇を切り取るように照らし出す。光の落ちた先には、誰の姿も見当たらなかった。


「……あれ、いないや」

「いる訳がないだろう!?相手は幽霊だぞ!早く扉を閉めろ、霊が入ってくるじゃないか!」


 まるで虫が入ってくるような言い方である。理人は呆れつつ一谷を横目で見やる。


「幽霊だったら扉くらいすり抜けられるんじゃないのかい?……ああ、でもノックができるのなら肉体はあるのかな」


 理人はひょいと身を乗り出して、廊下を見回してみた。一谷が襟を掴んで止めさせようとしたが、その前に理人の視界の右端に白いものが映る。

 三〇三号室のすぐ横は階段室だ。その階段室に白くぼんやりと浮かび上がったのは、小柄な人影。揺れる裾をひらりと翻して、階段室の方へ姿を消す。


「あ、いた」

「いた、じゃない!見るな戻れ呪い殺されるぞ!」


 焦る一谷に襟を強く引っ張られて、首が締まりそうになる。

 理人は一谷の手を引き剥がしながら、襟元を緩めた。


「そんな物騒なことを言うものじゃないよ」

「物騒なのはお前だろう」

「あのねぇ一谷、まだ幽霊と決まったわけじゃないよ。本物の人間だったらどうするんだい」


 理人は一谷に再び襟を掴まれる前に廊下に出る。

 階段室の方に向かえば、手すりの向こうで白い裾が上がっていく様が見えた。


「止めておけ千崎!」


 背後で一谷が言うが、理人は躊躇うことなく足を進めて、階段の前に立つ。灯りの落ちた階段室は暗く、窓から差し込む外の月明かりでようやく足元が見えるくらいだ。

 顔を上げると、白い小柄な人影が背を向けて階段を上がっていくのが見えた。

 階段に足を掛けながら、理人は暗闇にぼんやりと浮かび上がる白いものに問うた。


「君は誰だい?」


 階段の一番上、屋上への扉らしきものがある踊り場で立ち止まった白いものが、こちらを振り向いた。しかし何も答えず、そのまま動かない。


「どうか返事をしてくれないかな?こんな夜更けに、君は一体何をしているのかな?」


 問いかけながら、理人は階段を上がる。

 白いものに一歩ずつ近づく。


「もう一度聞くよ。君は誰だ?」


 それでも白いものは黙ったままだ。

 あと五、六段くらいという距離になったとき、白いものが身じろいだ。その拍子に、ふと甘い酒精の香りが理人の鼻を掠める。


 どこかで嗅いだ香りだ。

 しかも、つい先刻――


 理人が気づいたとき、白いものが動いた。

 理人の隣をすり抜けようと、ひらりと裾を翻して階段を駆け下りる。すれ違いざま、白いものが階段からふわりと浮き上がった。

 そのまま落ちていく白いものに、理人は手を伸ばすが届かない。


「千崎、大丈夫か……ひいっ!?出たあぁぁ!」


 階下で一谷の悲鳴が聞こえる。理人はそんな一谷に向かって声を張り上げた。


「一谷、受け止めろ!彼は人間だ!」


 強い声に、一谷がはっと悲鳴を止めた。

 幽霊は怖くとも、さすが警察官である。人命救助が第一とすぐに身構えた一谷は、階段をすべるように落ちる白いものを、その逞しい腕と胸でしっかりと受け止めた。

 理人も急いで駆け下りて、一谷の傍らに寄る。膝をついた一谷は白いものを抱えたまま、困惑の表情を浮かべて理人を見上げてきた。


「千崎、これは……」

「この“幽霊”にはちゃんと肉体があったようだぞ。大発見だな、一谷」


 理人は冗談交じりに言いながら、白いもの――否、白いシーツを被った人間を見下ろした。

 シーツの端を摘まんで引っ張れば、中から見知った顔が現れる。

 ぼさぼさの短髪に、幼い顔立ち。栗鼠のようにくりっとした丸い目が瞬いて、理人と一谷を見てくる。理人は彼に向かって微笑んだ。


「どうも、花村さん。怪我はありませんか?」

「……うむ、大丈夫だ」


 愛嬌のある大きな口と目が、苦い笑みを浮かべた。



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