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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第三話 怖がることを覚えた男
22/77

(4)


 煮えすぎて肉が固くなる前にと、鍋におのおの箸を伸ばす。

 ぶつ切りにされた胸肉を一つ取って、溶いた卵に付けてからかぶりつく。肉には濃い目の甘辛い割り下が染み込み、溶き卵を付けることでまろやかな味となって口の中に広がった。

 噛みしめる度に、濃い割り下にも負けない鶏肉のうま味が出てくる。

 もも肉や肝といった他の部位も美味い。白ネギも店仕様の焼き豆腐も、しっかりと割り下が染みて美味かった。


 喰い盛りの成人男性が肉を前にすれば、まずは食すことに集中するものである。

 特に、質素な食生活を送っていた理人と一谷は久しぶりの肉に舌鼓を打ちながら、評判の鳥鍋を味わった。一緒に頼んでいた瓶ビールも、次々に空になっていく。

 腹が膨れてくれば、ビール片手に箸を休めながら会話に興じることになる。ほぼ初対面である四人の話題は、自然と自己紹介のような形になっていった。


 花村は先の話の通り、画家として神保町にある多数の出版社と契約を結びながら、彫刻家として芸術活動を行っているらしい。

 乙木夫人とも面識があり、長崎町の乙木サロンにも度々訪れていると言う。その経緯で神保町のアパートを紹介されて入居することになり、三年前の竣工直後から入居しているそうだ。


 眼鏡をかけたサラリーマンという態の桐原――名はしゅんと言うそうだ――は医師であった。とはいえ、医学科を昨年卒業したばかりで、まだまだ新米だそうだ。

 いずれは実家の医院を引き継ぐ予定だが、今は勉強のため日本大学付属の駿河台日大病院に勤めているらしい。病院からほど近い位置にあるアパートには知人に勧められて入居し、一年が経つと言う。


 一谷も順に話すこととなり、警察官であることを告げれば、「確かにそんな感じだな!」「軍人さんかと思っていました」と、花村と桐原の双方から言われていた。

 さて、己の番になり、理人は何と言おうか束の間迷う。

 表向きはカフェー・グリムの給仕、裏では秘密の探偵役の代理……とはさすがに言えまい。まあ詳しく話すこともないだろうと、軽く自己紹介する。


「つい先日から、カフェー・グリムで働いています。どうぞよろしく」


 そう言うと、花村も桐原も少し驚いた顔を見せた。


「おお、一階のカフェーか。ついに人を雇ったんだなぁ」

「最近は忙しそうでしたからね」

「あそこの珈琲は実に美味いんだ。眼鏡のマスターもいい人だしな」


 二人とも店の常連らしい。

 理人は少し思いついて、二人に尋ねてみる。


「おや、そうだったのですか。そういえば、お二人は店主をご存知ですか?」

「店主?眼鏡のマスターのことか?」

「オーナーでしたら……確か乙木夫人でしたよね?」


 それぞれ答えながら、不思議そうに二人が顔を見合わせる。傍らの一谷が、何故そんなことを聞くといった胡乱な視線を寄越してきたが、理人は微笑んで曖昧に流した。


 どうやら、雇われ店主である『小野カオル』のことは知らぬようである。

 まあ、あの隠された半地下の部屋で日がな一日過ごしているのなら、常連にもあまり知られてはいないのだろう。

 とはいえ、二人が『小野カオル』のことを知っていれば、彼の本名を知れたのに。そうすれば、三か月の期間を待たずともあの立派な部屋が手に入り、今後の理人の生活の「住」は保障されたようなものだ。


 なかなかうまくはいかないものだなぁと思う反面、あっさりわかってもつまらない気もする。

 ズルはなさらないように、と悪戯っぽく笑うカオルの顔を理人は思い出す。さて、どのような方法で名前を当てるのが、彼のお気に召すだろうか――。


 理人が考えていれば、再び女将が部屋に現れた。

 女将は、具材が減ってきた鍋に、鶏ひき肉を丸めたつくねを手早く落としていく。煮あがったつくねもまた、美味かった。

 花村が玉子焼きを追加して頼み、甘めで出汁がきいた玉子焼きを皆でつつきながら、残りのビールを飲む。

 最後は、残った鳥鍋に溶いた卵を流しいれて、白飯に乗っけて食べる。もちろん美味くない訳がない。肉の量はそれなりにあって腹も膨れていたが、おひつに入ったご飯は四人ですっかり食べつくしてしまった。


「いやあ、美味しかったですね」


 向かいに座っていた桐原が、眼鏡をハンカチで拭きながら、ふうと息を吐いた。一谷もまた、最初の緊張はどこへやら、満足そうに腹を撫でている。


「確かに、美味かった」

「花村く……花村さん、とても美味しかったです。ご馳走になりました」


 理人が礼を言えば、花村は漬物をぽりぽりとつまみながら、「それはよかった」と笑った。




 鳥鍋屋を後にした理人達は、そのまま連れ立ってアパートメントに戻ることになった。

 最初は、万世橋駅前の繁華街に繰り出そうと花村が意気揚々と提案し、理人も反対はしなかった。しかし、一谷が見るからに狼狽えて辞退し、さらに桐原も明日は早朝から病院に出る予定があるため、おじゃんになったのだ。


「ならば部屋で飲むか!」


 と道中、花村は酒屋に寄って、輸入物のワインとウィスキーを買いこんだ。つまみは魚の缶詰や塩煎りの木の実だ。それぞれを紙袋に入れてもらって夜道を歩く。

 飲み会の会場は、理人の部屋となった。

 花村には酒を提供してもらうし、桐原は途中で抜けるためだ。まあ、花村の部屋はアトリエとしても使っているため大層汚いらしく、ほとんど荷物も無く片付いている理人の部屋が最適であったのだ。

 引っ越してきたばかりの、がらんどうとした食堂兼客間のテーブルに、ワインとウィスキーの瓶、それからグラス代わりの湯呑やティーカップが並ぶ。少々ちぐはぐな光景であるが、鳥鍋とビールでほろ酔い加減となっている男たちは、さほど気にしなかった。

 思い思いにソファーや椅子に座って、酒杯を片手にして飲み会が始まる。


 花村の芸術に対する弁舌は大いに盛り上がり、芸術に疎い一谷も参加するほどだった。

 さらに、意外と話し上手というか、語り口が妙であったのが桐原だ。

 病院で経験したという奇怪な話を、桐原が静かな口調で語る。大袈裟でなく淡々と話す様子には、落ちがわかっていても背中がぞくぞくとしたものだ。

 次第に話の流れは、その方面へと進む。桐原が立て続けに怪談を披露していれば、一谷の顔が強張り、徐々に蒼ざめていった。

 そういえば一谷は怖い話が苦手だったな、と観察していると、今度は花村が声を潜めて話し出す。


「では僕からもとっておきの話を一つ披露しよう。……実はな、この乙木ビルには出るのだよ」

「出る、とは?」


 聞き返す理人に、花村は両手を体の前でだらりと下げてみせた。


「幽霊だよ。白い服を着た、少女の幽霊だ」



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