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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第三話 怖がることを覚えた男
20/77

(2)


 さらに階段を上がって、三階に着く。理人達は三階の廊下の左端の一室に案内された。

 『303』と彫られた金属の札が掛けられた部屋。丸い真鍮しんちゅうのドアノブのついた木の扉の上方には、曇り硝子の嵌った小さな丸窓が付いている。


「こちらです」


 鍵を開けた淑乃が、扉を開いて理人を促した。

 一般男性の平均身長を優に超える理人も一谷も、大抵は鴨居や扉の上枠に頭をぶつけてしまうが、ここは天井も扉も十分な高さがあり、背を屈めなくてすむ。

 元々このビルの住居部分は外国人向けに作られたアパートメントで、建物の高さも通常より高く作られているそうだ。実際に、近くの大学に勤める外国人が二階の一室を借りていると淑乃が言っていた。

 高さは外国人向けでも、一畳ほどの広さがある玄関では日本式に靴を脱ぐようになっている。

 左右に扉のある短い廊下を進み、開いていた扉をくぐれば、モダンな洋室が広がっていた。


「へぇ…これは…」


 幅は二間、奥行きはおよそ三間といったところか。

 手前が四畳半の部屋で、白い壁と硝子窓付きの扉で仕切られた奥が六畳の部屋になっていた。手前の部屋の右側には、細長い一畳半ほどの広さの台所がある。

 手前の部屋は濃茶色の板敷になっており、テーブルと椅子二脚、壁際には二人掛けのソファーや小さな棚が置かれている。かつての住人は食堂や客間として使っていたそうだ。

 奥の六畳間の方は、淡いクリーム色の地に花柄が描かれた絨毯が敷かれ、寝台や書き物机と椅子、箪笥や書棚が配された居住空間となっていた。部屋の隅にはガス式の暖房ヒーターまで付いている。

 台所の床と壁は、防火・防水用に白黒模様の洒落たタイルが張られ、水道やガス焜炉コンロが設けられていた。

 さらに、先ほど通った玄関前の廊下には、左側に一畳の納戸がある。

 そして右側の扉の向こうは、二畳ほどの広さの簡易浴室となっていた。床と壁は青色で縁どられた白地のタイル張りで、最新の水洗トイレと白いバス、洗面台が備え付けられている。

 大抵のアパートや下宿は、トイレも風呂も共同だ。むしろ浴室がない家がほとんどで、近所の共同浴場に通うのが普通であった。

 理人の後に続いて部屋の中を見た一谷は、もはや開いた口が塞がらぬようだ。感心しているのか呆気に取られているのか、溜息と共に「はぁ」「へぇ」という気の抜けた声を何度もあげていた。


 一通り部屋の中の説明をした淑乃が、理人の方を振り返る。


「部屋の家具はご自由にお使いください。水道、電気、ガスは使えるようにしてあります。また、何か御用がございましたら呼び鈴を押して頂くか、一階の管理人室で直接声をお掛け下さい。基本的に朝の十時から夜の八時まで対応しておりますが、時間外でも出来うる限り対応いたします」


 そう言って、淑乃が部屋の鍵を渡してくる。合鍵は一つあり、管理人室でまとめて保管されるとのことだ。

 礼を言って受け取ると、淑乃がすぅっと目を細めて見上げてくる。その黒い眼差しには、こちらを見定めるような鋭さがあった。


「……家賃や水道費など、住居にかかる費用はカホル様が負担なされます。どうぞお忘れなきよう」


 釘を刺すように言った後、淑乃は一礼して部屋を出て行く。おやおやと見送る理人の傍らでは、相変わらず一谷が口を開けて部屋の中を見回していた。




 新居への引っ越しは早々に終わった。

 少ない荷物の片付けも一時間ほどで済み、ガスや水道を実際に使ってみては一谷が「おお…」と感嘆の声を上げたものだ。

 トイレも水道も共同、風呂無し下宿の四畳半で暮らす一谷は、己の部屋の三倍以上の広さの部屋に圧倒されていた。布張りのソファーに座る姿も、どこか居心地が悪そうだ。


「何というか……すごいな」

「そうか?」


 理人は一谷の隣で、平然と足を組んで座った。

 モダンな洋室の中、異人のような風貌で洋服をまとう理人は、それだけでキネマの一場面のように様になっている。広い部屋に気後れすることの無い堂々とした態度のせいもあるのだろう。

 居心地悪げな一谷は、理人をどこかうらやむように見やる。


「そりゃあお前は慣れているだろうが、俺はこんな贅沢な部屋は性に合わん」

「でも、一谷だって元はお武家様ってやつだろう?」

「うちは貧乏旗本に過ぎん。大体、今の世じゃ士族の肩書など大した役にも立たんだろう。むしろお前のように華族の方が……」

「昔の話だよ。今の僕には関係のないことだ」


 理人がさらりと言って肩を竦めてみせれば、一谷は押し黙る。

 家の話題は、あまり面白いものではない。理人の表情がわずかに強張ったことに気づいたのか、一谷は一つ息を吐くと、ソファーから勢いよく立ち上がった。


「よしっ、千崎行くぞ!」

「行くってどこに?」

「お前の引っ越し祝いをしてやる。ついでに、ちゃんと職が決まった祝いもな!」


 気を遣ってくれているのだろう。照れ隠しのためか仏頂面を作る一谷に、理人はふっと顔の強張りを解いた。

 理人も立ち上がって、茶化すように一谷の肩を叩きながら言う。


「一谷の奢りなんて、珍しいこともあるものだね」

「お前が金欠の際に何度も飯を奢ってやったはずだが?大体、タダ飯ぐらいのお前を下宿に何年住まわせてやったと……」

「ごめんごめん。じゃあさっそく行こうか」


 説教に入りかける一谷の背を押して、理人が部屋を出ようとした時だった。

 前方の玄関の扉からノックの音が響き、直後に聞き覚えのある明るい声が届く。


「やあやあ、ダビデ君は在宅かな?引っ越し祝いに来たぞ、開けたまえ!」

「……」


 台風――もとい奇矯な青年・花村の襲来に、理人と一谷は思わず無言で顔を見合わせた。



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