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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第一話 いばら姫の名前当て
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第一話 いばら姫の名前当て(1)


 さあさ 始まる新たな世

 すめらぎおわす 光和こうわの世

 光明照りし やまとの国よ

 新たな東京みやこに 光あれ――




 大正後期に起きた関東大震災により、帝都・東京は大きな痛手を受けた。

 揺れによる建物崩壊だけでなく、その後に起こった激しい火災がより大きな被害を出したのだ。

 死者・行方不明者は十万を超え、東京は壊滅状態に陥った。


 そんな中、新内閣が組織され、帝都復興院が設置される。

 時の内相による復興計画では、欧米の最新都市計画が採用された。欧米に負けない近代都市の建設が進み、耐震・耐火のレンガや石造りの建物が増え、自動車時代を見越して東京を東西南北に走る道路も整備された。

 江戸の名残を留めていた街並みは一部を残して破壊され、洋風建築の銀行やデパート、バスの走る整然とした道路に取って代わり、近代都市化は進んでいった。

 進む復興の最中に大正天皇がご逝去され、跡を引き継いだのは若き皇太子である。

 新たに来る年号を『光和』と改め、帝都復興にいっそう力が入った。


 そして、大震災から六年半が経った光和五年の春。

 復興事業の大部分が終わり、帝都復興祭が一週間をかけて盛大に行われた。

 明治の文明開化、大正の近代化モダニズムを経て、名実ともに近代都市となった東京は、花も盛りの時期を迎えている。



***



「起きろ千崎せんざき!!」


 良く響く太い声と共に、肌触りの悪い毛布を引っ剥がされる。

 朝の微睡みを邪魔された千崎理人せんざき まさとは、毛布の下に被っていた着物に顔を埋めて抵抗したが、数秒も経たずにそれも力任せに剥がされた。

 閉じた瞼に朝の光がかかり、眩しさに仕方なく目を開ける。


「……おはよう、一谷いちや


 野太い声とは正反対の細い声で挨拶しながら、乱れた栗色の髪を掻いて起き上がった。

 着崩れた浴衣の胸元から朝の冷たい空気が入り込んできて、寒さに肩を竦めながら襟元を寄せる。

 伸びた前髪の下から見上げれば、友人の一谷高正いちや たかまさが剥いだ着物を手に仁王立ちしている。

 六尺近くある上背から睨み下ろす様相たるや、まさに彼の職業である警察官にふさわしく迫力があった。短く刈った黒髪に凛々しい眉、目つきが少々悪いものの、いかにも剛毅な男振りのよい青年だ。

 もっとも、厳つい強面を持つ割には、子供に怖いと泣かれて密かに傷つく繊細な心の持ち主でもあった。


 一高いちこう時代からの付き合いである理人は彼の睨みにも慣れたもので、ふわあ、と暢気に欠伸を返す。


「まったく……そんなに乱暴では女性に嫌われるよ?もっと優しくしないと」

「ふん、つまり男のお前に優しくする必要は無いということだな」

「なに、日頃の行いはいざという時に出るものだ。特にお前は女性の前だとあがりやすいだろう。そうら、僕を女性だと思って」

「自分よりでかい男を女と思えるか!戯言ばかり言ってないでさっさと身支度しろ」

「身支度と言ってもなぁ」


 理人は白い頬を掻いて苦笑を零す。

 薄鼠色の背広にかっちりと身を包んだ一谷とは異なり、自分が身支度したところで今日は出かける予定もない。


 いや、今日だけではなく明日も明後日も、理人に決まった予定はない。

 定職についていないため、朝早くから起きて仕事に行くこともないのだ。

 昨晩は人形町のカフェーの女給に頼まれて日雇いの給仕に入ったものだが、女給達が客をおざなりにして給仕の理人に色目を使うものだから、早々に店主から追い出されてしまったものだ。「もう来ないでくれたまえ」の台詞付きである。

 まあ、その後に馴染みの女給達が小遣銭をくれたので、飯代だけなら優に三日分は持つ。しばらくは働かなくて済むだろう。


 胡坐を掻いたまま算段をしていれば、一谷は深い息を吐いた。


「……お前は、いつまでそうしているつもりだ」

「まあ、明後日にはどこかに顔を出すよ」

「そういう意味じゃないと解っているんだろう?」


 一谷の声に苦いものが混じる。

 確かに、理人は彼の言いたいことは解ってはいるが、汲み取るつもりはなかった。なので曖昧な笑みを口元に浮かべるだけにしておく。

 そんな理人を、一谷もまた察してはいるのだろう。

 しばらく眉間に皺を寄せてむっつりと口を引き結んでいたが、やがて低い声で言う。


「俺が入る予定だった官舎だが……」

「ああ、確か入る前に火事に遭ったのだろう?」


 その後官舎は無事立て直されたが、新しい洋風集合住宅アパートということもあって希望者が殺到し、入れなかった一谷はそのまま二年間下宿住まいをしている。


「先日、ようやく部屋が空いたと連絡があった」

「おお、それは良かったな」

「……来月にはこの下宿を出る。お前を居候させてやれるのも今月までだ」

「そうか」


 理人は特に驚きもせずに頷いた。


 本郷區ほんごうく真砂まさご町、明治の初め頃に建てられた下宿は大学や高校の近くにあり、一谷が学生の時分から住んでいたものだ。

 六年前の大震災の激しい揺れに耐え、火災からも逃れた古い和風建築の建屋には、今もなお多くの学生が下宿している。

 大学卒業後に文無し職無しで一谷の下宿に転がり込んだ理人としては、居候させてもらっただけでも十分有難いというものである。

 四畳半に六尺前後の大男二人で寝起きを共にするというのは窮屈であったが、一谷は文句を言いながらも追い出すことはしなかった。


 そもそも、二年間も官舎に空き部屋が無くて下宿住まいだったというのも、一谷の方便だろと理人は考えている。行き場のない友人のために、狭く古い下宿に居残ってくれていたのだろう。

 しかしとうとう――否、やっと痺れを切らしたようである。


 当然のことだとあっさり受け入れる理人に、一谷は眉間の皺を深くした後、気まずそうに目を逸らした。

 申し訳なさそうな色が見て取れて、相変わらずのお人好しだと理人は内心で苦笑する。まあ、その人の好さに意地汚く付け込んできたのは他ならぬ自分であるのだが。


 理人は手を伸ばして枕元の懐中時計を取り、蓋を開いて文字盤を見せた。


「それより一谷、早く出ないと遅刻するよ」


 時計の針が示す時刻に、一谷は目を剥いた。これはいかん、と慌てて文机に置いていた中折帽と鞄を掴む。

 ばたばたと古畳を鳴らして部屋を出ようとした一谷であったが、引き戸の手前で振り向いて怒鳴った。


「お前も早く支度をして、職を見つけろ!いいか、今月までだからな!」

「はいはい、わかったわかった」


 わざと二回ずつ言って返せば、一谷は苦虫を噛み潰した表情をしながらも背を向けて出て行った。


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