(8)
若い女性の口には猿轡がかまされて、後ろ手に縛られた華奢な身体には細縄が食い込んでいる。緩やかな癖のある髪は乱れて、白い面には泣き腫らした跡があった。救いを求めるように理人を見つめる目から、再び涙が溢れて、歪んだ頬に一筋二筋と線を作る。
――彼女が、本物の『金森弥恵子』であろう。
弥恵子を捕えている男は、見るからにやくざ者という風体をしていた。
若い男で、無精ひげに刈りあげた短髪。草臥れたシャツとズボンを纏っている。彼の手には短刀が握られていて、薄暗い廊下の中、玄関からの白い光をわずかに反射していた。
短刀の刃が向けられた先にあるのは、弥恵子の顔だ。
やくざ風の男は、理人を見やって顎を振った。
「そいつを放しな。でないと、ご令嬢の顔に傷がつくぜ」
「……」
理人は、女性を掴まえていた手の力を緩める。人質がいる以上は逆らえない。
女性はふんと鼻を鳴らして、乱暴に理人の手を払った。
「……ちょっと、遅いじゃないの」
「女中部屋で見張りしてろって言ったのはお前だろ。こうして助けに来てやったんだ、感謝しろよ」
飾り気のない言葉を交わす女性と男は、明らかに顔見知り――というか、共犯であるようだ。
どうやら、本物の弥恵子は女中部屋に監禁されていたらしい。だから女中部屋とカホルが言った時に、偽物の女性が動揺していたのだろう。
また、この偽物の女性は家の間取りにも詳しく、茶の準備等の一切も手慣れているところから見ると、カホルの推測通り、金森家の『女中』に違いない。
女中はさっさと男の方へ向かおうとしたが、ふと足を止めて、理人にしだれかかってくる。淑やかな令嬢とはかけ離れた、艶のある笑みを浮かべながら、理人の上着の胸ポケットに手を伸ばした。
「色男さん、『金の鳥』はもらってくよ」
そう言って、胸ポケットに入れていた黄金の鳥をさっと抜き取った。
女中の手にある小さな黄金の鳥を見た男は、眉を顰める。
「あぁ?何だよ、遺産って、それっぽっちか?」
「これでも十分じゃないの。売ればいくらになるかしらねぇ。……まあ、でも、そこの坊やの言う通りなら、もっとあるんでしょう。ねえ、先生?」
女中は理人を見上げて、赤い唇の端を上げた。
「さっさと残りの遺産を見つけな。でないと、『お嬢様』がどうなっても知らないよ」
弥恵子を人質に取られた理人は、女中の言うことを聞くしかない。
だが、本当に他にも隠された遺産があるのかは、理人にはわからない。そもそも、遺産の隠し場所に気づいたのはカホルだ。
そのカホルはと言えば、理人の傍らで口を閉ざしている。
さすがに彼も、この状況には微笑みを消していた。しかしその冷静な眼差しに焦りは見えず、何かを考えているように見えた。
そんなカホルの肩を、どんと乱暴に押す者がいる。不意を突かれて後ろによろめいたカホルをあざ笑うのは、偽物の弥恵子を演じていた女中だ。
「さっきまでぺらぺらとよく喋っていたのに、今頃びびってんのかい?弥恵子みたいな、苦労知らずで甘ったれで、気取ったお嬢様も大嫌いだけど……」
女中は言いながら、人質に取られている弥恵子を横目で見やる。
猿轡をされたままの弥恵子は、悔しさや怒りを涙目に宿らせて、かつて己に仕えていた女中を見つめる。
弥恵子の責める視線も女中には痛くも痒くもないようで、ふっと鼻で笑った後、カホルを睨みつける。
「……アンタみたいな、いかにも育ちがいいような、小賢しくて生意気な子供も大っ嫌い」
悪態をつく彼女に、カホルは怒りも泣きもしなかった。女中をちらりと一瞥しただけで、再び俯いて考え込んでしまう。
無視されたと思ったのか、女中は細く吊り上がった眉をさらに吊り上げて、カホルの正面に回った。
「ちょっと聞いてんの?澄ましてんじゃないわよ!」
怒った女中の手が、カホルを叩こうと振り上げられる。
理人は咄嗟に彼女とカホルの間に割り込んだ。女中の振り下ろされた手の爪が顎の下、首元辺りを引っ掻き、ぴりりとした痛みを皮膚に走らせた。
打つ音に、理人に押しのけられたカホルが、ようやくはっとしたように顔を上げる。
「千崎さ……」
「この子には手を出さないでもらえるかな?そもそも、子供相手に大人げない真似はどうかと思うよ」
理人は表情を消して女中を見下ろした。顔が整っている分、無表情になると妙な迫力があると友人の一谷から言われているし、自覚もしている。
それを見越して牽制する理人に、女中はわずかに身を引く。しかし、己の方が有利な立場にあることを思い出したのか、つんと顎を上げた。
「アンタら、わかってんの?こっちには人質がいるんだよ。アタシらに反抗するってんなら……」
「そんな、滅相もありません。先ほどは大変失礼を致しました」
慇懃な口調で答えたのは、理人の背後にいたカホルだった。
理人の横をすり抜けて前に出たカホルの、黒い眼差しが女中を見据える。
「わかってんなら……」
「ええ。遺産を見つけるためには、この屋敷をよく知っているあなたの協力が必要です。屋敷に、次のいずれかがあるかを確認したいのですが、聞いてもよろしいでしょうか?」
打って変わって腰の低いカホルに、女中はわずかに気を良くしたようだ。腕を組んで、もったいぶったようにカホルを見やる。
「何だってんだい」
「城の模型、馬の人形、あるいは……空の鳥籠はありませんか?それらが無いのであれば、おそらく『黄金の鳥』以外に遺産は無いと思われるのですが……心当たりはありませんか?」
カホルの問いかけに、女中ははっとした。
「……たしか、鳥籠……小さいのが、旦那様の寝室に……」
「ああ、それです!遺産はきっと、そこに隠されています。そうですよね、千崎先生」
鳥籠――その単語に、理人は思わずカホルを見やった。
『黄金の鳥』の童話は、まだ終わらないようだ。




