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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第二話 金の鳥の館
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(3)

 カフェー・グリムの珈琲は美味しかった。

 三宅が淹れた珈琲は、柔らかな酸味と苦み、香りと味、コクの全ての調和バランスがとれていた。いろいろなカフェーで珈琲を飲んだことがあった理人だったが、その中でも上位に入る美味しさだと思う。

 聞けば、南米の豆を輸入した後、小野村商会と契約しているイタリア人の店でブレンドを頼んでいるようだ。出された洋菓子も、小野村商会と懇意にしている京橋區の洋菓子店で作られたものを取り寄せているらしい。

 小野村商会の力を十二分に使った、乙木文子おとぎ ふみこをオーナーとする店だけある。


 ひと時の茶会が終わると、カホルは「それでは、行きましょうか」と椅子に掛けていた上着を羽織った。

 三宅に外出の旨を告げて店の外に出るカホルの後を、理人は付いていく。身長差があるため、すぐに追いつくことができた理人は、横に並んでカホルに尋ねた。


「いったいどこへ行くんだい?」

麻布あざぶ區です」

「麻布?」


 麻布區と言えば、陸軍の軍用地がある檜町や新龍土町、高級住宅地がある龍土町、それに青山墓地くらいしか思いつかない。喫茶店に関連するようなものがあっただろうか。

 理人が考えを巡らせていれば、カホルはちょうど通りかかったタクシーを停めた。慣れた風に「麻布まで四十銭で」と運転助手と交渉して決めると、理人を促して乗り込む。

 補助席を使えば五人は乗れるタクシーの広い車内は、最近では滅多に車に乗らない理人には新鮮であった。


「贅沢だね。……僕はそれほど持ち合わせていないんだが、大丈夫かい?」


 率直に理人が尋ねれば、カホルはくすりと笑いを零した。


「ご心配なく。これは“仕事”ですし、支払いはこちらで済ませます」

「しかし、子供きみに払わせるのもなぁ」

「私のお金ではありませんよ。一切の費用は文子さんが出してくれますから」

「乙木夫人が?」


 急に乙木夫人の名前が出てきたので、理人は首を傾げる。仕事というのは、乙木夫人に関係することなのだろうか。

 カホルは「ええ」と軽く肯いた。


「文子さんから頼まれたんです。一週間前、龍土町の近くの霞町に住むご婦人から相談を受けたそうで。今から、その詳細な内容を私達で聞きに行きます」

「乙木夫人の代理ということか。……でも、なぜ君が?」


 理人の問いに、カホルは少し困ったように微笑んだ。


「以前、文子さんから相談された困りごとを解決したことがあって。それ以来、文子さんや彼女の知人から偶に相談を受けるようになったのですが……少々、尾ひれがついた噂が流れてしまったようで」


 曰く、乙木夫人に相談事をすれば解決する。

 乙木夫人は有能な『探偵』を雇っている――と。


「つまり、君がその『探偵』ということか。シャーロック・ホームズ……いや、少年探偵の藤原ふじわら君かな」

「そんな大層なものじゃありませんよ」


 イギリスで有名な探偵小説に出てくる名探偵や、最近少年向けの雑誌で人気が出てきた探偵小説の主人公を例えて言えば、カホルはわずかに眉を顰めた。どうやら、探偵と呼ばれるのは好きではないようだ。


「お使いみたいなものです。……まあそれでも、文子さんの顔を立てるため、疎かにはできません。そうなると、少し問題がありまして」

「問題?」

「代理を任されているとは言え、私は少々頼りなく見られるようです」


 カホルは己を指さして苦笑した。

 確かに、いくら代理とはいえ十二、三歳くらいの子供が訪れれば、相手は訝しむだろう。いくらカホルが利発で大人びていると言えども、子供を相手に安心して相談できるはずもない。


「今までは三宅に同行を頼んでいたのですが、どうしても喫茶店ほんぎょうの方に支障が出てしまいます。そこで……」

「なるほど。僕が三宅さんの代理……いや、君の代理というわけか」

「はい。正確には、文子さんの代理役になります。あなたには、依頼人に会って相談事を聞いてもらいます」

「それでは、僕が『探偵』役をするわけだな」


 給仕以外の“仕事”。それは、理人が想像していた怪しげなもの――身体を売ったり犯罪もどきのことをしたり――ではないようだ。

 ひとまずは安心していいのだろうが……しかしまあ、探偵ときたか。

 相変わらず、想定外の球を投げてくるものだ。この少年は一体、どれだけ隠し球を持っているのだろう。

 朝よりもわくわくとした期待を抱きながら、理人はカホルに尋ねる。


「ところで、僕はついぞ『探偵』というものはしたことが無いのだが、実際に事件を解決しなくてはならないのかな?」

「ご安心ください。私があなたの『助手』として、解決に至るよう尽力しますので」

「それは頼もしいね」


 ふっと理人は唇を緩めた。


「よろしく、助手のカホル君」

「ええ、千崎さん……千崎先生とお呼びした方がよいでしょうか?」


 某少年探偵のように、師事する探偵を先生呼びするカホルに、理人は思わず笑ってしまった。





※某少年探偵『藤原君』のモデルは、あの有名な『○林君』です。

実際は昭和11年から雑誌に連載されており、この物語の時系列とは少し異なるため、別の架空の少年探偵を出しました。ちなみに麻布区は、少年探偵団に縁の深い場所であります。


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