47話
「……でもっ!」
これだけ言ってもまだ納得いかないのか、ナーレは尚も食い下がろうとする。
その理由が推測できるだけに、連れていってやりたい思いもあるが、そんな偽善はナーレのためにも捨てなければならない。
再度、偽善を捨て厳しく言おうと決意を固めた時だった。
「だめって言ってるでしょ!ナーレには関係ないんだから、お姉ちゃんに任せて、大人しく待ってたらいいのよっ!」
「アイリスちゃんっ!」
俺が言うよりも先にアイリスが、同行を拒絶する言葉を口にした。
二人が争いにならないように、ここは俺が間に入って再度言った方がよかった。
イザベラもそれを察してか、アイリスを諌めようとしたようだが、時すでに遅かった。
案の定ナーレは怒ったのか、涙ぐみながらアイリスを睨みつけた。
「お姉ちゃんのばかっ!勝手に行っちゃえばいいんだよっ!」
怒鳴り付けるように、その言葉を吐き捨て、ナーレは飛び出すように部屋から出ていってしまった。
「アイリス、関係ないなんて言い方はないんじゃないか?」
「そうね。蓮ちゃんの言う通り、今のはママも容認できないわよ。アイリスちゃん?」
アイリスなら、ナーレがついてきたい気持ちがわかったはずだ。
他人ならまだしも、アイリスとナーレは姉妹だ。関係ないなんてことはない。
冷静であれば、あんな言い方をすれば、ナーレが傷つくことは、予測できたはずだ。
それでも、俺は部外者だから俺の言葉は単なる注意でしかないが、イザベラはそういうわけにもいかないだろう。
笑みは消えて怒りの感情が表にでていた。
でも、その怒りは他人にぶつけるものとは違うような気がした。
これが、母親が子に怒り叱る顔なのかもしれない。
「わかってる……ごめんなさい」
アイリスは、落ち込んだように顔を伏せていた。
アイリスのことだから、感情に任せて勢いで言ってしまったんだろう。
俺やイザベラが何も言わなかったとしても、本人は反省していたに違いない。
「謝る相手が違うでしょ?後でちゃんと謝りなさい」
「うん、ちゃんと謝る」
アイリスは反省しているようだし、後はナーレが許してくれるかどうかだな。
すぐに謝らせに行かせるのもいいが、熱したフライパンと同じで今は怒りが熱い状態だろう。
下手に触って火傷するよりは、覚めた頃に触れる方がいい。
それに、急を要する依頼もあるし、ちゃんと謝るのは依頼を完了した後になるだろう。
「ごほんっ!……よいかね?」
重苦しい雰囲気を打ち消すように、咳払いが部屋に響いた。
そちらを見ると、ナギールが紙を持って立っていた。
どうやら依頼書が書き終わったようだ。
「悪いな、任せたままこっちでごたごたして」
「ナギール様、ごめんなさい……」
俺が軽く頭をかきながら謝ったのにたいして、アイリスは深く頭を下げてナギールに謝った。
「なに構わない。もとはといえば、私が依頼したことが発端だからね。アイリスも私のことは気にすることはない」
ナギールは、特に気分を害した様子もなく、むしろ謝られたことに困っているようだった。
「ナギール、さっそくなんだが依頼書を確認させてもらってもいいか?」
「蓮様、それは失礼かと」
ナギールが返事をするよりも早く、ドナスが会話に割って入ってきた。
何気なく言ったつもりだったが、貴族にたいしては失礼になるのかもしれない。
依頼を確認するのは、相手を信頼していないに等しい、とはいえ、一般的に行われている行為でもある。
ナギールは、貴族らしくないとはいえ、貴族であることは間違いない。
俺の言動はよくなかったようだ。
「ドナス、何も失礼なことはない。むしろ普通であることが私には嬉しいのだからね」
「これは余計なことを、失礼しました」
ドナスは深く頭を下げて一歩下がった。本来ならドナスは間違ったことをしたわけではないだけに、申し訳ない気持ちになりつつも、話しを進めることにした。
「なら、確認させてもらうがいいか?」
「もちろんだ。好きなだけ確認してくれたまえ」
そう言ったナギールから依頼書を受けとり、内容に目を通す。
特におかしなところがあるようには思えないが、気になる項目があった。
「この追加報酬ってのはなんだ?」
「おお、それか、この地域では珍しくはない。今回の依頼は群れの討伐ではあるが、知っての通りこの地域は魔物が多く生息する。依頼を1つに絞ってしまっては、無駄な戦闘は避けてしまうだろう。そこで、対象外の魔物であってもそれに応じた報酬を支払うのだよ」
「そういうことか、理解した」
本来なら道中遭遇するの魔物を考慮にいれて、依頼金は決められているが、その場合、当然ながら関係ない魔物との戦闘は誰もが避けてしまう。
ナギールのように、追加報酬という形を設ければ、討伐に余裕があれば狩ってくれるかもしれないわけだ。
魔物が多い地域ならではのやり方ってことか。
「それで良ければ、契約に進みたいがよいかね?」
「ああ、問題ない」
「よし、ではドナス、後はよろしく頼む」
「はい、畏まりました」
ドナスはナギールの言葉を受け、どこからともなく魔導銃を取り出した。
どこにも所持していなかったように思えるが、空間魔器をもっているということか。
「では、こちらをどうぞ」
そう言うと、細い針をドナスは渡してきた。
俺はその針で自分の親指の腹を軽く刺すと、滲み出てきた血液ごと、依頼書に親指を押し付けた。
ナギールも俺と同じ行程を踏んで、依頼書には俺とナギールの血液が赤い染みを作っていた。
正規の冒険者ギルドで軽いものであれば、書名のみの契約もあるが、それには法的な制約はあっても、魔術的な制約は存在しない。
そして、魔物の討伐だと血の契約と呼ばれる、この方法が用いられることが多い。
「では、契約を進めさせて頂きますがよろしいですか?」
改めて、ドナスは俺とナギールに確認を取る。
それにたいして、俺とナギールは軽く頷くことで同意を示す。
それを合図に、ナギールから渡された契約書をドナスは持ち、それに銃口を向ける。
「破れぬ誓いをたてし者よ。その血を証しとし、ここに記す。血の契約」
魔術が魔導銃に記憶され、ドナスは発動の弾丸構築し引き金を引いた。
バンッ!
狭い室内での発砲だったために、かなりの銃声が部屋に響いた。
同時に、銃口から放たれた光の弾丸が、契約書に命中する。
光の弾丸が、契約書を撃ち抜くことはなく、まるで水が紙に染み込んでいくかのように、紙に光が広がっていた。
やがて、紙全体に光が広がると、紙は光の粒子となって粉々に空中に飛散した。
そして、飛散した光の粒子は、俺とナギールの体を包み込み、徐々に光を弱めながら体の中に流れ込んできた。
全ての光が体の中に流れ込むと、何事もなかったかのように、部屋には静けさだけが残っていた。




