45話
ナギールは、数回呼び鈴を振るう。だが、なんら音がなることはなかった。
やはりと言うべきか、間違いなくあれは魔器だ。
そう推測できる理由もある。ただの呼び鈴にしては、大人の拳程の鐘が棒の先端について、どう見ても大きすぎた。
僅かではあるが魔力も感じたし、それに、屋敷のように広い場所では、呼び鈴の魔器が使われることは多い。
使い方としては、音を伝えたい対象を思い浮かべ、魔力を込めるだけだ。
そうすると、その対象だけに音が伝わる。
有効範囲はもちろんあるが、この屋敷程の広さなら、どこに居ても聞こえるだろう。
人を呼ぶことは特に気にはならないんだが、依頼書の作成と言ったか、つまりナギールは本当に正式な依頼として、俺に依頼するということか。
依頼書と呼びはするが、契約書のようなものだけどな。
一度魔術を用いた契約を行えば、依頼の失敗あるいは拒否、なんらかの形で依頼を遂行できなかった場合、契約の際に定めた違約金が発生する。
これだけを聞けば、依頼された側ばかりがリスクを背負っているように思えるが、もちろんそんなことはない。
依頼主の場合、依頼された側が依頼内容を達成すると、依頼主は自分が提示した報酬を支払わなければならなくなる。
もし、なんらかの理由で提示しただけの報酬を全額支払わなかったり、支払いを拒否した場合、依頼の際に定めた違約金は、依頼主が支払わなければならず、その血筋にも支払い義務がある。
それを支払えなかった場合、依頼した側と同様に、逆に奴隷堕ちすることになる。
そして、依頼主は奴隷期間終了後、三年間依頼書での契約は一切出来なくなる。
奴隷期間中はどうなるのかと言えば、奴隷の場合は、そもそも契約そのものができないようになっている。
依頼書の作成は契約であり、それに本質的違いはなく、アイリスの父親がしたものとやり方は同じはずだ。
この契約によって、アイリスの父親は多額の違約金を課せられ、その血筋である家族に支払い義務が課せられたわけだ。
本来であれば、互いを信用するためにあるものだが、なんらかの形で、アイリスの父親は騙されて契約してしまったんだろう。そう考えなければ、余りに違約金が異常すぎる。
ナギールが、今回依頼書を作成しようとするのは、俺が余所者であることを考慮すると当然の行為だ。なんら不自然なことはない。
30以上の群れともなれば、如何に五級の魔物であろうと、早急の対応が必要だろうし、後になってやっぱりやらないなど言われたら、当然困るし契約したい気持ちはわかる。
俺としては、わざわざそんなことをしなくても、ナギールが報酬を支払わないとは思わないし、支払われなかったとしても、文句を言うつもりもない。
出来ればそんな面倒な契約などしないで、手っ取り早く進めてしまいたいが、そんなわけにもいかないか。
そんなふうに俺が諦めた時だった。入り口の扉が軽く2回ノックされる音が聞こえた。
呼び鈴を振ってから、それほど時間はたっていないのに、随分と行動が早いようだ。
「ドナスです。お呼びでしょうか?」
扉の向こう側から、聞き覚えのある声が聞こえる。
ドナスと名乗っているから、思っている人物に間違いないだろう。先程別れたばかりだと言うのに、近くで待機でもしてたんだろうか。
「うむ。入りたまえ」
「はい、失礼致します」
ナギールが許可すると、それに返答したドナスが、ゆっくりと扉を開けて中に入ってきた。
そのまま扉を音もなく閉めると、ナギールの方を見て、その場で一礼してみせた。
「ドナス、そんな堅苦しいのはいらないと言っているだろう」
なんら粗相があったようには思えないが、ナギールにはそれが不満なみたいだな。
「いえ、そういうわけにはいきません。私は執事総括として、見本にならなければならない立場ですので、申し訳ありません」
主の言葉でもまったく動じた様子もなく、あくまでも執事らしくを通している。
「見本だからこそ、私としては堅苦しいのをやめてもらいたいのだがね……」
いつものことなのか、やけに早くナギールは諦めて、一つ溜め息をついて引き下がった。
俺の目から見ても、何を言ったところで、ドナスが態度を変えるようには思えなかった。
それに、ドナスの場合、これが素のようにも思える。
俺の勝手な推測でしかないが。
「して、ご用件はなんでしょうか?」
ナギールの嘆きは、ドナスにも聞こえたと思うが、何も触れることなく、聞こえなかったふりをして会話を進めるようだ。
「……依頼書の作成を頼みたくてな。呼んだ次第だ」
「そういうことでしたか、では、依頼内容が書かれた紙を渡して頂けますか?」
ドナスの言葉に、ナギールは何か失敗でもやらかしたような、渋い顔つきになった。
「そうだったな。私としたことが依頼書を先に書くのを忘れていた。蓮君、そこの棚に白紙の紙とインクが入っている。取ってくれないかね?」
ナギールは、俺の近くを指差す。それにつられるようにして、指された方角をみる。
「んっ?これか」
そこには、確かに棚が存在していた。
飾り気のない木製の棚を見ても、何かの本が並んでいるだけで、一瞬紙は見当たらないように思えたが、すぐに二段目の棚に、紙の束があるのを見つける。
そこから一枚だけ取って、インクと一緒にナギールに手渡す。
「ありがとう。依頼書を書かせてもらうが、少し時間を貰えるかね?」
「ああ、ゆっくり書いてくれていい」
「うむ。それでは少し時間を貰おう」
ナギールは、近くの四角いテーブルの上に紙を置くと、胸元から羽ペンを取り出し、先端をインクにつけると、羽ペンを紙の上に走らせていった。
「私からもお願いしといてなんだけど、迷惑かけてごめん」
横を見れば、アイリスが落ち込んだような顔をしていた。依頼書なんて話がでて、事の面倒さにでも気づいたのか、自分のせいだとでも思ってるんだろう。
だとすれば、大きな間違いだ。
「それは違うぞ。アイリスが何も言わなかったとしても、俺はこの依頼を引き受けていただろうからな」
正直に言えば、久しぶりに刀が振れるんじゃないかと思ったのが一番の理由だったが、ナギールにたいしての詫びの意味もある。
結果的に、アイリスが後押ししたようになったが、それは余り関係はない。
「ならいいんだけど、私に出来ることがあったら何でも言ってくれていいから」
「ああ、その時は頼む」
厳しいことを言うなら、アイリスに出来ることがあるとは思えないが、本人がやる気になってるんだから、水を指すこともないだろう。
「不甲斐ないお姉ちゃんでごめんなさい」
アイリスとは反対側の傍らから聞こえた声に、アイリスから顔を剃らしてそちらを見ると、ナーレが上目遣いでこっちを見ていた。
「ナーレ、どういう意味よ」
ついさっきまでの申し訳なさそうな雰囲気はどこにいったのか、今度は一変して不機嫌になるアイリス。
「そんなのお姉ちゃんが一番わかってるんじゃないかな」
「うっ……私だっていろいろやればできるわよっ!」
「ふ~ん。例えばなぁに?」
「えっ?例えば……えーと……その……」
「ほら、やっぱりないんだ。お姉ちゃんは掃除もお料理も上手くできないもんね?」
「うっうるさいわよ!蓮がいる前で変なこと言わないでよ!」
アイリスは、余程言われたくないことだったのか、一瞬で顔全体が赤く染め上がった。




