43話
「えいっ!」
可愛らしい掛け声が聞こえた。それと同時に頭に軽い衝撃が伝わる。
「ぐっ!」
突然の衝撃で反射的に振り替えると、いつの間にかすぐ横に来ていたアイリスがいた。
状況から推測するに、どうやら頭を叩かれたらしい。
「なんで蓮が私達のことでそんな顔してるのよ。蓮が気にすることなんて何もないんだからそんな顔しないでよ」
なんでもないという顔でアイリスは笑う。
奴隷になるのは自分だとわかっているはずなのに、もうアイリスの中では、諦めてしまっているんだろうか、この笑みが、苦悩に歪むことがあるかもしれないと思うと、やり場のない憤りが沸き上がる。
大丈夫だ。自身を持て、実力行使で遅れをとる可能性は低いはずだ。
なんのための辛い修行の日々だった。絶望の底で俺が身につけた技は、人一人守れるだけの力はあるはずだ。
もう俺の手は、誰にも届かない非力な手なんかじゃない。
そのはずだ。なのに、植え付けられた無能、無価値、その意識が、どうしようもない不安となって俺を縛り付けようとする。
ふと師匠と最後の修行で言われたことが頭に浮かぶ。
お前は、形だけなら確かに強くなった。でもなぁ?どれだけ技術を身に付けようが、自分に勝てない今のお前じゃ、奥義は会得できやしないし、教えられないな。
そうだ。結局まだ未熟な俺は、最後の技、奥義を教えてもらえなかった。
それだけじゃなく、俺に何も伝えることなく、姿をくらましてしまった。もしかすると、俺の未熟さに嫌気がさしたのかもしれない。
もしそうだとしたら、俺が師匠を探していることは、師匠に反する行為なのかもしれない。
だけど、それでも俺は師匠に会わなくちゃならない。
あんな別れかたじゃ納得なんてできない。
俺が未熟だと言うのなら、この手で一人でも多く守れることを証明するだけだ。
「そうだな。俺が落ち込んだところで、何かが良くなるわけでもない。俺は俺の目的を果たすだけだ」
「そう、それでいいのよ」
俺の言葉の何を疑うわけでもなく、無邪気にそう同意する。その目的の中に、自分自身のことが含まれているなんて、想像すらしていないんだろうな。
「蓮君、今目的と言ったかね?」
「んっ?ああ、ナギールにもう1つ、聞いておきたいことがあるんだ。それが俺の本来の目的でもある」
「ほぉ……それはなんだね?私に分かることならいいのだが……」
どうやらナギールは、質問に何も答えられなかったことを気にしているようだ。
少し遠回しに聞いた方がよかっただろうか、何れにしてもわからないんじゃ、結果は変わらなかったかもしれないが。
ナギールのためにも、絶対にわかりそうな話しでも、最初に挟もうか、でも、そんなことをして、肝心な質問にさく時間がなくなったら意味がない。
直球で聞くしか選択肢はないみたいだな。
「……ザイード・アルバナスこの名前に聞き覚えはないか?」
これも何もわからなかったら、師匠の手掛かりすらなくなることになる。俺は祈る思いでナギールの返事を待った。
「ザイード・アルバナス……どこかで聞いた名だ」
「本当か!?どこで聞いた!?」
思わず前にでてナギールに詰め寄る。
ナギールの言い方から察するに、師匠と深い関わりがあるわけではないみたいだが、少しでも何かわかるなら情報がほしい。
「待て待て、落ち着くんだ。あれは確か一月近く前か、カルターナからの使者と名乗る者が、ある男に手紙を渡してほしいと言ってきたようでな」
一月近く前となると、師匠に手紙を届ける期間は充分にある。でもそれは、俺と師匠の居場所がわかっていたらの話だ。
あの時、俺と師匠は、人里から離れた森の中にある洞窟に拠点をおいていた。
普通に考えれば、居場所を知る手段なんてないはずだ。
「そいつはどんな奴だった?」
「いや、それがな。執事のドナスが対応したのだが、フードを深く被っていたようで、顔はわからなかったらしい。それも、強引に手紙だけを渡して去っていったという、不可思議な出来事だった」
「その手紙はどうしたんだ?中は見たのか?」
そんな無礼な態度の人が渡してきた手紙なら、届けるどころか棄ててしまっていることだってありえる。
そうだとすると、師匠に届いたあの紙はなんだったという話しになるんだが……。
「中身を見るなんてとんでもない。カルターナはけして小さくはない同盟国だ。おかしな者だとは思ったが、それだけ急いでいたのかもしれないと思ってな。衛兵の一人に早急に届けさせた」
その辺りはナギールらしい対応ということか、後で何か問題になるよりは、手紙1つくらい届けてしまった方が、穏便に済むくらいに考えたのかもしれない。
「早急にってことは、その手紙には、場所が記してあったのか?」
場所がわからなければ、届けるよりもまず、届ける対象の場所を見つけ出さなくちゃならない。
早急に届けさせたということは、居場所は初めからわかっていたと推測できる。
「蓮君の言う通りだ。ドナスは、明確な地図まで渡されたそうだ。私は手紙の表面的に見ただけなのだが、そこには差出人の名もなく、ザイード・アルバナスへとしか書いていなかった」
「そうか……それだけでもわかれば助かる。ありがとうナギール」
本音を言えば、手紙の内容まで知りたかったが、それは仕方がない。
今は、少しでも手掛かりが掴めただけでもよしとする。
一つ悪く転んだとすれば、師匠がこの街にいる可能性が低くなったことだ。
ナギール自身が、師匠に手紙を出したのなら、師匠がここに来ていることもありえた。
だけど、カルターナからの使者となると、この街と師匠の関係性は今のところ何もない。
なぜ、カルターナの使者が直接師匠に手紙を渡さなかったのかが気になるが、考えたところで分かりようがない。
とりあえずは、アイリスのことが上手く運んで、師匠の新しい情報が何もなければ、次の目的地はカルターナで決まりだな。
「お礼などいらんよ……と言いたいところなのだが……蓮君一つ頼まれてくれないか?」
そう言うと、心なしか少し真剣さが増したような顔つきになる。
ついさっき、俺に出来ることなら何でもやると言った手前、突拍子もない無茶な頼みじゃなければ、断るわけにもいかないけどな。
「俺に出来る範囲でいいならだが、なんだ?」
「うむ、街の住民でもない君にこんなことを頼むのはしのびないのだが、蓮君、君はかなりの実力だとアイリスから聞いている。そこで魔物の討伐をお願いできないだろうか?」
「魔物の討伐?」
かなりの実力か、アイリスには随分評価されてるみたいだな。それにしても、魔物の討伐なんて街の衛兵や傭兵、冒険者がやっていることなんじゃないのか。
「うむ、知っての通り、この地域一帯は魔物の数が非常に多い。実を言えば、想定以上の数、魔物が出てきた場合、どこかの警備を薄くして対応するしかなくなるのだ」
なるほど、つまりは対応仕切れなかった場所を、俺に任せたいということか。
元々、余所者である俺が戦えば、街の警備を薄くする必要もなくなる。言わば臨時の冒険者か傭兵ってところか。




