35話
ドナスは、体調が悪そうではあったが、倒れるといったこともなく、案内をしっかりこなしてくれていた。
けれど、会話の方はあれ以来まったくなく、和やかな雰囲気とは、お世話にも言えない。
俺としても、余計なことを聞いてしまったという後ろめたさがあって、何を話したらいいのか頭を悩ませていた。
何か、ユーモアにとんだ話をドナスが執事らしくしてくれればいいんだが、聞こえてくるのは、咳ばかりで期待できそうにはなかった。
まぁ、ユーモアにとんだ話を執事がしてくれるなんてのは、俺の勝手なイメージでしかないわけだから、けして、ドナスが悪いわけではない。
そこでふと、俺はある疑問をいだいた。
この場の雰囲気とは、まったく関係ないことなんだが、俺の荷物やらなんのチェックがされてないんだが、この屋敷じゃそれが普通なのか?だとしたら無警戒にも程がある。
刀をわざわざ置いてきたが、要らない心配だったな。
こんなことなら刀を置いてくるじゃなかったと、若干の後悔の念に捕らわれていると、屋敷の入り口近くまで迫ってきていた。
屋敷は思っていたほど大きくはなく、普通の住宅よりは屋敷らしく横に広く、左右の端の方には、小さい三角屋根が突出していた。
屋根の左奥に見えるあれは、煙突だろうか、今は使われていないのか、煙は昇っていなかった。
俺が、ドナスの後ろをついて歩きながら、家の外装を眺めていると、気づけば入り口のすぐ近くまで来てしまっていた。
すると、ドナスはゆっくりと立ち止まって、振り返ると、深くお辞儀をしてきた。
「少々ここでお待ちを」
「ん?ああ」
まだ若干ではあるが、入り口までは距離はある。ここで待つ必要があるのかと、少し疑問に思ったが、特に断る理由もない。
大人しく、その場で立ち止まって待つことにした。
ドナスは、俺の承諾を得て頭を上げると、再度振り替えって、入り口へと向かって独りでに歩き出した。
そのまま、何をするわけでもなく、扉の前まで辿り着いたドナスは、扉の真ん中についている。何かの生物を象った拳2つ程の大きさの装飾に、手を触れると、三回ノックした。
誰か出てくるのかとも思ったて見ていると、なぜかドナスはそのまま扉を離れ、俺のところまで戻ってきてしまった。
(なんだったんだ?)
ドナスが、何がしたかったのか、皆目見当もつかない。
俺は、仕方なく直接本人に聞くことにした。
「どうしたんですか?」
「いえいえ、ちょっとしたことですのでお気になさらず」
ドナスは、はぐらかすように、質問を軽く流してしまった。何がちょっとしたことなんだろうか、隠されると余計に気になるが、教えてくれそうな感じでもない。
ここは、黙って引き下がるしかなさそうだ。
「では、案内を続けますので、ついてきてください」
「……わかった」
俺は、少し警戒を強め、ドナスの言葉に従った。
よくわからないドナスの言動はあったが、俺は無事扉の前まで辿り着いた。
警戒している俺をよそに、ドナスは徐に扉を開ける。
「どうぞ、お入りください」
そう言って、ドナスは扉を開けたまま少し頭を下げる。
その動作に何も不自然なところはない。俺はドナスに促されるまま、屋敷の中へ足を踏み入れた。
中に入ると正面には大きな階段があった。中央の大きな階段を中心に、階段は左右に分かれていた。
右を見れば2つ扉があり、左を見れば3つ扉があった。
そこがなんの部屋なのかまではわからない。
いや、もしかすると部屋ですらなく、廊下に続いているのかもしれない。
外から見た感じは小さく感じたが、こうやって中に入ってみると、一般的な住宅とはまるで広さが違った。
でも、やっぱりと言うべきか、飾り気はあまりなく、質素と言うよりも、まるで家そのものが死んでいるかのように感じられた。
特別荒んでいるというわけでもないはずなんだが、財政難という困窮した状況がそう見せているのかもしれない。
「ナーギル様も貴方に会えるのを楽しみにしていらしたので、少し急ぎましょうか」
ドナスの発言に俺が驚いている間に、無言を承諾ととったのか、先程までより早いペースで歩き出した。俺は、慌ててそのドナスの後ろについて、背中越しに話しかける。
「楽しみに?」
さっきのドナスの発言には、ありえない言葉があった。領主が俺に会えるのを楽しみにしている?そんなことがありえるんだろうか、それとも悪い意味で楽しみと言ってるんだろうか、ドナスの言い方は具合が悪そうで正直わからずらかった。
「何か気になることでもっごほっ!失礼。ありましたでしょうか?」
「いや、実を言うと俺はナーギル様に喧嘩を売ってまして、何かされるんじゃないかと不安なんですよ」
こんなことをドナスに話していいのかはともかく、正直に話して相手の出方を伺ってみた。
「そのことですか、それでしたらお気になさらずとも結構ですよ。むしろナーギル様は蓮様に大変感謝してらしたので」
ドナスは、左奥にあった扉を開けて、精一杯の笑顔を見せてくれたが、申し訳ないないドナス、不気味でしかない。
ドナスが不気味なのはこの際どうでもいい。領主が俺に感謝ってなんの話だ。
機嫌を損ねることならまだしも、感謝されるようなことをした覚えもないし、ましてや領主に会うのは今日が初めてだ。
「ナーギル様が俺に感謝ってなんのことですか?」
そう質問しつつ、扉の先へ進むとそこには部屋はなく、廊下が右へと続いていた。
ドナスは、俺が通ったのを確認すると、ゆっくりと扉を閉めて再び歩き出す。
「心当たりがありませんか?」
ドナスは、問うように俺に逆に聞いてきた。
「心当たり?」
そんなものがあったら、疑問になんて思わない。ナーギルなんて名前に聞き覚えもないし、まさか師匠の知り合いか?いや、ドナスの口振りから察するに、領主は俺に感謝しているようだし、師匠の知り合いであるなら、わざわざ警戒なんてさせずに、先にそれを俺に伝えているだろう。
どう考えてもやっぱりわからない。
「ふふ……会えばお分かりになられますよ」
「会えばわかるですか……」
言いたいことはなんとなくわかるんだが、その笑いはやめてもらいたい。
そんな不気味でしかない笑いかただと、何かよくないことを企んでいるようにしか見えなくなる。
ドナスには、全く悪気はないんだろうが、そのせいでむしろ注意もできずに、ただただ困るしか選択肢がなかった。
俺は、気分を変えるために話を切り替えることにした。
「ドナスさんから見て、ナーギル様はどんな方ですか?」
「一言で伝えるのは難しいですが……そうですね。貴族らしくない変わったお方でしょうか」
「どんなとこが変わってるんですか?」
そういや、アイリスも似たようなことを言っていた気がする。執事にもそう思われているなら、領主は余程変わっている人物なのかもしれない。
「そうですね。例えば、本来であれば身の回りのお世話や、家事なっごほっ!失礼。家事などは我々の仕事なのですが、ナーギル様はことあるごとにそれを手伝おうとなされましてっごほっ!ごほっ!」
「大丈夫ですか?……」
「いつものことですので、ご心配なく」
「ならいいんですが……それでそれがそんなに変なことなのですか?」
「ええ、普通であればありえません。貴族の方は自ら掃除などしませんし、給金をっごほっ!失礼。給金を払って執事やメイドを雇っているのに、その仕事を自分がやろうとするなどありえません」
「言われてみればそうかもしれないですね」
師匠が言っていた貴族は、プライドだけは無駄に高いような人種だった。
そんな貴族が、執事やメイドの仕事をやろうとするなんて、金を貰ってもやりそうにはない。
そう言った意味では、確かにここの領主は貴族らしいとは、言えないかもしれない。




