30話
薄暗い部屋の中で仮面を被った何者かが、椅子に座って足を組んでいた。
この場にいる誰もが、仮面の人物の正体を知らない。
わかることと言えば、腰まで伸びた長い黒髪に、短いスカートからスラリと伸びた華奢な脚が、妖艶さを感じさせ、その何者かが、女であることを主張していた。
何よりも特徴的なのは、仮面越しでも見えるその左右非対称のオッドアイ、右目は淡い水色で、左目は深紅に染まっていた。
種族の知識がある者がそれをみれば、誰もが彼女をこう呼ぶだろう。
ハーフヴァンパイア、あるいは、ヴァンパイアの伴侶。
何故彼女をそう呼ぶか、それは元来、ヴァンパイアは深紅の瞳をしているからだ。
けれど、ヴァンパイアの真祖であるならば、両目が深紅に染まっている。
何故彼女の瞳が両目とも深紅に染まっていないのか、それはヴァンパイアの生態を知らなければならないだろう。
ヴァンパイアとは、ごく少数の種族で、国などをもたず各地を放浪する習性がある。
というのも、彼らは人間の生者の血液を糧とするため、人々から恐れられ危険視されている。
だから、自分達が捕まらないように各地を転々とする必要がある。
ただ、血を吸うだけなら、それほど危険視されなかったかもしれないが、彼らが一度血を吸うと、相手が死に絶え、一滴も血が無くなるまで吸い続けるため、危険視されてしまう。
故にヴァンパイアは、その存在そのものが、死の象徴とされている。
それだけ危険視されているのにも関わらず、今までヴァンパイアが捕まったのは二度しかない。
その中に、真祖のヴァンパイアは含まれていない。
それはなぜか、彼らはあらゆる容姿に自分の姿を変えることができるため、身を隠すのが上手いというのもある。
しかし、それ以上に厄介なのは、彼らの個体としての圧倒的強さだ。
その深紅の瞳には、恐怖や魅了の力が宿っており、意思の強くない者が深紅の瞳を見れば、洗脳さえされてしまう。
更には、驚異的な再生能力。自身の魔力が無くなるか、身体中を粉々に吹き飛ばしでもしない限り、首を撥ね飛ばそうが、心臓を突き刺そうが、すぐに再生してしまう。
その身体能力は、素の状態で並みの魔装術式と同等の力を持ち、武器を必要としないヴァンパイア特有の闇の魔法は、あの魔法に優れたエルフに匹敵するとも言われている。
それでも、彼らが表舞台に現れないのは、ヴァンパイアには仲間意識というものがなく、極端に数も少ないためだ。
個体としての強さがどれだけあろうと、糧となっている人間全てと真っ向からぶつかって勝てるほどではない。
それに、彼らは人間にたいして敵対心をもっていない。
故に、彼らは影に潜み闇に生きる。
だが稀に、仲間意識すらないヴァンパイアが唯一、伴侶となる者を見つけることがある。
彼らは同族ですら味方ではない。
しかし、そんな彼らでも愛すべき存在がある。
それが人間だ。人間とは、自分達の命そのものであり、己の本能に逆らえず血を吸い、命を奪ってしまうが、愛すべき存在でもある。
だから、ヴァンパイアが好意を示すのは人間しかいない。
特定の誰かを愛してしまい。愛が己の本能に勝った時、自らの意思で吸血を止めることができる。
ヴァンパイアに一度噛まれた人間は、人間でありながら半分ヴァンパイアとなり、ハーフヴァンパイア、または、ヴァンパイアの伴侶と呼ばれる。
そして、ヴァンパイアに愛された伴侶は、ヴァンパイアの力の半分の能力を得る。
そうやって真祖のヴァンパイアが好意を寄せれば、ただ1人吸血を止められる伴侶にしか吸血を行わなくなり、たとえその人間に愛されていなくても、吸血を拒まれればそのまま餓死を選び、生涯その人間を愛し続けその一生を終える。
この場にいる誰もが、そのことを知っている。
半分が人間とはいえ、半分はヴァンパイア、もちろん吸血を必要とする。
それなのに、誰もその場から逃げようとはしない。
それどころか、恍惚とした表情で仮面の女を見ている。
どのくらい仮面の女は、そんな異様な視線を浴びながら沈黙しているんだろうか、時折動きを見せたと思えば、考えるように顎に手のひらを添えて、人差し指で頬をノックする。
しばらくそうしていると、ふとノックする指がピタリと止まった。
「ふ~ん。それで情けなく逃げて来ちゃったのね?」
「……はい」
返事をした男は、方膝をついて頭を垂れている。
体は震えて歯がカチカチと音をたてる。
その男の背後にいるのもまた男達、けれど頭を垂れる男とは違い、背後の男達はただ恍惚としているだけだ。
あまりにも非対称な状況が、その空間の異様さを醸し出していた。
「ねぇ?私は言われたことができないのは大嫌いなの、知ってるわよね?」
仮面の女はそう言って、自分に頭を垂れている男の頭を、小さな手で鷲掴みにする。
「ひっ……!」
それだけで、男は声にならない悲鳴を上げて、あまりの恐怖に口を閉じることも忘れて、その口からは涎がだらだらと溢れていた。
「あなたも後ろの人達の同じにしちゃおうかしら?それとも……あれに食べられてみる?」
「そっそれだけはお許しください!あれに食べらるのだけは嫌だっ!」
女が言うあれとは何を指すのか、部屋の中にはそれらしいのは見当たらない。
それでも、男はあれと聞いた途端に子供のように泣き出してしまった。
「あはははっ!男なんだから泣かないの、面白そうで本当に食べさせたくなるでしょ?」
「うぐっ……」
それを聞いた男は、必死に歯を食い縛り、涙を堪えようとした。
それでも、恐怖は消えはしないのか、涙が止まってはくれない。
「ふふ、心配しなくてもあれに食べさせるつもりないわ、それにもうあれは私の物じゃないし」
「……ありがとうございますっ!」
男は、床に頭を擦り付け、額から血が出ていても、構わず擦り付けていた。
仮面の女は、そんな男に目もくれず、会話の主導権を握り続ける。
「ねぇ、それよりあなた達が手も足も出なかったって言う子について教えなさい」
「あの野郎のことをですか?」
「弱者が強者をあの野郎なんて呼ばないてくれるかしら?殺すわよ」
さっきまでは、まるで楽しんでいるかのようであったのに、突如妖艶な笑みは消え失せ、全身から殺気を放ち、瞳からは魂が抜けたように光が無くなり、虚無の瞳が男を貫いた。
「もっもう訳ありません!あの方についてでしょうか?」
男は、慌てて自分の言葉に修正を加え、死から逃れようとする。
「……まぁいいわ。今日はその子のおかげで機嫌がいいし、許してあげる。それより早くその子について教えなさい」
「はいっ!それがあの方は見たこともない魔装術式を使いまして……」
「見たこともない魔装術式……どんなものなのかしら?」
「くっ詳しくはわからないのですが、通常の魔装術式よりも強力で、急激に速くなったりしていました」
「そんな魔装術式聞いたこともないわね。ふふ、最近退屈してて、この街から離れようと思ってたけど、その子のおかげで退屈しないで済みそうね」
「連れてきた方がよろしいのでしょうか?」
男は不安そうに問いかけていた。連れてこいと言われたとしても、自分達では相手にならないのは、分かりきっている。
そんな無茶を言われたら、失敗して次こそは何をされるかわからない。
そんな思いが、男の心を不安で押し潰そうとする。




