29話
「もう夜か、今日はいろいろあったから、夜も早く感じるな」
この街に辿り着くまでに、危険な道を通は何度か通った。
その度に、魔物に襲われはしたが、護衛が難なく倒して俺が戦うことは、一度もなかった。
それもあって、ここ数日は退屈な日々を過ごしていたんだが、アイリスに出会って久しぶりに会話らしい会話をして、自分を見つめ直すこともできた。
俺がなんの力もなかった頃、俺を支え続けた強い思念、いつしか俺はそんなことも忘れて、強くなることだけが目的になっていた。
充実した時間は、時の流れを忘れさせてくれていた。
「そうね。久しぶりに私は1日が早く感じたわよ」
「いや、アイリスは気絶して寝ていたからじゃないのか?」
「ちっ違うわよ!せっかくいい気分だったのに、余計なこと言わないでよね!」
「あはは、冗談だ冗談」
アイリスの反応に、つい声を上げて笑ってしまう。
すると、アイリスは驚いたように、目を見開いた。
「どうしたんだ?」
何か驚くようなことでもあっただろうか、俺は状況が理解できず、思わずそう質問していた。
その質問にたいして、アイリスはなんでもないと言うように、首を左右に振る。
「たいしたことじゃないわよ。ただ、蓮ってそんなふうに笑うんだって思っただけ」
「そんなに俺は普段愛想のない顔をしてるのか?」
初めてそんなことを言われたな。
確かに、好き好んで愛想笑いをすることはないし、表情に分かりやすく出るほど、人前で笑ったことはないかもしれない。
それに、師匠といた時は、余り師匠以外の人と話したことはなかったから、気にしたこともなかった。
「愛想がないというより、警戒してるような、蓮だけ違う場所にいるような感じがしてたのよ」
「……そうか。そうなのかもしれないな」
自分ではそんなつもりはなかったが、師匠以外の人にたいしては、俺には警戒心があるのかもしれない。
俺は、見捨てられる孤独さも、裏切られる怖さも知っている。
無意識に人と関わることを避けて、そんな恐怖から逃げていたのかもしれない。
だとするなら、俺は目付きが少し鋭いから、かなり怖い顔をしていたんじゃないだろうか、そう思ったら今まで出会ってきた人に、どんなふうに思われていたか、不安になってきた。
俺としては、普通に接してきたつもりだったが、無愛想なやつだと陰口を言われていたりしないだろうか。
「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ。今はそんな感じはしないから」
「そうなのか?自分じゃ分からないんだが」
もし、そんな感じが本当にしなくなっているなら、それはアイリスにたいして、俺が少なからず警戒心を解いているんだと思う。
それは、アイリスの人柄がそうさせただけで、俺がどうにかできたわけではないはず。
気を付けないと初対面の人にたいしては、不快な思いをさせるということだ。
しかも、明日会う予定の人は、貴族だ。
只でさえあの出来事の後で、印象が最悪だと思われるのに、出会った途端に、さらに印象を悪くしたら、何かと理由をつけられて捕まりかねない。
そうなったらなったで、大人しく捕まるつもりはないが、出来ることなら穏便に済ませたい。
旅立って早々にお尋ね者になったら、間抜けにも程がある。それに、師匠を探すのにも障害になってしまう。
駄目だ。胃が痛くなってきた。
「うん。今は大丈夫……って苦しそうだけどどうしたのよ?」
胃の痛みに苦しむ俺を見て、アイリスが怪訝そうな顔をして、こちらを見ていた。
「いや、明日のことを考えると胃が痛くなってきてな」
「明日のことって、あっ領主様のことね」
「ああ。俺の印象が悪いんじゃないかって思ったら急にな……」
「そんなこと心配しなくても大丈夫よ。領主様はそんなことを気にする方じゃないから」
「そうなのか?師匠から聞いた話じゃ、貴族なんて地位や名誉に執着してて、大昔の栄光で、それを自分の力だと勘違いしてる馬鹿が、好き勝手なこと言って威張り草ってるだけの連中って言ってたんだが」
師匠のあの口振りからするに、貴族と何かあったに違いないが、何があったのかまでは教えてはくれなかった。
「んー、私は他の貴族を知らないから、そんな貴族もいるのかもしれないけど、領主様に限ってはそれはないわよ」
「そうであることを願う。心配したところでなるようにしかならないし、明日に備えて今日は早めに寝るとするか」
まだ時間的には早いが、今日はいろいろあって疲れた。
本来なら夕食を食べるところだが、コカトリスは結構な量があったから、お腹も空いてはいないし、というか、今更ながらあの量をアイリスがよく食べきったな。
あの小さな体のどこに、入っていくんだろうか、永遠の謎だな。
そんなことを俺が考えているなんて、アイリスが知るよしもなく、同意するように一度頷いた。
「そうね。それじゃ私は隣の部屋で寝るから何かあったら呼んで」
「隣の部屋って、そこは客室じゃないのか?」
「別に他にお客さんもいないんだからいいでしょ?それに、近い方が何かあった時にすぐに来れるし」
「それもそうか。明日は何時に起きればいいんだ?」
「時間になったら私が起こしに行くから大丈夫よ」
俺としては、早めに起きてこっそり刀を振ろうと思っていたんだが、そう言われてしまったら、ここで断るのも変だし諦めるしかない。
「わかったそれじゃ頼む」
「うん。じゃあまた明日」
そう言ってアイリスは小さく手を振ると、背中を向けて出口の方へと歩き出す。
俺は、その小さな背中に向かって一言。
「ああ、また明日な」
そう言って、アイリスが部屋を出ていくのを見送った。
その後、俺は袋から体の汚れを無くす魔器を取りだして、それに魔力を込めると、身体中の汚れが服ごと綺麗に無くなり、俺はフードを脱いで近くにあった椅子にかける。
東の方では湯に浸かる習慣があるが、こちらの地方にはそんな習慣も設備もないから、こうやって綺麗にするしかない。風呂場はあっても魔器からお湯が出て体を洗う程度のものだ。
お湯で洗うだけなら魔器の方が楽だからこれで済ませる。
これはこれで便利なんだが、俺としては湯槽に浸からないとすっきりしない。
そんな文句を言っても仕方ないんだがな。
それから、紐をほどいて鞘袋を持ち、鞘袋から刀を自由にして、枕の上に置いて咄嗟に使えるようにした。
それを終えると、靴を脱いで利き手を下にしないようにして、ベッドに潜り込んだ。
まだ魔器は部屋を照らしてはいるが、込めた魔力を吸い出すことはできないから、魔力が切れて自然と消えるのを待つしかない。
まぁ、部屋が明るいくらいで寝れないような俺ではないが。何せ師匠といるときは、寝ていてる時でさえ鍛練だった。
そのために身に付いたもはや癖のようなものだ。
最初の頃は、寝れずに苦痛でしかなかったが、今はこうしていないと、安心して寝れないんだから、わからないもんだ。
俺は、昔の鍛練を思い出しながら、目を閉じると、やっぱり疲れていたんだろう、すぐに意識が遠退いていった。




