25話
「なんか無駄に疲れたな……」
夕暮れ時の街並みは、それなりに心に響くものがあったが、それ以上に精神的な疲れが大きくて、風景を楽しむ余裕なんてなかった。
洋服を買いたかっただけなんだが、なんでこんな疲れなきゃいけないんだと思う反面、自分の失敗がそもそもの原因だと思うと、文句を言うこともできず、溜め息をつくしかない。
「お兄さん、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「……ん?」
気づくと俺の歩幅に合わせるようにして、まだ幼さの残る少年が話しかけてきていた。
(いつからそこにいた……?)
疲れていたし街中とゆうこともあって油断してはいたが、こんなに近くに来られるまで気配を感じないなんて、アイリスのことに続いて自分の未熟を痛感するな。
それにしても、こんな少年に心配されるほど、俺は疲れた顔をしていたんだろうか。
「君は誰だ?それに両親が見当たらないが、こんな時間に一人でいて大丈夫なのか?」
俺は少年の問いに答えることなく、質問に質問で返した。
見覚えがある顔でもないし、誰なのかも気になるが、少年がこの時間に一人でいるのは、治安がそれほど悪いようには見えなくてもよくない。
人通りはそれほどなく、人を見逃すことはまずありえない。
だが、少年の両親はどこにも見当たらない。
「あー、僕のこと子供だと思ってるでしょ?これでも僕は16なんだよ?」
内心16と聞いて驚いた。
少年の見た目はどんなに老けるように見ても、14歳くらいが限界だろう。
耳が隠れるくらいの長さの髪に、人形のように整った顔、女とも思える顔立ちだが、着ている服は男物だし、声は間違いなく男だった。
まぁ仮に、この子が16だったとして、夕暮れ時に一人で歩いてどこに向かっていると言うのか、もしかすると帰宅中なのかもしれない。
「君が何歳なのかは、この際どうでもいいが、暗くならないうちに早く帰れよ?」
「えー、どうでもよくないよー?まぁけどいいや、用事も済んだから僕は行くね」
やけにあっさりと引き下がった少年は、俺とは逆方向に方向転換すると、両手を限界まで上げて手を振っていた。
「気を付けて帰れよ」
俺が念のため再度注意すると、少年は満面の笑みを浮かべた。
「うん!またね?」
少年は、そう言うと走り出して角を曲がって見えなくなってしまった。
なんだったのか不明だが、俺は気にすることもなく、宿屋へと足を進めた。
「行きよりも長く感じたな」
宿屋へと帰りついた俺は、少し休みたい気持ちを圧し殺し、服が入った持ち前の袋を持ったまま、アイリスが眠っている部屋に向かった。
なんとなく足が重く感じること以外は、何事もなく階段を上がり終えて、部屋の扉の前に辿り着く。
「うっ……ううっ……」
すると、中から嗚咽のような声が聞こえてきた。
間違いなくアイリスの声だ。部屋を出る前に異常がないか確認したはずだが、まさかどこか身体を壊していたのか。
俺は、慌てて扉を壊す勢いで開くと、中へ乗り込んだ。
「……えっ?……蓮?」
「……なんともなさそうだな」
アイリスは、上半身だけを起こして起きていた。
確かに、嗚咽を聞いたはずだが、今は呆けた顔をしてこちらを見ていて、特に異常があるようには見られない。
変化があるとすれば、涙を流していた痕跡が目と頬に残っているくらいだ。
どこか痛くて泣いていたんだろうか、だとしたらなんで今驚いたような顔をして、特に痛がりもせず泣き止んでいるんだ。
「蓮~~!!」
「待て!なにするつもりだ!うぉ!」
アイリスは、突然なんの前触れもなく、ベットから俺に飛ぶようにして抱きついてきた。
俺は、それが見えていたからなんとか受けとめられたが、普通ならひっくり返ってるところだ。
いや、そんなことよりなんでアイリスに俺は抱きつかれているんだ?
ボロボロの服がかなり際どいことになってるから、一刻も早く離れてほしいんだが、状況がわからないだけに、無理矢理引き剥がすこともできない。
「ごめんなさいっ!迷惑かけちゃったよね?うぅ……」
アイリスは、それだけ言うと、また泣き出してしまった。
何故か謝られているが、謝られる理由が見つからない。
むしろ、謝らなくちゃならないのは俺の方だ。
「アイリス少し落ち着け、俺はアイリスに謝れることなんかされちゃいない」
俺は、少し強引に肩を掴んでアイリスを押し剥がす。
「だって……うぅ……目が覚めたら蓮がいなくて、私が嫌がらせを受けるようになってから、みんな私を避けるようになって、蓮も嫌になっていなくなっちゃったって……うぅぁんっ!」
「おっおい……」
こんな時どうしたらいいのか、俺はかけるべき言葉が見つからず、戸惑うことしかできなかった。
それに、アイリスが他から避けられているなんて聞いていなかった。
言われてみれば、あれだけ目立った嫌がらせを受けていたというのに、アイリスを助けようとする奴は一人もいなかった。
哀れんだような目を向けている連中ばかりで、誰もが自分には関係ない、関わりたくないとばかりに、傍観者を気取っていた。
アイリスに、何があったのかは知っていたが、全てを知っていたわけでもない。
もしかすると、アイリスは信頼していた人達にすら見捨てられてしまったのかもしれない。
なんでもないように振る舞っていたが、なんでもないわけがなかったんだ。
俺は、泣いているアイリスを見て、昔の自分の姿が重なっていた。
けれど、溢れてきた感情は、哀れみよりも怒りだ。
俺も信頼していた人に裏切られ、見捨てられた人間だ。
あの時、師匠に出会わなかったら、今の俺はない。
何も自分が犠牲になれだなんて言わない。
自分の人生を捨ててまで助けろだなんてのは、綺麗事でしかない。
誰もが自分のことが一番大切で、他人のことなんて構っている余裕なんてありはしない。
それは、仕方ないことだとも思う。
生きることはけして簡単なことではないからだ。
きっと楽しいことよりも、辛いことの方が多い。
それなのに、わざわざ自分がリスクを背負ってまで助けたくはないだろう。
それでも、アイリスを裏切った人に怒りを感じる。
見ているはずなのに、手をさしのべようとしない人に怒りを感じる。
だけど、なにより怒りを感じるのは、師匠を言い訳にして、他人事のようにアイリスを見捨てようとしていた俺自身だ。
誰もが目を逸らすことを、誰か一人くらい見ようとしてもいいんじゃないのか、そんな人になりたいと思った時があったはずだ。
理不尽な世界を憎み、自分はそうはらないと誓ったことがあったはずだ。
それなのに、俺はどこかで自分なんかが何かしようとしたところで、何も変わりはしないと諦めていた。
俺は無能だ。それは嫌と言うほど理解している。
でも、だからなんだと言うのか、無能だから助けようとすらしたらいけないのか、無能だから諦めるのも仕方ないことなのか、そんなはずない。
無能には無能でしか見えないことがある。
無能だからこそ手に入れられた力もある。
俺は、何のために力を手に入れたんだ。
自分の価値を示すためで、人に認めてもらいたかったからか?
でも、それだけじゃなかったはずだ。
手に入れた力で誰もが手をさしのべようとしない人を、自分だけは見捨てたりはしないと、そのために必死で足掻いてきたんじゃなかったのか、俺は大事なことを忘れていた。
俺にとって師匠は大切な人だ。だけど、それ以上に俺が憧れたのは師匠のような人だ。
師匠のようになりたいと思っていたことを忘れていた。
俺に何ができるかはわからないが、アイリスのために俺に出来ることをやってみよう。
「蓮?……」
「いや、なんでもない……それよりもアイリスは何も悪くないんだから謝る必要はない」
いつの間にか、アイリスは泣き止んでいた。
それなりに長い間考え込んでしまっていたようだ。
「でも……」
アイリスは、それでも納得できないのか、酷く落ち込んでいた。
「悪いのは俺だ。アイリスは何も間違っていない。これ以上謝るのは禁止だ」
「……わかった」
納得したわけではないようだが、俺の言うことを聞き入れてくれたようだ。




