23話
「アイリスが思っている数倍は難しいと思うぞ。これも、空気中の魔力に合わせるようにしながらやらないと、乱れを完全に抑えることはできないからな」
何せ、俺がこれを出来るようになるのに3年以上かかったのだから、師匠は思い付いた3日後には出来るようになっていたらしいが、たぶん常識を逸脱してるから参考にはならない。
アイリスは、それなり筋はいいから俺よりは早いのは間違いない。
「少しやってみるわね」
「んっ?……おい!ちょっと待て!」
考えをめぐらせていた俺は、反応が遅れてしまった。アイリスを俺が止めようとした時には、アイリスは魔力を足に移転させていっていた。
(まずいっ!)
俺は、出来うる限りの全力で、咄嗟に足に魔力を集中させる。
それとほぼ同時だった。
キィーッ!
耳が痛くなるような音が鳴り響いた。
「きゃあっ!」
アイリスの体が、重力を忘れてしまったかのように、軽々と跳ね飛んだ。
俺は僅かに上空を見上げる。手足がばたついていない。
予想通り意識を失っている。
(なぜ、先に忠告しておかなかったんだ俺は!)
人に教えたことがなかったなんて言い訳だ。
もっと常識に当てはめて教えるべきだった。
そしたらこんなことには……。
ダメだ。反省するのはいつでもいい、集中しろ。
このままじゃアイリスは、かなりの速度で地面に叩きつけられる。
魔装移転の唯一の弱点を考えると最悪の光景が頭を過る。
それらのことを瞬く間に思考した俺は、跳ね飛んだアイリスを追いかけるように跳躍した。
既に地面は近い。ダメだ間に合わない。
(諦めるな!間に合わせるんだよ!)
俺は未だかつてない程、意識が研ぎ澄まされていくのを感じた。
数秒記憶がかける。
ザァー!
気づいた時には、俺は地面を足で削るように滑っていた。
一瞬、視界からアイリスを見失い。間に合わなかったのかと悪寒が全身に走る。
「よかった……」
無我夢中で気づいてなかったが、ふと腕に重さを感じて下を見ると、俺はちゃんとアイリスを抱き抱えていた。
危うく、俺の不注意でアイリスを死なせてしまうかもしれなかった。
俺は、最初の頃、徐々にしか魔力を移転させられなかった。
だから、どこかで認識を甘く考えていたんだ。
そうじゃなければ、もっと注意深く意識していれば、こんなことにはならなかった。
(まさか、オーバードライブが起きるなんて……)
オーバードライブ、または、魔力暴走という現象。
集められた魔力が制御を失い、爆発的な魔力の暴走を起こす。
少量の魔力であったなら、少しよろめくくらいで済んだだろうが、俺が思っているよりも、アイリスは才能があったようだ。
今回はそれが仇になってしまった。一回目にしてそれなりの魔力を移転させられたがために、魔力を制御仕切れずに爆発させてしまい。その威力が大きくなってしまった。
そのせいで、アイリスのワンピースがボロボロになってしまっている。
だが、これくらいで済んでまだよかった。
魔装移転には弱点がある。それは、全身から発動させた魔力を、必要な箇所にだけ移転させることで起きる事象、移転箇所以外の魔力障壁の減少。
本来であれば、どんな速度だろうが、身体に魔力を完璧に纏って維持できれば死にはしない。
だが、魔装移転は、移転させた箇所を飛躍的に向上させる代わりに、他の箇所の魔力は極端に薄くなってしまう。
もし、そんな状態で、あの勢いで地面に叩きつけられたら、けして無事では済まなかった。
自分の軽率さが憎い、未熟な俺が気まぐれで教えるべきじゃなかったかもしれない。
「外傷はないみたいだが、このまま抱えてるわけにもいかないよな」
幸いなのはアイリスに外傷がなかったことだ。
だけど、オーバードライブは制御していた魔力だけではなく、急激に自分の残っている魔力すら消費させるため、肉体にかかる負担は大きい。
抱き抱えたアイリスは思った以上に軽く、意識が戻るまで抱えてることもできなくはないが、どこかに寝かせてあげるのが一番だろう。
そうなると俺が泊まるはずだった部屋しかないわけだが、道徳的にそれはまずいんじゃないだろうか、何かするつもりはまったくないが、年頃の女を自分が泊まる部屋のベッドに寝かせるというは……。
「自分がやってしまったことだし仕方ないか」
道徳的には問題があるかもしれないが、非常事態だ。自分の失敗が原因なわけで、これでアイリスに怒られたとしても、甘んじて受け入れよう。
俺は覚悟を決めて、アイリスを抱えたまま自分の部屋へと向かった。
「んー……」
自分の部屋に向かっているつもりまではよかったが、俺は小さな問題に直面していた。
「俺の部屋ってどれだ?」
思い返してみれば、アイリスに部屋を案内された記憶はないし、鍵だってもらっていない。
誰も客はいないんだし、好きな部屋を適当に選んでもいいんだろうか、俺は悩んだ末に一番近くにあった部屋に入ることにした。
(これで鍵がかかっていたら、諦めて抱えているしかないな)
イスに座らせることも考えたが、店にあるイスはどれも意識のない人を座らせるには、心もとなかった。
それに、客がいないとは言っても、こんなボロボロになった服を着ているアイリスを、客が入ってくれば見られる場所に座らせておくわけにもいかなかった。
今のアイリスの格好はかなり際どいことになっていて、俺だって出来るなら抱えずに距離をおきたい。
俺は祈る思いで扉に手をかけた。
ギィー
木が軋む鈍い音と共に、扉はなんの抵抗もなく開いてくれた。
客がいない状態だったし、だから鍵はしていなかったのかもしれない。
俺はほっと一息つきたいのを我慢して、部屋をゆっくりと歩き、ベッドがある部屋を確認する。
部屋は簡素であまり物は置かれていない。
ベッドがあるだけというような印象だ。
ベッドは一人用が2つ並んでいて、どうやらここは一人部屋じゃないみたいだ。
部屋を替えようか、でもアイリスを抱えたまま他の部屋をいちいち確認するのは嫌だな。
何より俺の精神に悪影響だ。
他の部屋は諦めてここに寝かせておこう。
俺は、ゆっくりとベッドにアイリスを寝かせた。
「ふぅ……」
ようやく一息つけたな。
結果的に一人で鍛錬できるようにはなったが、そんな気分にはなれないな。
このままアイリスが目を覚ますのを待つのもいいが……。
そこでふと、アイリスのボロボロになってしまったワンピースを思い出す。
俺の責任であーなったわけだからな。
あのままじゃさすがに可愛そうだろう。
しかし、俺にセンスはないから、似たような物が売っていればいいんだがな。
俺は頭を悩ませながら、結局一度も座って休むこともなく、アイリスの状態を確認して大丈夫と判断し、そのまま部屋を後にした。
「さてと、服屋はどこにあるんだ」
外に出てみれば、まだ空は明るさを残していた。
夕暮れにはまだあるが、ゆっくりしていたらすぐに暗くなってしまう。
街の中だから暗くなるのは別に構わないが、店が閉まっては困る。
とりあえずは、聞いて回るしかない。
そう思いいたった俺は、さっそくすぐ近くを通った20代後半くらいの女に声をかけた。
「あの、少し聞きたいことがあるんですが……」
「えっ?私?ごめんなさい好みじゃないから他を当たって?」
女は、有無を言わさない早さで、吐き捨てるようにそう言ってさっていってしまった。
「……」
別になんとも思っちゃいないが、頬を生暖かい何かが流れているように感じるのはなんだろうな。
全く傷ついてもいないし、なんとも思っちゃいないのにな。
俺は、気を取り直して近くを通った女……はやめて、その先にいた30代くらいの男に声をかけることにした。




