18話
そんな気持ちに浸っていると、鼻腔を擽るいい匂いがしてきた。
これは間違いなく肉が焼ける匂いだ。
「ついたわよ。ローレスってお店でテラスで食べられて料理も美味しいの」
「確かにいい匂いがするな」
見ればテラス席に何人かの客が座っている。
店の前の街道には木々が植えられ、陽射しからテラスを守っていた。
「テラス席でいいわよね?」
「そりゃせっかくだしその方が嬉しいな」
アイリスは俺を連れて歩き、やがて一つのテーブルの前で止まって椅子に腰かけた。
テラス席に座ったアイリスが妙に様になっているのにも感嘆したが、座ってみてわかったことがある。
木々が陽射しを遮り影のカーテンを作り出しているが、人工物のカーテンとは違い。
草木の僅かな隙間から零れる木漏れ日が、影の中に鮮やかな模様を作り出していた。
店内でも食べられるようだが、晴れの日にここで食べないのはありえないな。
着席してから間もないうちに、店員がメニュー表と水が入ったコップをもってやってきた。
「いらっしゃいませ。こちらがメニュー表になります。ご注文がお決まりになりましたらそちらのベルを鳴らしてください」
そう言われてテーブルをよく見れば、左隅のほうにベルが置いてあった。
個人的には活気ある下町の飲食店みたいなとこが好きなんだが、たまにはこんなしゃれた店も悪くない。
店員は目的を果たしたのか、ゆっくりと頭を下げて離れていった。
俺とアイリスは互いにメニュー表を開く、メニューを開いてみたはいいものの、どれが旨いかなんてわからない。
アイリスに聞くのが一番だろう。
「なぁアイリス。どれがオススメだ?」
「そうね……値段が少し高いけど、コカトリスステーキはパパに1度食べさせてもらったことがあって凄く美味しかったわよ」
「コカトリスって言うとあの石化能力を持つあのコカトリスか?」
コカトリスは触れた者を石化させる能力があり、動物種である蛇の胴体に雄鳥の姿をしている魔物だ。
魔導銃を使って近づかなければそれほど脅威な魔物ではないが、素早い動きで鋭い爪を使い攻撃してくる危険な魔物だ。
そんな魔物を食材にしているなんて驚きだ。
「この地域は魔物だけは多いから、海もないから水産物には期待できないし、動物種を家畜として飼うにも魔物が多いから飼えないし、基本的に魔物の肉しか置いてないのよ」
「なるほどな。なら俺はそのコカトリスステーキにするか、アイリスは何にする?」
値段が15銅貨とそれなりに高いが、純粋に食べたことはないし興味もある。
「私はウルフステーキにしようかな」
ウルフステーキ?俺はメニュー表からウルフステーキを見つけ出した。
ウルフは四足歩行の獣でかなりポピュラーな魔物だ。
思った通り、メニューの中で一番安いものを選んでいる。
そんなに気を使わなくてもいいんだが、それに俺だけ高いのを食うと言うのはせっかくのコカトリスステーキが不味くなりそうだ。
「そうか、ならベルを鳴らすぞ?」
「うん、いいわよ」
俺は承諾したふりをしてベルを鳴らす。
すると、ほどなくして店員がゆったりとした足取りでやってきた。
「お待たせいたしました。ご注文はお決まりになりましたでしょうか?」
「ああ、コカトリスステーキを2つ」
「えっ?」
アイリスが間抜けな顔を見せているが、俺は構わず注文を続ける。
「それとこのアプカルジェラートを2つ頼む」
「それでは、ご注文の確認をお願いいたします。コカトリスステーキが2つにアプカルジェラートが2つですね?」
「ああ、それであってる」
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って店員は一礼して去っていった。
「ちょっと蓮!私が言ってたやつと違うわよ!?」
何か言い出す間もなく去っていってしまった店員に、今更何も言うことはできないだろうアイリスは、ハッとした後俺に詰め寄った。
「そうだったか?同じものでいいって聞こえたんだが俺の勘違いか、悪いなもう注文しちゃったから諦めて食べてくれ」
「もう、なんなのよ……うっ……うぅ……」
アイリスはそう小さく呟いて俯いてしまった。
しかも、予想外のことに泣き出してしまった。
(なんで急に泣き出した!?)
俺なりに気を使ったつもりだったんだが、もしかして本当はウルフステーキが食べたかったのか?
それなのに俺が余計なことをして泣かせてしまったのか、これは完全に失態だ。
「ごめんアイリス。まさかアイリスがそんなにウルフステーキが好きだったとは……」
「ちっ違うわよそんなので泣くわけないでしょ!?バカじゃないのっ!」
泣いてたと思ったら真っ赤な顔で怒鳴られてしまった。
俺の予想が違うとすると、泣くことなんてないように思える。
「うっ嬉しかったのよ……」
まだ涙が止まらない様子で、何処からか取り出したハンカチで顔を隠した。
「コカトリスステーキを食えるのがか?」
「それも少し違う……蓮のせいよ」
「俺のせい?」
俺が何かしてしまったんだとしたら、泣かせるようなことをいつしてしまったんだ。
「蓮が……蓮が優しいから……」
ようやく泣き止んだのかハンカチから顔を出したアイリスは、涙のせいか瞳を潤ませて見つめてきた。
「いや、コカトリスステーキくらいでそんな大袈裟な」
「それだけじゃないわよ。あいつらに私がやられそうになった時助けてくれたじゃない」
あいつらというのは、間違いなく傭兵達のことだろう。
「助けたのは事実だが、どちらかと言えば俺は奴等のやり方が気に入らなかったからぶっとばしてやっただけだぞ」
俺は正義の味方でもなんでもない。
ましてやいいやつでもない。
俺は俺の都合で助けただけであって、場合によっては見捨てる可能性だってあった。
それほど感謝されることじゃないと思っている。
だけど、アイリスは首を横に振った。
「蓮は蓮の考えがあって私を助けてくれたのかもしれない。だけど、あの時私がどれだけ救われたのか、蓮はわかっていないでしょ?」
「……」
俺は何も答えられなかった。
正直、自分がやった行動でそこまで思われることがわからなかった。
師匠は言っていた。
己を知らず、己を過信しているものは愚か者だ。
己を知っていても、己のためだけに力を振るう奴は半人前だ。
己を知り、相手を知り、大切なものがなんなのか気づいた時、初めて一人前だと。
師匠の言葉通りならば、俺はまだまだ半人前だ。
俺は己のためにしか力を使ったことはない。
俺にはわからない。
俺は俺の意志のために戦ったのに、それほど感謝されることなのか、だって俺はアイリスを"場合によっては見捨てられる"だから俺なんかに感謝する必要はない。
「蓮がどんな理由で私を助けただとか、今蓮がどう思っているかだとか、そんなことは私はどうでもいいのよ」
「アイリス……」
「私はパパが亡くなってから弱い人を守りたいってパパの気持ちがわからなくなってた。領主様は私達によくしてくれているけど、目の前に危険が迫ったら見捨てると思うの」
「それなら俺だって場合によってはアイリスを見捨てられる人間だ」
「そうかもしれないわね。だけど蓮は自分が危険になるだけなら、きっと私を見捨てたりしない」
いったいなんの根拠と自信があってそんなことを言っているのかわからない。
なのに、心が激しくざわつくのはなんだ。
「随分信頼されたもんだな」
俺は心の動揺をおくびにもださず、平常心を心がけた。
「だって蓮はパパが大切にしていた想いを、私にもう一度信じさせてくれた人だから」
アイリスが儚げに笑うとまるでそこだけ別世界のように輝いて見えた。
同時に、俺にはこの輝きは眩しすぎるとも感じていた。
「……」
「……」
妙な雰囲気がお互いを包むようにしてあるように感じる。
それのせいなのか、言葉がでてこない。
けして嫌な雰囲気というわけではないが、こんなのは初めてだ。
俺は既に視線を逸らしているんだが、気になってアイリスの様子を見ると、俺と同じ状態になっているようだった。
まるで本気の師匠を目の前にしているような、もしくはそれ異常の何かが今この場を支配している。
大量に背中に汗をかくのを感じる。
さっきまで暑くなかったはずだが、何故だか汗が止まらない。
今アイリスと目を合わせ続けたらいけないと本能が囁いている。
俺は。ただただこの雰囲気が消え去ることだけを願った。




