知らない天井 3
天井は出入り口であり、窓であった。
部屋にかけた魔法とは、簡単な話、重力方向をねじ曲げるというものだったようだ。
僕は痛む顔面に手をやりながら、その幻の向こうへと歩を進めた。
そこには、僕の居た部屋よりも、もっとファンタジックな場所が広がっていた。
まるで木の中をくりぬいたかのような内装。天井、壁、床から、僕が木の実だと予想した光る照明が突き出し、床に繋がっている丸太のようなテーブル。蛍の光のような黄緑色の発光する胞子のようなものがふわふわと辺りを漂う空間。
そして、そのテーブルに着き、椅子らしきようなものに腰掛ける、御伽噺の絵本から出てきたような魔法使いっぽい格好の人間。
「おめでとう、合格だよ。」
その魔法使いは、そう言い放った。
*
「えーっと、つまり、君は記憶がないってことかな?」
「そういうことだ。」
「それは災難だったね。」
僕が彼に説明したのは、気づいたらこの部屋に居たこと。自分の名前と、性別、くらいしか分からないということだ。
もちろん、元居た世界のことは話す気にはなれない。
「うん、そしたらちょうどいいね。僕もそろそろ助手がほしい年頃だから。僕の仕事手伝って。それが恩人へのお礼だよ?」
「…はい?」
「僕は探偵なんだ。んで、君は助手。」
「ちょっと待」
「おや、もうこんな時間か。君もおいで。」
と、男は僕の腕を掴むと、存外強い力で僕の腕を引いて外へと出て行く。
外に出たくない、なんて、言える雰囲気ではなかった。
*
僕は眼を疑った。
この世界は、どうにも僕の元いた世界と似たような文明レベルらしい。
もちろん、外装自体は少し昔というか、村といっても差し支えないくらいの木造が目立つ町並みなのだが、道は舗装されているし、街灯まで立っている。
一方、魔法使い探偵の家はそれらとは一線を画していた。まさにツリーハウスというか、文字通り、大きな木を切り抜いて作られていた。
そんな大きな木があってたまるか!という話ではあるが、事実、その木は外周として100mはありそうな大木であるからして、30坪くらいの大きさにはなる。だとすると、恐ろしいことに矛盾が発生しないのである。
それはさておき。
異世界の町並みは、驚きの連続だった。
そこら中に屋台というか、露天が軒を連ねていて、まるでにぎやかな商店街を髣髴とさせる。売っている品物も、みたこともない果物だったり、生き物だったり、食べ物だったり、衣服だったりといろいろだ。
まさに異世界見本市といっても過言ではない。もちろん、僕にとっては、の話だが。
そして人々の姿。よくRPGなどで見かけるような服装の人々がそこら中を闊歩している様は壮観である。帯剣している人は見受けられなかったが、そのままゲームの世界に入り込んだかのような錯覚に陥る。
しかし、彼らは自然体であり、少ない可能性ではあった、異世界風の撮影スタジオの中に紛れ込んだという線は露と消えてなくなった。
そして、なにより目を引いたのは魔法である。
ある人は風を起こし、ある人は火を生み出す。それらを争いに使うのではなく、洗濯物を乾かしたり、料理を作ったり。そういった生活のために魔法を使用しているのである。
部屋の件もあり、魔法というものが普及しているというのは理解したが…なんとも複雑な気分は拭えないというものである。
この世界に生きている生き物たちも、見てくれは不可思議だがモンスターというには程遠い。まるで、犬を散歩させるかのように目が三つある四足歩行の生き物を連れている人も見かけたし、羽の生えた竜の子供のような生き物を連れている人もいた。
平和な世界。そんなイメージがぴったりと当てはまる。数多くの異世界転生作品を読破してきた僕だが、実際に異世界というものを体験してみると、思ったよりも戦いに重きを置いていないイメージを受けるから新鮮である。
ただ、魔法使い探偵と似たような格好の人には会わなかった。どうやら特殊な衣装のようである。奇異な格好の男と手紙では書かれていたが、この魔法使い探偵もなかなかに奇異な格好なんじゃないかと疑うほどである。
さて、その魔法使い探偵に連れられて異世界観光をしている途中、いろいろ話をした。主に、この異世界についてと、魔法使い探偵の家があるこの町についての話である。
まず、この世界はイシュタリアというらしい。モンスターといえるほど凶暴で巨大な生き物はほとんど生息していないし、かつて多く起こった戦争も200年前を境になくなった。もちろん、人間と人間がかかわるから、諍いから争いが生まれることもあるが、それでも地球の日本と大して変わらない。
治安を維持する警察のような機関もある上、法律まである。法律に関しては疎いが、日本と大して変わりはしないというのにも驚いたが、裁判制度のようなものまであるというから、魔法が発達した現代日本といったようなものをイメージするとこの世界を現すのにちょうどいいと分かる。
そしてこの町、オイコット。この町はそれなりに栄えている方らしい。とはいっても、規模はそれほどではなく、魔導列車(そんなものもあるのか!と僕は感動を覚えた)の急行が止まるので栄えているのだとか。
さて、この魔法使い探偵が僕も手を引いて町にやってきた理由。
彼曰く「僕の知り合いが話したいことがあるって言ってきたんだよ。人には頼めない話だからってことだったし、君を一人で家においておくわけにもいかないしね。」とのことだ。
その知り合いが訪ねてきた時に解決してやればいいと言うと、別に我が家に訪ねてきたわけじゃないからね。と。
聞けば、テレビなんかはないものの、電話と似たようなものはあるし、新聞みたいなものもあるのだとか。
なるほど、やはり魔法が発達した現代日本といった印象である。
さて、そんな話をしているうちに、問題の家屋に到着したようである。
平和、という言葉がぴったりの町並みに似合わず、その家屋は重々しい雰囲気を漂わせている。
「…ここか?」
「…うん、どうやら我が友人の頼みは、幻の向こうに消えてしまったようだけど。」
僕達はせかせかと動き回るクースタシエ(この世界では警察のような機関をクースタシエと呼ぶらしい。)たちが出入りする、魔法使い探偵の友人の家へと進んでいった。