23.交易の国 玖
中天を越えた頃。丁度昼の休憩に入る人が多く街中を歩き、あちこちの店から客を引く声がする。
そんな中を、一人の女性が歩いて行く。
深緑の長い髪を揺らす、年の頃は二十といったところだろう。時折行き交う人と声を掛け合いながら、彼女はまっすぐに冒険者ギルドへと向かい、裏の職員入り口から中へと入っていった。
「あれ? アンリさん早かったですね」
中に居た彼女よりやや年下の青年が声をかけてくる。
「うん、ちょっとね。ユーリ君はもうぎりぎりになると思う。もしかしたら遅れちゃうかも」
「フラレたんですか?」
「告ってないわよ!」
青年のからかいの声に、彼女はちょっと怒ったような顔をしてから笑って返す。
「もう、大体私よりいくつ年下だと思ってるのよ。ちょっとおせっかい焼いてきただけよ」
「そうですか、さっきフリーダさんが来たんでてっきり横槍入れられてフラレたんだと思ってました」
「ようし、午後の仕事はキミにバリバリ送りつけるから、覚悟しときなさい?」
えー勘弁して下さいよ、と二人は笑い合う。
受付側からもっと年かさの男性が呼ぶ声がして、青年は部屋から出て行った。
彼女は本来まだ休憩時間だ。この暑い中外に行く気にはならないようで、手持ち無沙汰に手近な椅子を引き、そこに座った。
つい先程まで一緒に居た焦げ茶色の髪の、少年という言葉の似合う男の子を思い浮かべる。
「うまくやんなさいよ、ユーリ君」
頬杖をついて、ゆっくりと瞳を閉じた。
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ルターナの町中にいくつかある大衆食堂。魚の酢漬けがうまいと評判の店の中で、僕は二人で座っていた。
さっきまで深緑の髪のおねえさんと話していたはずなのに、今僕は燃えるような真っ赤な髪の少女を目の前にしている。おかしい、フリーダ今ごろガンツさんと一緒に仕事中じゃないのか。
フリーダは走ってきたのだろう、滑らかの象牙の肌が赤く色づいて、少し息が上がっている。
ついさっきまで一緒にいた冒険者ギルド職員のアンリさんはフリーダを見るなりささっと食べていたものを片付けて席を譲り、自分の分の会計だけ席において意味深な笑みを浮かべて出て行ってしまった。
どうすればいいんだろう、これ。
本気で困った。
最近のフリーダはちょっと様子が変だし、昨夜の発言もある。
あまり変なことを言って余計にぎすぎすしても嫌だけれど、何も言わなければこのままだ。
――それは彼女に言ったの?
さっきアンリさんに言われたことが頭をよぎる。
言ってない。なんて言えばいいのかわからないし、自分の気持ちを現す適切な表現も見つからない。
そんな僕の葛藤中に、フリーダは息を整え終わったようだ。顔色も朱色からいつもの肌色に戻ってきている。
「ねえユーリ」
表情は、最初にあったころのような真剣な面差しだ。
「あたしね、なにもできないのよ」
彼女は、おおよそ僕が思っていた通りの言葉を口にした。
フリーダが何を悩んでいるのかは、なんとなくわかっていた。
彼女は狩りなどをしたことの無いいわゆる“女衆”で、これまでの旅程のほぼ全てを旅慣れた行商の叔父に頼ってやってきたのだろう。
ナイフの使い方も甘いし、野営だって不慣れだ。魔獣との戦闘もほかの獣相手のようなことをするし、金策にも慣れていないように思う。
僕に自分は必要ないんじゃないか、置いて行かれるんじゃないか、きっとそんなことを思っているんじゃないかと、そう想像していた。
だけどそれが分かったからって何か言えるわけじゃなかった。
僕は別段そんなことは気にしていない。彼女はできないことを素直に反省できるし、自分で何も思いつけないことはきちんと相談できる。できないならできるようになればいい。現に今だってガンツさんのところで狩りを学んでいるのだ。
だけどそれはそれで彼女にとっては問題だったのだろう、なにせ自分が金を稼ぐと言って一緒に行動しているのに、僕と同じくらいしか稼げていないのだから。
今はそれでいいと思っているけれど、言ったら言ったで、きっと気を遣わせてしまったと凹む様子が目に浮かぶ。
もうどうしようもなく八方塞がっていて、最近の僕はフリーダがじりじりと自分を追いつめているのを見ている状態だったのだ。
「あたしはきっと、西大陸では今以上にお荷物になるわ」
フリーダがそれでも、まっすぐにこちらを見据えてくる。
「加護が使えなかったら戦闘でも役に立てない。解体は少しはできるようになったけど、ユーリは自分で解体もできるし。体力のないあたしに合わせてたら旅程は長くなっちゃうと思う。
フランダーナでは一緒に行けば楽になるなんて大口叩いたけど、きっと、難しいわ」
少しずつ、フリーダの声が小さくなっていく。
食堂の中の声がなんだか遠く、小さなフリーダの「でも、」とつぶやく声が耳に響く。
「――あたしユーリと一緒に旅がしたいの。フランダーナで助けてくれて、一緒にここまで来てくれて、一緒に神様を探せるユーリと、旅がしたいの。
でも、自分に何ができるのかわかんなくて。お金も、結局同じくらいしか稼げてないし……。ずっと、考えてたんだけど、どうしたらいいかわからなくて」
彼女はぎゅっと翡翠の瞳を閉じて、深く息を吸い込む。
「ユーリが、こんな足手まとい絶対いらないっていうなら、あきらめて自分でなんとかするわ。
だけどちょっとでも一緒に行っていいって思ってくれるなら、チャンスがほしいの。あたし、役に立つこと頑張ってできるようになるから、何が必要か教えてほしい」
その言葉を聞いて、たぶん僕は、微笑っていたと思う。
ようやく話し合い。
長かった。なんだかすっごく長かった……。




