22.交易の国 捌
フリーダ目線です。
「一人で行っちゃわないでね」
ポツリとこぼれた言葉にどうしようもなく心が荒れて、あたしは慌ててシーツを頭から被って、なんでもないと言った。
ユーリが何か言ったような気がするけれど、聞き返す勇気はなかった。
そう、なんでもないのだ。
あたしにユーリを拘束する権利なんてない。
行きずりでたまたま出会って、たまたま拾ってもらっただけで、別にユーリがあたしと一緒に行動しなきゃいけない理由はないのだ。
護失焦燥という単語がぐるぐると頭を回る。
大陸の境目を超えると加護が使えなくなる話は聞いたことがあったけれど、どんなふうになるのかまでは知らなかった。
もしあたしが加護を使えなくなったら、本当にタダの役立たずだ。
今ここで置いて行かれたらどうにも出来ない。
トーキィなんて大陸の端までの護衛なんていくら掛かるか分かったものじゃないし、地元に帰ったらそれはそれでもう出してもらえないだろう。
旅を続けるにも仲間がいる。自分一人では魔獣を倒すことは出来ない。金で護衛を雇うか信頼できる仲間を見つけなければ行けないけれど、前者は論外だ。
かといってここで信頼関係を築けるまで時間を費やすこともできない。
本当に、何処の神様か知らないけどちゃんと名乗ってよね。そしたらまっすぐにそっちに向かえるのに……。
夏も盛りの暑い季節、海沿いで多少涼しいとはいえ全く寒くないこの室内で、寒さに耐えるようにぎゅっと自分の肩を抱いた。
――あたしがもっと、しっかりしてたらよかったのに。
夜が明ける。結局ほとんど眠れないまま、窓の隙間からの光で意識が覚醒した。
「珍しいね、フリーダが先に起きてるなんて」ってユーリはいつも通りに微笑う。
続けて何か言葉を発しようとしたユーリを制するように矢継ぎ早に夕食の予定を確認して、あたしは飛び出すように部屋を出た。
「顔色、わりいぞ?」
出会い頭にガンツさんに小突かれる。
「昨日ちょっと、眠れなくて……。迷惑だったら帰るわ」
ガンツさんはガリガリと頭を掻いて唸った。
「じゃあちょっとエイダの手伝いしてやってくれねえか? 今朝から張り切ってて手が足らないみたいなんだ」
ちょっとなら小遣いも出すぞ、と言ってくる。どう考えても気を使われていていたけれど、ありがたいのは事実なのであたしはその好意に甘えることにした。
「悩んでるって顔だねえ」
エイダさんにも出会い頭にそう言われてしまった。
「……わかっちゃいますか」
以前シェビィさんにも言われたのだけど、どうにも表情を隠すのが苦手なようだ。
「アタシでよければ聞くよ? 話すと楽になることも結構多いからね。昔はこれでも色んな人から相談事をされてねえ。いやそれは今もだね。アタシも色んな人に色々と相談したもんさ。
ああ、とりあえずこれの皮むきをお願いね。パイにするから」
カシェ芋と包丁を渡されて、それはそれとしてエイダさんも隣でジンコンを刻み始めた。ルイ君はお使いに出ている。
「あの、」
「なんだい?」
エイダさんが短く問いかけてくる。普段の息もつかないお喋りをする人とは別人のようだ。
「エイダさんは、ガンツさんと一緒に旅をしてたんですよね?」
「そうだよ。西に東に、あっちこっち行ったもんさね。二人じゃなかった時も多かったけど、大半はあの人と二人だったねえ」
「ガンツさんは剣士ですよね? エイダさんは徒党で、その、何してましたか?」
彼女は一瞬だけ手を止めてこちらを見て、懐かしむようにふっと微笑む。
「色々したよ。罠の準備に、戦闘中の道具の準備、あの人の体力が怪しい時には撤退できなきゃいけないから退路の確保、それから戦闘後の解体は大体アタシの仕事だったね。
あの人は大きい計算が出来なかったから街ではアタシが買い出ししたし、立地や情勢の確認はアタシがしてたねえ」
別の野菜を取り出して刻む様子を少し見て、あたしは視線を落とした。
前半は、頑張れば自分にも出来るかもしれないけれど、後半はユーリにもできるだろう。というか、今そういうのは彼がやってくれている。
「……自分には何も出来ないって思うかい?」
エイダさんが、こちらを見てもいないのに見透かしたように言った。
「海を越えよと思ってるんです。でも、越えたら加護が使えないって聞いて」
「そうだね、裂け目を越えたら今までどおりに使えないと思っていい」
「あたし今、加護に頼った戦い方をしていて、それがなくなったら戦闘では役に立たないんです。もしかしたら新しく向こうの加護が使えるようになるかもしれないですけど……。護失焦燥のことも聞いて、あたしがそうなったらユーリの足手まといです。
彼は彼の目的があって、都合がいいから一緒に居てくれてます。
あたしは、自分の目的を達成するのに他人の力が必要ですけど、ユーリには本来あたしは必要ないんです。お金の計算とか、地形の把握とか、彼は自分でできるから……」
そう言って口ごもる。皮を剥いて紅色の中身が顔を出しているカシェ芋また一つ積まれる。ちょっと剥きすぎている気がするけれど、また次の芋を手に取った。
「ユーリ君ってのは、どういう子だい?」
「え?」
「ほらアタシはこないだの一度しか会ってないだろう? そのユーリ君ってのはどういう子なのかと思ってねえ」
「あ、えっと、優しい、不思議な子です」
「不思議?」
「あたしもあんまり長い付き合いじゃないんだけど、ユーリは絶対に裏切らないでくれるって、どうしてかそう思うんです。色々気を使ってくれて優しいし、あと、加護が使えないのにとっても強いです。
ここに来る間に色んな人から信用されてるみたいで、あの剣も、道場からの借り物だって言ってました」
本当に、不思議な人だと思う。
付き合いはほんの二十日程度なのに、自分は何をこんなに彼のことを信用しているんだろう。
「そのユーリ君は、あんたが加護が使えなくなったからってほっぽり出しちゃうような男かい?」
「そんなことありません!」
つい大声を出したあたしをエイダさんが笑う。
「じゃああんたは、ユーリ君が戦えなくなったらどこかに置いていくかい?」
「恩人にそんなことするほど薄情な人間じゃないです」
「じゃあ、何を悩んでるんだい?」
「……え?」
「ユーリ君はあんたを見捨てない、あんたはユーリ君を見捨てない。別れちまう要素もないのに、何を悩んでるんだい?」
たぶん、すっごいマヌケな顔をしていたと思う。しばらく声も出なかった。ずっと続けていた皮むきも止まっていた。
「――あたし、役に立たないのが嫌なんです。足手まといになりたくない、でも何をすればいいのかわからない。やろうとしたことが全部裏目に出てる気がして、次に何をすればいいのかわからないんです」
ようやく出した答えにエイダさんは頷いて、ちらりと外の様子を見る。
「なら聞いてごらん。納得の行くまで話してごらん。じゃなきゃいつまでもそのままだ。あんたは若いし、やろうと思えばなんだってできるようになる。ユーリ君にとって何が必要か、聞いてきておいで。
お昼前ってところかね。今からギルドに行けば、休憩前に捕まえられるんじゃないかい?」
彼女はあたしから包丁と剥きかけのカシェ芋を取り上げた。
「ほら、気もそぞろに刃物使われたんじゃたまんないよ。さっさとお行き、小娘」
さっきまでその気もそぞろの小娘に皮むきさせてたくせに、なんて思いながら、
「ありがとうエイダさん! 行ってくる!」
少しばかり小さめの家を飛び出した。
エイダさん無双!




