1.旅立ち
ふわっとした設定で見切り発射ですが優しく見守ってください。
2016/2/3 一部表現を変更しました。
全ての人々が当たり前のように感じている神という存在を、僕は知らない。
飾り気のない実用一点張りの剣は、しかしよく手入れがなされており、一振りごとに白銀の輝きが宙を舞った。空を切る刃金の音には迷いがなく、武を嗜む者ならば音だけで型の鍛錬であると理解するだろう。
基本と言われる型を組み合わせた流れるようなその動きは、俗に剣舞と呼ばれている。
武の神ファンスの加護あらたかなこの国ランフォースでは、健康な成人ならば男女問わず誰もができる奉納の舞だ。
最後に剣を体の前で真っ直ぐに構え、腰に据えられた鞘に流れるように封じると、奉納はそれで終了する。
炎の様な猛々しく紅い光が辺りに降り注ぐ。
その光は奉納場全体へと僕を避けて広がり、燃え上がるように消えた。
周囲から歓声が聞こえる。殆どの子供は今日初めて加護を得たのだ。その喜びは一際だろう。僕は喜びの喧騒から静かに少し離れ、ゆっくり息を吐いた。
また、駄目だった。
「間違いなくお前さんが一番上手かったんだがな」
声をかけてきたのはこの道場の師範、アルタさんだった。
常人よりも頭一つ大きく、堅く引き締まった体。褐色に焼けた肌。実直で裏表の無い性格。剛健という言葉を人の形にしたらこんなだろう、という男性だ。
「目をかけて頂いたのに、お恥ずかしい限りです」
国の人間でもなんでもない年の頃十五、六の旅の男が突然奉納の剣舞を教えてほしいと入門してきたのに、嫌な顔ひとつせず事情を聞いて、なおかつ受け入れてくれたのはこの道場だけだった。
月が一巡するほどの期間鍛えてもらったのに、僕は結局ファンスの加護を得ることができなかった。
「もう少しやってみるか?」
「いえ、今日の剣舞は自分でも会心の出来でした。これ以上は無理でしょう。……長らく、お世話になりました」
深く頭を下げた僕に、アルタさんはそうかと短く頷いた。
「鋼の国の方から来たんだったか。なら次は太陽の国のあたりか?」
「いえ、炎系の加護はこれで三連敗なので、次は水の方に行ってみようかと思います」
「なら一番近いのはフランツェだな。出立は明日まで待て。知人がいる、紹介状を書こう」
「何から何まで、ありがとうございます」
僕はそう言って、腰の剣帯を外した。この道場の備品なので、辞めるなら返さなければいけない。
「いい」
それを見たアルタさんは止めるように手を振った。
「加護を探すのを諦めたら返しに来い。うちのアレは随分お前を気に入っていたからな、下働きでいいなら雇ってやる。見つかった時は祝いにやる」
「え!? でもこれ……」
これは普通の剣ではない。
奉納に使うための、武の神ファンスの聖印が刻まれた、クラームの国謹製の鋼の剣だ。これ一本でそこら辺の数打ちの剣が十本は買える。
「ユーリ、お前さんは本当に筋がいい。道場を継いで二十年になるが、多分一番だ。加護がなくともそれなりの武勲は立てられる。その時に持ってるのが数打ちの剣だとうちの評判に関わるからな。良い評判を立てた時はうちからもらった剣のおかげだと宣伝してくれよ」
「最後の一言がなければ、聖人のような師範ですね」
いたずらっぽく言うアルタさんの言葉に短く笑って、初めて自分の顔が強張っていたことに気づいた。
その様子に、彼はそれでいいと頭を撫でた。
「悔しかったら泣いてもいいが、暗い顔だけはするな」
長い鍛錬で堅くなった手のひらがガサガサと無骨に頭を行き来するのが少し痛くて、僕はほんのちょっとだけ涙を流した。
翌日、アルタさんの奥さんからいつでもいらっしゃいと声をかけてもらい弁当をもらって、アルタさんからはフランツェで楽師をしているという人への紹介状をもらい、僕は目覚めてから三つ目の国を後にした。
全ての人々が当たり前のように感じている神という存在を、僕は知らない。
この世界は神の加護でできている。
神々の目にかかる行為をすることで大きな力を得ることができて、どこの国も土着の神の加護によって生活が成り立っている。
ランフォースでは剣舞の奉納によって武の神ファンスの加護を得て、狩人や傭兵、冒険者を多く排出している。
クラームでは槌を打ち付け祝詞を唱えることで鋼の神クラームの加護を得て、その加護でしか錬精できないミスリラという鋼を作っている。
加護を持たない人はいない。
加護を得にくい人というのは居るのだが、それでも生まれた国の神の加護ならば必ず少しは効果がある。普通の人ならば他の国に行ってもその国のやり方に則れば多少は加護を得ることができるだろう。
僕はというと、どうにもとびっきり加護が得にくい人間のようだ。
ようだ、というのは、まだ試したのが炎系の神様三柱だけなので、もしかしたら炎の適性がからっきしなだけなのかもしれないという希望的な意見が残っているからだ。
僕には記憶が無い。
目が覚めたのはおよそニ年前。サンドルフという国の外れの村で、川岸に打ち付けられているところを発見されたらしい。体中擦り傷や打身だらけだが命に別状はなかったのだが、頭を打ったのか自分についての記憶がさっぱりなかった。
焦げ茶色の髪に薄い茶色の瞳というあまり特徴の無い見た目で、近隣では親は見つからなかった。見た目から十ニ、三歳ぐらいだろうということで、身元不明の子供として村の孤児院に預けられた。
名前すらわからなかったので、院長先生が付けてくれた。ユーリと呼ばれている。結構気に入っている名前だ。
サンドルフでは篝火の神シントゥアを信仰していた。守護の炎と呼ばれる聖火には魔獣が近寄らず、街の中はとても安全で陸路貿易の中継地として栄えている国だ。
僕は、シントゥアの加護を得ることが出来なかった。
どれだけ火に祈りを捧げても、祝詞を諳んじても、種火一つ出すことができなかった。
川の上流は別の国だから、出身国が違って加護が得られないのではないか、と院長先生は言った。
別に加護が使えなくても残ってもいい、と先生や村の人達は言ってくれた。
ユーリは力が強いのだから、篝火が出せなくとも貿易国であるサンドルフには仕事はいくらでもある。無闇に自分の神を探しに行く必要はない、と。
それでも
それでも、僕は知りたかった。
僕の生まれが何処なのか、僕の神が何方なのか。
そして三月ほど前、最後まで心配そうな顔をし続けた院長先生に必ず帰ってくると約束して、僕は村を出た。




