第六感
その日の放課後、俺はある人物を円山神社に呼び出していた。神社は相変わらずひと気がなく薄暗かった。林からは虫の音と、時折思い出したかのように吹く秋風が木々をざわめかせる音だけが聞こえた。それらの音の中にかすかに足音が混じった。
その足音に向かって俺は云った。
「一つ疑問に思ったことがあったんだ。ユウカはこの神社で浮気相手と待ち合わせをしたとして、その約束をいつ交わしたんだろうって。あの日はいつもなら俺がユウカと一緒に帰る日だった。けど、俺は昼休みにユウカにそれができないことを伝えにいった。つまり、ユウカがこの神社で誰かと会おうと思ったなら、その約束は昼休みのあとじゃないとできないはずなんだ」
「…………」
「ところで、ユウカはあの日、携帯を持っていなかった。修理に出していて、代わりの携帯もなかった。だからこそ、俺はわざわざ直接、一緒に帰れないことを云いにいったわけだしな。そして、ユウカの友達の三枝はこんなことを云っていた。ユウカは朝を除けば、誰か特定の男子生徒と親しげに話す様子はなかったと。朝を除けばと云っても、朝に俺との下校がどうなるか解らないから、これは関係ない。じゃあ、ユウカはいつ浮気相手と連絡をとったんだろう。
ミツルは放課後、ユウカと廊下ですれ違った。時刻はホームルームが終わってすぐの十五時半くらい。また、ユウカがこの神社に向かう途中に立ち寄ったコンビニの店員からも話を聞いた。ユウカがその店で買い物をしたのは十五時四十分頃だったそうだ。学校からあの店まで十分ほどの距離だ。つまり、ユウカはまるで寄り道しないで神社へ向かったことになる。放課後に誰かと約束を交わす時間なんてなかったはずだ。
それにもう一つ大事な証言がある。三枝は昼休みの終わり頃にユウカに一緒に帰らないか誘ったところ、解らない、とあいまいな答えを返したという。だけど、今度はホームルームが終わって放課後になってすぐにまた同じことを尋ねたら、今度は、用事があるから無理だときっぱり断られたそうだ。つまり、昼休みが終わってから放課後になるまでの間に、ユウカにあの神社へ向かわせるだけの理由を作った何かがあるということになる。
そこで俺はふと思いついたんだ。待ち合わせの約束を交わすにしても、それは口頭である必要はないんじゃないか、と。ユウカは携帯を持っていなかった。だけど、それに代わるような手段はないだろうか。例えば、手紙なんてどうだろう。待ち合わせのことをなにか適当な紙に書いて、それを目当ての人物に渡す。手紙を受け取った相手はそれへの返事をユウカによこす。こうしたやり取りならどうだろう。けれど、これにも一つ問題がある。手紙を渡す瞬間を誰にも気取られないようにしなければならない。
そこまで考えた時、俺はあることを思い出したよ。確かあんた云ってたよな。自分は授業の際、毎回、課題を解いたノートを回収するって。なあ、そうだろ、藤田先生」
林へ通じる小道の奥から姿を現した待ち人は俺の問いかけに答えず、近くの樹に寄りかかった。俺は続けて云った。
「その課題のノートに例のやり取りが掛かれていたらどうかな。ユウカはノートのページのどっかに、今日、円山神社で待ち合わせしませんかって、書くんだ。課題を集めるのは授業の最後のほうだそうだから、約束についても授業中に書けば、誰かに見られる心配はない。ご丁寧に、神社までの地図まで書いたかもしれないな。一方で、五限の授業が終わって、ノートを回収したあんたは、課題の採点をしながら職員室で悠々と返事を書けばいい。書いた返事はホームルームの時に担任を通じてユウカに渡される。
もちろん手紙のやり取りは一回きりだから、細かいやり取りはできない。けど、待ち合わせに関してなら、あらかじめ場所と時刻を詳しく設定しておいて、同意を求めるだけのものにすれば、相手は、『はい』か『いいえ』で答えればいいだけだ。そこまで問題はない」
藤田はようやく口を開いた。
「なるほど。それで僕を呼び出したわけか。見回りの時間に人目を忍んでここに来てくれだなんて。いったい、何を考えているのかと思ったよ」
「それで、俺の推理に何か云うことはあるか」
「とりあえず、仮にも教師に対してその口の聞き方は慎むべきだね。……それと、君の推理についてだけど、まるで見当外れだよ。僕は高松さんと待ち合わせの約束なんてしていない」
「それは、ユウカが死んだ時、あんたにアリバイがあるからか」
俺はあえて口調を直そうとは思わなかった。
「うん、まあ、そういうことだね。それに、アリバイと云ったって、そもそも彼女が殺されたなんて証拠はどこにもないわけでしょ」
「いや、そんなことはないさ」俺が強気な態度でそう云うと、藤田は顔をこわばらせた。「昨日も俺はここに来たんだ。その時は特に何とも思わなかったけど、今日の昼にようやく気付いたことが一つある」
「…………」
「上を見てみろ。葉っぱで、空が、視界が、まるっきり覆われているだろ。それから下も見れば解る。木洩れ日さえほとんどない」
「それがどうしたというんだ」
「ユウカが亡くなった時、近くに開いた折り畳み傘があったんだよな。その結果、ユウカが死んだのは雨が吹ている時間帯だと推定された」
「ああ。そしてその時間帯なら、僕はずっと職員室にいた」
俺は藤田の睨むような目つきを無視して、
「ここで雨が降ったときのことを考えてみればいい。俺たちは雨宿りをする時、大きな木の下に避難することがあるよな。隙間なく空を覆う枝葉が俺たちを雨から防いでくれるからだ。この場所でも、同じことが云えると思わないか。この境内の真上は隈なく林から延びる葉っぱで覆われている。石段も、だ。果たしてここで傘が必要になるかな。しかも開くのが手間になるような折り畳み傘を」
「……どうかな。それだけじゃ、証拠とは云えないよ。それに、もともと神社の外に出るつもりだったなら、あらかじめ傘を開いていても何にもおかしくはない」
「そうかもしれない。ただ、疑う余地もなくはない」
「疑うだって。現に彼女が亡くなった時、開いた傘が近くにあったじゃないか。何を疑うというんだ」
「それは本当にユウカ自身が開いたものだろうか。実は、犯人の偽装じゃないのか」
「偽装? ふん、いったい、何のための」藤田の額には玉のような汗が浮いていた。しかし、その眼はますます鋭くなっていた。
「もちろん、アリバイ工作のためのさ」俺はひるまずに云った。「あの日は天気予報で夕方雨が降り始めることはあらかじめ解っていた。事件が起こる直前ならば、降り始める時刻についてもっと詳しい情報が流れていたかもしれない。まだ雨が降る前の時間帯、ユウカを殺してしまった犯人は慌てて彼女の鞄から新品の折り畳み傘を取り出した。そして、それを広げてユウカのそばに置いたんだ。そうすれば、事件が起こったのは雨が降っている最中ということになる。犯人はその間のアリバイを作っておけばいい。
あんたは三時半から四時半までは外に見回りに行っていて、アリバイがなかった。現にこうやって今、その仕事を抜け出してここに来ることができるわけだ。あんたは、その間に二人で待ち合わせをしたこの神社でユウカを殺したんだよ。そして、今云った方法で死亡推定時刻をずらし、アリバイを作った。そういえば、あんたの隣の席の山中先生、俺とミツルが話しかけた時、机の上に置いたラジオで天気予報を聞いていた。ちょうど午後三時半頃だ。あんたにもそれを聞く機会は充分にあったんじゃないか」
藤田はかぶりを振った。
「そんなこと、何の証拠にもならないよ。君が云っているのは僕でも高松さんを殺すことができるっていうことだけじゃないか。だいいち、何で僕が彼女を殺す必要がある。いや、そもそもどうして僕が彼女とここで待ち合わせをするというんだ?」
「あんたがユウカと交際していた本当の相手だったからだよ」
藤田の顔は凍り付いたかのように無表情になった。
「思えばうかつだよな。ユウカの母親からの情報では、ユウカはその相手と去年の九月ごろから交際を始めたらしい。運動会の時期だな。ここ毎年、あんたがまとめ役になっている運動会だよ。そして、ユウカは去年、体育祭実行委員だった。あんたと仲良くなる機会は充分あったんだ」
「……僕は曲がりなりにも教師だ。生徒と付き合うなんてこと、するわけがない」
藤田は吐き捨てるようにそう云った。
「だからこそ、ユウカはあんたと付き合ってるという事実を徹底的に隠そうとしたんだ。俺という偽物の恋人まで作ってな。最初はあんたと一対一の付き合いをしていたんだろうけど、そのうち、それじゃあ付き合ってる相手のことを隠しきれないと思ったんだ。そして、ユウカはある策を思い付いた。いっそのこと隠すのではなく、偽の恋人を仕立て上げればいいって。実際、ユウカがどんな心境でいたのかは解らない。最初は思い付いても実行する気はなかったけど、そこにほいほい都合よくユウカに一目ぼれしちまった俺を見て、実行を決意したのかもしれないし、むしろ、俺を見て思いついた計画なのかもしれない。まあ、いずれにせよ、俺としてはユウカにもそれなりの事情があって、切羽詰まっていたんだと、散々悩んだ末の結果だったんだとは思いたいけどな」
「偽の恋人だって。馬鹿げてるよ。そんなの効果があるわけがない」
「いや、そんなことないさ。ユウカはあえて俺と交際しているということを(本当は嘘だったのだが)学校中に広めた。そうすることで、たとえ他の奴が、ユウカが他の誰かと親し気にしていても、それがすぐに恋愛という考えに行きつかなくなる。だってそうじゃないか。彼氏持ちって解っている女の子が、教師と街中で仲良く歩いているところを目撃されたところで、それがすぐに恋愛関係に結びつくように思われることはまずない。いや、メイクやファッションでちょっとした変装をすれば、たとえ目撃されても、そもそもそれがユウカだなんて思われないかもしれないな。まあ、もっとも、デートとかをするにしても、初めから知り合いがいないような遠いところとかでしていたんだろうけどな」
「違う。……いや」そう否定しつつも、藤田の顔は青ざめていた。
「なあ、先生。あの日にいったい何があったんだ。どうしてユウカは死んだんだ。教えてくれ。あんたは全てを知ってるはずだろ」
藤田はしばらく目をうろうろさせていたが、やがて観念したようにふうと大きく息をついた。
「……君の云う通り、僕は高松優香と――彼女と付き合っていた」
俺は解っていたこととはいえ、息を呑まずにはいられなかった。
「付き合い始めたのも君の云う通り、去年の九月だ。去年も僕は二年生クラスを担当していたから、四月の段階では彼女がうちの高校に入学したことは知らなかったんだけど、五月の体育祭の時に再会してね、うん、すごく驚いたよ。だけどね、彼女のほうはそうでもないみたいだった。むしろ、僕がこの学校にいたのを知っていたみたいだったよ。これはのちに彼女から直接訊いたんだけどね、彼女が志望校を急に変更してこの学校に来たのは、僕がそこで勤めていることを知ったからだと云うんだ。つまり、彼女は僕を追いかけてきたわけだ。……どうだい。嫉妬するかな」藤田は皮肉っぽく云った。
「うるせえよ」
「……彼女はそれからことあるごとに僕に迫ってきてね。けど、それも周りにはばれないように、こっそりと。どういうわけか、昔からそういった立ち回りは上手い娘だったんだよ、彼女は。僕のほうはといえば、まあ、悪い気はしなかったね。そりゃあ、そうだろ。彼女みたいな可愛い娘が僕に気があるだなんて。嬉しくないはずがない。だから、僕は夏休みには彼女を誘ってドライブにも行ったりした。もちろん、誰にも知られないように。一回か二回だけだけどね。と云ってもね、その時点では僕はまだ彼女と付き合っているなんてこれっぽっちも思っていなかったんだよ。
前に君にさ、彼女のことは妹みたいに思ってるって話をしただろ。あれ、決して嘘なんかじゃなかったんだ。少なくとも、最初のうちは僕にとって彼女はそういう存在だった。彼女がじゃれてくるのは嬉しいけど、恋愛の対象とは見れなかったんだ。
でもね、彼女にとってはそんな僕のことが不満だったのかもしれない。九月の末になって、運動会の準備が近づくとさ、彼女はよく遅くまで残ってそれの準備を進めようとするわけよ。もちろん、下心あってのことさ。帰りが遅くなるのを嫌って他の実行委員はみんなすぐ帰っちゃうから、必然的に僕と二人きりになってもおかしくない機会が何度かできるわけだ。さっきも云ったけど、僕も決してそのことに悪い気はしていなかったんだ。だからなのかな、こう云っちゃあなんだけど、僕は少し油断してたのかもしれない。
運動会の準備でこれまた二人っきりになったとき、ユウカが突然、熱っぽく迫ってきたんだ。自分でも本当に最低だと思うけど、今でも後悔してるけど、僕はどうにも抑えがきかなかったんだ。そして僕はユウカと本格的に付き合わざるを得なくなった……」
俺は先ほどから胸の痛みが止まらなかった。心臓の鼓動が今までにないほどに激しくなっている。俺は今すぐ耳を塞ぎたかった。こんな話は聞きたくなかった。しかし、そうしようとすると、目の前にユウカの顔が浮かび、俺は全てを知らなくてはと思いなおすのだった。
藤田は淡々とした調子で話を続けた。ふと、林の奥でカサリと何かがこすれるような音がした。
「こんな風に云うとね、さっきから僕がまるで彼女のことを好きではなかったように聞こえるかもしれないけど、決してそんなことはないんだ。並一通りの云いかただけどね、僕は彼女のことを心の底から愛していたんだ。だから、僕は彼女への愛を保つためにはなんだってしたよ。知り合いに会わないように遠くまで車を出してデートをしたし、学校では必要以上に彼女とは接触しないようにした。ついには君との偽装恋愛まで僕は許したんだ」
藤田は俺を睨みつけた。その瞳には、先ほどまでとは違って、ぞっとするような憎悪がたぎっていた。
「ユウカが君と付き合うつもりだと僕に打ち明けた時には本当に驚いたよ。彼女と再会した時以上の衝撃だった。僕は君を憐れむ一方で、激しく嫉妬したよ。たとえそれが偽りの交際だったとしても、人目を憚らず彼女と触れ合えることがどれほど羨ましいことか」
「どうかな。それでもユウカから本当の愛情をもらえていたあんたのほうが俺からしたら遥かに羨ましいけどな。……それにしても、どうしてそんなあんたがユウカを殺すようなことに?」
「僕はね、とうとう我慢できなくなったんだ。僕にとって彼女との交際が負担になっていったんだよ。……いいかい、何度も云うけれど、決して彼女のことを愛せなくなったんじゃあないんだ。そうじゃないんだ。だけど、それでもね、彼女のことが負担に感じるなんてことは確かにあるんだよ。
一つには、やはり彼女が――たとえ演技だとはいえ――君と親し気にしているのを、僕は横から指をくわえながら見ているしかないのがどうしても苦痛だったんだ。それに、彼女と恋人らしいことをするにしても、人目を忍ぶ必要がある。どこかに出かけるにしても常に気を張っていなくちゃあいけない。僕はね、それにいい加減疲れたんだよ」
「あんた、さっきユウカと付き合い続けるためにはなんだってするっていっていたじゃないか。その言葉は嘘だったのか?」俺はこう云い返さずにはいられなかった。
「嘘なわけないさ。けど、少し訂正させてくれ。僕は彼女との交際を続けるためになんだってするって云ったんじゃあないはずだ。僕は彼女への愛を守るためになんだってするって云ったんだ。そうだよ、僕はなんだってする。たとえ、彼女と別れることになろうとね」
「っ……」
「僕は自分が自分で解らなくなっていたんだ。一方で彼女との交際に疲れ果てている自分がいて、一方で彼女への強い愛を持っている自分がいる。後者のほうは、僕が彼女への愛を失うはずなんてないと固く信じているけれど、もう片方は、自分がいつか、すり減る神経とともに彼女への愛情も失ってしまうんじゃないかひどく恐れていたんだ。
だから、僕はいったん彼女と距離を置くことを決意したんだ。そうすることで彼女と交際し続けることのストレスをなくし、僕は彼女への純粋な愛を保つことができる。僕はこう云って自分を納得させたよ。なあに、距離を置くと云ったって、あと一年とちょっとじゃないか。彼女が無事に高校を卒業さえすれば、僕たちは今度こそ人目を憚らず付き合えるぞって。
こうするしかなかったんだよ。僕自身を、いや、僕の彼女への愛を守るには、こうするしかなかったんだよ。……君にはきっと解らないだろうね」
俺は唇をかんだ。その通りだったからだ。俺はユウカのことが好きだった。それは事実だ。しかしそれはここまでの想いだっただろうか。こんなに熱い感情だっただろうか。俺は喉の奥から絞り出すような声で云った。
「なあ、それでどうしてユウカが死ぬ羽目になったんだ」
「……あの日、課題のノートを通してこの場所で会うことを約束した僕は、さっき話した考えを彼女にも伝えるつもりだった。そして、そうしたよ。彼女は、嫌だ、と云った。私はあなたとずっと一緒にいる。片時も離れるつもりはないって云ったんだ。僕は泣き出したいような気持になったよ。僕はね、この時初めて彼女のことが恐ろしいと思ったんだ。このままじゃあ、僕は彼女への愛を失ってしまう。他ならぬ彼女自身のせいで彼女への愛を失ってしまう。こんなことは僕にとってはとうてい許されないことだったんだよ。気が付いたら僕は彼女の胸元を強く突き飛ばしていた。僕たちはちょうど境内をうろつきながら話していたんだ」
藤田は緩慢な動作で立ち上がると、おもむろに石段のそばにまで行き、石段の下を覗き込んだ。
「僕は今でも覚えてるよ。僕が突き飛ばした瞬間、彼女はごろごろといちばん下まで一気に転がり落ちていった。ごろごろと、ごろごろと、ね。僕は呆然とした。……君の云った通り、彼女が死んだのは間違いなく僕の責任だ。ただね……」
その時、突然、ガサリという大きな音が背後から聞こえた。驚いて振り向くと、林の陰から人影が飛び出してきた。
人影は猛烈な勢いで藤田に飛び掛かった。人影と藤田は石段をごろごろと転がり落ちていく。
全てはあっという間の出来事だった。
俺は慌てて石段の下を覗き見た。頭から血を出して倒れる藤田の上に覆いかぶさるようにしていたその人物は、間違いなくユウカの母親だった。
警察の事情聴取からようやく解放されたのは夜の七時ごろだった。警察署から出ると、そこには意外な人物がいた。
「マサキ!」ミツルだった。「ねえ、いったい何があったの」
「ミツル、来てくれたのか」
「うん。マサキのお母さんから連絡を受けて、すぐに」
「何て云うかその、昨日はすまなかった。お前を犯人扱いするだなんてな。俺は本当に馬鹿だったよ」
「もういいよ」ミツルは優しい目をして首を振った。「それよりも、何があったのか教えてほしい」
「ああ」
俺は家路を歩きながらミツルにだいたいのことを話した。
「まさか、藤田先生が犯人だったなんて。ねえ、ユウカちゃんのお母さんはどうして、いつからその場にいたの」
「ユウカが亡くなった場所に花を供えるためだよ」
俺は石段に供えられていた花瓶に差さった花のことをミツルに伝えた。
「思った通り、あの花を供えていたのはユウカの母親だったらしい。毎日花瓶の水を変えていたそうだよ。昨日とか一昨日は通夜や葬式で忙しかったから、朝にしか水を変えられなかったけど、今日とかは朝夕二回、水を変えたかったそうだ。何でも、とてもデリケートな花だそうだよ」
「あの玄関に置いてあった花だね。ユウカちゃんの好きな花だったって云う」
「うん、そう。それで、あの人がいつからあそこにいたのかって云うと、藤田が動機を語り始めたときかららしい。ユウカが藤田と付き合っていたことなんてまるで知らなかったというんだよ、あの人。ユウカがよっぽど巧妙に隠してたんだな、驚きだよ」
「藤田先生は助かったの?」
「……いや。すぐに救急車を呼んだんだけど、病院に運ばれたころにはもう……。ただ、ユウカの母親のほうは一命をとりとめたらしい」
ミツルはほっとしたような顔をした。
「そう。それは良かった」
「……なあ、ミツル」
「どうしたの」
「俺さ、少し気になっていることがあるんだ」
「……何が?」
「藤田がさ、突き飛ばされる前にこんなことを云ってたんだよ。『彼女が死んだのは間違いなく僕の責任だ』って。けどそのあとに、『ただね……』とも云っていた。藤田はあの後、何を云うつもりだったんだろうな」
「さあ」ミツルは首を振った。「悪いけど、さっぱり」
「……それにしてもさ。ユウカにとって結局のところは何だったんだろうな。……それと、俺にとってのユウカってのも何だったんだろう」
「…………」
「藤田がさ、ユウカのことを語るときさ、俺は思ったんだ。ああ、こいつは間違いなく心の底からユウカを愛してるんだなって。ユウカのほうもそれは同じだったのかな。……俺はすっかり蚊帳の外なんだよ。笑っちまうよな。藤田はさ、人目を憚らずにユウカと触れ合える俺のことが羨ましいって云ってた。そして、それがストレスにもなってるって云ってた。俺、思うんだよ。俺がユウカと付き合い始めなければ、そもそもこんなことにはならなかったのかなあって。そうすれば藤田があれほど苦しむことはなかったし、そのせいでユウカが死ぬこともなかったんじゃないかって」
「ねえ、マサキ」ミツルは悲しそうな声で云った。「マサキはまだユウカちゃんのことが好きなの?」
「さあ、どうだろうな。自分でもよくわからないんだ。好きではない、と思う。何て云うか魔法が解けた気分なんだ。ただ、嫌いにもなれないんだよな、不思議なことに」
俺は薄く笑って云った。ミツルはまだ悲しそうな眼をしていた。そして――。
「ねえ、マサキ。私じゃ駄目なの?」